裏路地の密談

第1332話 ルキウスの気づき

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



養父上ちちうえ


 リュウイチとの食後のカフェも終え、食堂トリクリニウムを出て要塞司令部プリンキピアへ杖を突きながら歩いて向かう途中、ルキウスはアルトリウスに呼び止められた。


「おお、早かったなアルトリウス」


 アルトリウスはルキウスと同時に食堂を出たのだが、ルキウスが直接要塞司令部へ向かったのに対し、アルトリウスは一度陣営本部プラエトーリウムの警備を担当する特務大隊コホルス・エクシミウス大隊長ピルス・プリオルクィントゥス・カッシウス・アレティウスに話をしに行っていたのだが、どうやらアルトリウスの用はそれほど長くはなかったようだ。もっとも、仮に用が多少込み入ったものだったとしても、腰をいたわるために片手で杖を突き、もう片手を壁にあてて身体を支えながら普段の半分の歩幅でヨタヨタと歩くルキウスに追いつくことなど、肉体的には絶頂期の若者で鍛え抜かれた現役の軍人であるアルトリウスにとって難しくはなかっただろう。ルキウスも従者の一人でも伴って支えて貰うなり背負ってもらうなりすれば早く移動できそうなものだが、そうした従者をはべらせないのは彼固有の偏屈な貴族嫌いゆえか、あるいは何よりも男らしさが重視されるレーマの文化的価値観が許さぬゆえか、ともかく彼個人が意地を張っているからだった。


「いくつかの簡単な報告と指示だけでしたので……」


 立ち止まったルキウスにアルトリウスが追いつくと、二人は並んで歩き始める。もちろん、ルキウスのペースに合わせてだ。


養父上ちちうえ


 しばらく無言のまま歩いていた二人だったが、裏口ポスティクムを抜けて二つの陣営本部の間を通る裏道に入るとアルトリウスがおもむろに口を開いた。


「うん?」


 ルキウスはシトシトと静かに降る冷たい雨を避けるため、ダルマティカの上から重ね着していた厚手の外套パエヌラのフードを頭に被りながら訊き返す。耳がフードで覆われたことで多少、話が聞こえづらくなったはずだ。アルトリウスはそれがルキウスが小言を聞きたくなくてわざとやったのではないかという気になり、思わず舌打ちしそうになる。せっかく誰にも聞かれる心配の無いタイミングを選んだというのに、少し大きな声を出さねばならなくなるかもしれない。


「どういうおつもりだったのかお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「何のことだ?」


 アルトリウスは小さく溜息をついてから気を取り直して続けた。


「先ほどの、リュウイチ様に情報提供を求めたことです!」


 ルキウスはアルトリウスの声に苛立ちが滲んでいることに気づき、面倒くさそうに口を歪める。


「たしかに我々が一日二日かけねば手に入らない情報をリュウイチ様は居ながらにして、しかも詳細に知ることがお出来になる。 

 それを利用できれば確かに便利でしょう。私もアルビオンニウムであった戦いの詳細を教えていただき、そのすごさを実感しております。

 ですが! それは先ほども申しました通り大協約に抵触します。

 リュウイチ様が勝手におっしゃられたというのならともかく、こちらから求めたとあれば言い訳が出来なくなるでしょう」


 アルトリウスの訴えはルキウスの耳には小言と言うよりは愚痴に聞こえた。ルキウスはその場に立ち止まり、それに気づいたアルトリウスも遅れて立ち止まる。


「アルトリウス」


「何です?」


「私は別に教えてくれとは言っとらんよ」


 その太々ふてぶてしい言い様にアルトリウスは思わずしかめた顔を背ける。


「そのような言い訳が通用するとは思えませんが?」


 ルキウスはアルトリウスの方へ身体ごと向き直ると、杖を持ち直して自分の真ん前に突き、その上に両手を重ねた。


「まぁ聞けアルトリウス。

 お前、リュウイチ様にとって今一番の問題は何だと思う?」


 アルトリウスは話が急に変わったように思え、怪訝けげんそうにルキウスを振り返る。フード越しにアルトリウスの顔を見上げるルキウスの目はいつものように穏やかではあったが、しかし鋭く射抜いぬく様な力があった。


「リュウイチ様にとっての問題……ですか?」


「そうだ、リュウイチ様が今、必要としておられることだよ」


 それはアルトリウスにとってのみならず、リュウイチの存在を知る貴族ノビリタスたちすべてにとっての関心事……つまり、誰もが知りたいと思いつつ誰も知ることが出来なかった謎の一つだった。しばらく答えを探したアルトリウスはブルブルと首を振る。


「……わかりません。

 わかりませんとも……分かるならぜひ教えていただきたいぐらいです。

 もしや養父上ちちうえはお分かりになられたのですか!?」


 尋ねるアルトリウスの目にはルキウスがニヤリと笑ったように見えた。


「仕事だよ。役割と言った方がいいかもしれないな」


 アルトリウスの表情が強張こわばる。もし、アルトリウスが全身を体毛に覆われたハーフコボルトではなく、顔面の皮膚が露出していたなら眉間に立てジワが出来ていたのが見て取れただろう。


「リュウイチ様は善良な御方だ。人の役に立ちたいと望んでおられる。

 だから膨大な金貨や魔法薬ポーションを出すことをいとわないし、聖遺物アイテムも惜しまない。

 誰かが困っていれば喜んで御助けになられるだろう。

 実際カール閣下も助けたし、リュキスカ様もその子も助けた。

 貴重極まりない万能薬エリクサーさえ使って見せた」


「そ、それはそうでしょう。

 ですがそれは……」


 してもらっては困る……それが彼らの本音だった。この世界ヴァーチャリアの秩序の根本をなしている大協約は、ゲイマーガメルもたらした強力すぎる「《レアル》の恩寵おんちょう」によって、再び社会が混乱し世界人類が滅亡の危機に陥るのを防ぐために定められたものだ。そしてリュウイチが所有しているであろう膨大な財産、そして強大な魔力は大協約が危険視している「《レアル》の恩寵」そのものなのである。リュウイチが力を使うこと……それ自体が大協約の趣旨に真っ向から歯向かうものなのだ。

 アルトリウスにしろエルネスティーネにしろルキウスにしろ、貴族たちはそうだからこそリュウイチを軟禁状態に置き、リュウイチの降臨そのものを秘匿することにした。世間にリュウイチの存在が知れ渡れば、その力を利用しようとするものや恩恵にあずかろうとする者が必ず現れる。ルキウス達自身もそうなのだから、領民たちも挙ってとなれば収拾のつかない事態になりかねない。だからリュウイチの存在自体を秘密にし、自分たちだけで匿い、その恩寵を誰にも独占されないようにしつつ自分たちだけが優先的に恩恵にあずかれるように色々と画策していた。

 リュウイチもルキウスたちの意図に気づいていたのかどうか、少なくとも大協約が何を危険視しているかは理解し、それを尊重して自らを軟禁状態に置いて協力してくれている。ただ、それは同時に「何もしないようにする」ということでもあった。


 何もしないことが一番役に立つ……それは世の人の役に立ちたいと願う善良な魂にとって、この上ないほど残酷な事実であろう。それは自らの存在そのものの全否定に他ならない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る