第1333話 客人をもてなす仕事

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ・裏/アルトリウシア



「そうだ」


 ルキウスは口籠くちごもってしまったアルトリウスに頷いてみせた。


「リュウイチ様は人の役に立ちたいと望んでおられる。

 だが、我々はそれをしていただいては困るのだ。

 そしてリュウイチ様はそんな我々の事情を理解し、何もしないでいてくださっておられる……」


「だからリュウイチ様に力をお貸しくださるように言うつもりだったのですか!?

 ですがそれでは!」


 思わず声を高くしたアルトリウスにルキウスが口元へ人差し指を当てて静かにするようジェスチャーすると、アルトリウスは話を途切れさせ慌てて通路を見渡した。幸い、人影は見えない。そもそも要塞司令部プリンキピア陣営本部プラエトーリウムを直接行き来する、ごく限られた貴族ノビリタスだけが通る裏路地だ。人通りなど滅多にあるものではない。

 こんなところで話をしても他人に聞かれるわけないじゃないかという反発と、しかしそれを口にして良いわけはないという冷静な判断、そしてここなら誰にも聞かれないだろうと油断してウッカリ大きな声を出してしまった自分の迂闊うかつさ……そういった諸々もろもろ綯交ないまぜになり、アルトリウスの顔に何とも言い難い気まずそうな表情を形づくる。

 しかし言うべきことは言わねばならない。アルトリウスは身をかがめてその気まずそうな表情をルキウスに近づけた。


「それは結局リュウイチ様の御力を、《レアル》の恩寵おんちょうを頼るのと同じです!

 レーマ本国にバレれば我々の立場はどうなることか」


「だが今のままではリュウイチ様の心は我々から離れるぞ?

 リュウイチ様がその気になれば、誰にも気付かれることなく脱走することも、我らの守りを蹂躙じゅうりんして立ち去ることも容易なのだ」


 ゲイマーガメルの力は強大だ。大戦争中、たった一人のゲイマーがレーマ軍の一個軍団を壊滅させた実例もある。そのゲイマーたちをたった一騎で世界から駆逐しつくした《暗黒騎士ダーク・ナイト》と同じ力を持つリュウイチがその気になれば、アルトリウス率いるアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアもアロイス率いるアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアもものの役に立ちはすまい。実際、リュウイチは特務大隊コホルス・エクシミウスの厳重な警備の中から誰にも気付かれることなく脱走し、街から娼婦を一人連れ込んだ実績がある。

 リュウイチがマニウス要塞カストルム・マニに留まっているのはアルトリウシア軍団の実力ではなく、純粋にリュウイチの厚意に基づく協力的姿勢の表れでしかないのだ。ではリュウイチの厚意が失われたらどうなるか……考えるまでも無い。ならば、リュウイチの厚意が途切れることの無いよう、せめてリュウイチの勘気を招かぬようにせねばなるまい。

 しかしアルトリウスにしてもその程度のことは重々承知の上だ。


「だからせめて精一杯もてなそうとしているのではありませんか!」


「しかし我々の試みのどれか一つでも成功しているか?」


 ルキウスの指摘を突っぱねる要素を、アルトリウスは見つけることは出来なかった。彼らの見るところ、リュウイチは不満らしい不満を表明したことはない。だが満足している様子も無く、レーマ貴族たちが期待するような良好な反応を示したことはほとんど無いのだ。彼らは自分たちのリュウイチに対する試みに失敗したとは思っていないが、しかし明確な手応えも感じられないでいたのだった。再び口籠るアルトリウスにルキウスは冷酷に続ける。


「そうだ、何一つできてはいない。

 そもそもリュウイチ様は贅沢をお好みになられないのだ。

 贅沢な御馳走は却ってリュウイチ様の勘気を招きかねん。

 一度お尋ねしたことがあったがな、リュウイチ様はおっしゃられたよ。

 『たくさんの被災者が困っているそば暢気のんきに贅沢するのは気が引ける』とな。

 これで下手に御馳走を用意することもできなくなった」


 いつしか熱を帯び始めたルキウスの口調は、何かにため込んだ不満をぶつけるかのようだった。


「宝飾品の類も興味を示されん。

 まあ、それは仕方ないのかもしれんな。

 何せリュウイチ様の方がよほど良い物をたくさん持っておられるのだ。我々に用意できるものなど、リュウイチ様が興味を示されることなどないのだろう」


「それはいくら何でも……」


 卑屈に過ぎる……だが、言いたいことは分からないではない。御馳走は歓迎の、接待の基本だ。ルキウス自身、世をねて自堕落な生活を送っていた頃に贅沢の限りを尽くしてやろうとしたことがあった。その時の杵柄きねづかで帝国南部の珍味で食したことの無い物、味わったことの無い美酒など無いと言えるほど美食への造詣ぞうけいは深いつもりだ。美術についても決して人後に落ちるつもりはない。が、それが全く役に立っていない。色々食べさせ、色々味わわせ、色々見せ、色々聞かせ、リュウイチを満足させることはできないまでも、せめてリュウイチの好みを把握するぐらいはしようと思っていたにもかかわらず、ルキウスはそれに成功したとは言えない状態が続いているのだ。それどころか腰痛で一週間も戦線離脱してしまった……ルキウスの中に焦りや絶望が人知れず醸成されていたとしても不思議ではあるまい。もっとも、普段の飄々ひょうひょうとしたルキウスからそのような激しい内面を想像するのは、付き合いの浅い人々にとってはかなり難しいことではあろうが……


「女も結局ご自身で調達され、その一人で満足しておられる……

 あのリュキスカ様が“女”になって、少しは他の女を受け入れる余地ができたかと思ったが、昨日のあの様子では難しいだろうな」


 リュキスカが生理になったと知り、それをリュウイチに新たな女をあてがうチャンスと考えたのはマルクス・ウァレリウス・カストゥス一人ではなかったのだ。もっともホブゴブリンのルキウスの身内にリュウイチに送り込めるような年頃の女など居ない。ルキウスが考えていたのはルクレティアだった。

 婚約のあかしとして魔導具マジック・アイテムを与え、聖女サクラとして振る舞うことを認められたルクレティアだったが、リュウイチは十八歳になるまでルクレティアにとルキウスに宣言してしまっている。だがリュキスカが夜伽よとぎ出来なくなった今なら、ルクレティアを急いで帰らせることができれば、ルクレティアに手が付くのを前倒しできるのではないかと期待していたのだ。しかし、マルクスが女奴隷グルギアの献上を申し出、その裸体をリュウイチに検分させようとした時、リュウイチは明確に拒否を示した。


 一人で夜の街に抜け出して娼婦を買い、連れ込んだことからリュウイチも女には興味を示すだろうと思っていた。リュキスカ一人で良いというのもどうせ今だけの事、夜の街で春を売っているような安い女などすぐにだろうと思っていたのに、なんやかんやでリュキスカが来て二十日以上経っている。その間、リュウイチはリュキスカ以外の女に本当に手を出している様子が無い。


 いや……それはあのグルギア女奴隷があまりにも貧相すぎてリュウイチ様の興味を引かなかっただけだったのでは?


 ルキウスはすぐに頭を振った。リュキスカも決して肥えているわけではない。リュキスカの体系がリュウイチの好みだというのなら、グルギアはリュウイチの好みに近い可能性もあるくらいだ。マルクスはそこを狙ってグルギアを選んだのだろう。ということは、やはりグルギアがどうとかではなく、本当に女への欲求が少ないと見るべきなのだ。少なくとも、リュキスカが飽きられるまで二~三年程度は今の状況が継続することも見こしておかねばなるまい。


「それで“仕事”を、リュウイチ様に提供なされようというのですか?」


 躊躇とまどいがちに尋ねたアルトリウスにとって、それは相当に理解しがたい理屈だった。客人をもてなすために客人に仕事を提供する……おおよそどこの時代、どこの国の常識にも当てはまらないだろう。

 実際の所、ルキウス自身もそこまで考えていたわけではない。ただ、この場でアルトリウスと話をしていて気が付けば頭の中にあった自分でもハッキリしないモヤモヤとしたものがいつの間にか具体化していた……そんな感じだ。少なくともリュウイチとカフェを楽しみながら談話していた時には、そんなこと全く考えていなかったのだ。ただ、アルトリウスの小言への言い訳を適当に口にしていたらそうなった。そしてアルトリウスに問われたことで、そのアイディアはルキウスの中でハッキリと明確になったのだ。

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