第311話 母子再会

統一歴九十九年四月二十八日、午後 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 あたりは明るいが時折冷たい雨がちらつくアルトリウシアらしい秋空の下、マニウス街道を南下してきた豪華な馬車の車列は、マニウス要塞城下町カナバエ・カストルム・マニの住民たちが街道沿いから見守る中へ要塞正門ポルタ・プラエトーリアへと入っていく。サウマンディアから来た使者たちの車列が来た時とは違い、住民たちが花弁はなびらを撒いたり激しく歓声を上げたりすることはなかったが、上級貴族パトリキの権威付けのために動員された被保護民クリエンテスたちが街道沿いまで出てきて手を振ったり敬礼したりするくらいはされていた。

 常に世間に対して権威を示さねばならない上級貴族パトリキの車列であるにもかかわらず、このような申し訳程度のサクララウディケーニの動員で済ませているのは、これがこれからしばらく続く日常の一部であるからに他ならない。


 車列はアルビオンニア女属州領主ドミナ・プロウィンキアエエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人とその家族たちのものだった。用向きは明日の日曜礼拝をマニウス要塞カストルム・マニにいる侯爵公子カールと共にするためである。エルネスティーネは降臨者リュウイチの下へ人質として差し出されている息子カールの様子を見に行くためにも、毎週の日曜日をマニウス要塞カストルム・マニで過ごすことに決めていた。


 誰よりも大切なたった一人の跡取り息子の事を、エルネスティーネは片時も忘れたことはない。それどころか前回マニウス要塞カストルム・マニから帰って以来ずっとカールの事が気になって仕方がなかったくらいだ。

 何しろ、カールは生まれて初めて家族の下を離れて暮らしているのである。いくら侍女たちはそのままカールの側に仕えているとはいえ、普段から気にかけている存在が急に目の届くところから居なくなって気にならない方がおかしいだろう。

 だから要塞司令部プリンキピアの前で馬車から降り、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアマニウス要塞カストルム・マニの幕僚たちや、たまたま要塞カストルムに来ていたアイゼンファウストの郷士ドゥーチェメルヒオール・フォン・アイゼンファウストといった重鎮たちの挨拶を受けているときも、エルネスティーネの気持ちは浮ついたままで、普段のエルネスティーネからは考えられないような落ち着きのない状態だった。どこか上の空で、聞かされる話が半分も頭に入ってこない。


 本当はマニウス要塞カストルム・マニに付き次第、夕食までの時間で会議が行われる予定だったが、エルネスティーネのいつもとは違う様子に気づいたルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵の計らいで会議は後日延期となった。

 予定されていた会議は急がねばならないようなものでもなかった。元はと言えば、公爵夫人エルネスティーネにはマニウス要塞カストルム・マニへ着いたらそのまま休憩していただいて、マニウス要塞カストルム・マニに来たついでに翌日か翌々日の空いてる時間にでも会議の場を設けましょうという程度のものだったのだが、ハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱以来…いや、リュウイチの降臨以来というべきか…ずっと気を張っていたエルネスティーネが必要以上の生真面目さを発揮して「いいえ、私が到着し次第やりましょう。」と無理矢理ねじ込んだものだったのである。


侯爵夫人エルネスティーネ、やはり会議は後日にしましょう。」


 ルキウスにそう言われたとき、エルネスティーネは内心で喜びが沸き起こるのを抑えきれなかった。そんな自分に後ろめたいものを感じつつ、エルネスティーネは遠慮しようとする。


「でも…」


「実は次の会議で話すべき議題の一つが、まだ準備ができていなくてね。

 むしろ、一日二日延期してくれた方が無駄が無くせそうなのだよ。」


 アナタのその様子では話に身が入らないだろう…と、正直に指摘すればエルネスティーネは却って意固地になっただろうし、恩着せがましくしてもエルネスティーネは余計に遠慮しただろう。あくまでも自分の方の都合がつかないからという形にすることで、ルキウスはエルネスティーネに会議の延期を認めさせた。

 むろん、そうしたルキウスの気遣いに気付かないエルネスティーネではなかったが、彼女は素直にルキウスの申し出を受けることにした。

 別室に待機させていた娘たちを迎えに行き、そこから一緒に裏口を通ってカールの待つリュウイチの陣営本部プラエトーリウムへと急ぐ。


 上級貴族パトリキたるもの、他人に急ぐ姿など見せるものではない。常に落ち着き、優雅に立ち振る舞い、威厳を保たねばならない。走るなどもってのほかだ。しかし、走ることまではしないまでも、エルネスティーネは足の運びを無意識に早めてしまっていた。胸の高鳴りが抑えられない。


 落ち着くのよエルネスティーネ。さっきみたいな失敗は許されないわ。次の相手は《暗黒騎士リュウイチ》様なのよ。失礼のないように、最初にリュウイチ様にご挨拶して、カールに会うのはそれから…


 陣営本部プラエトーリウム正面玄関オスティウムまで来たエルネスティーネは娘たちと共にいったん立ち止まり、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。振り返り、娘や御付きの侍女たちにも「いいこと、失礼のないようにしなければなりませんよ。」と言いつけ、玄関ホールウェスティブルムへ進んだ。


「まあ、カール!!」


「母上!!」


 玄関ホールウェスティブルムを抜けた先の中庭アトリウムで出迎えてくれていたのはカールだった。もちろん、近くにはリュウイチもルクレティアもほかの使用人たちもいたが、カールの姿が目に映った瞬間エルネスティーネの頭からそれらのすべては消え去っていた。

 思わず両手を広げて駆け寄り抱きしめる。


 ついさっき「失礼のないように」と厳しい顔で注意しておきながら、秒でそれを忘れてしまった母親の後ろ姿に、長女ディートリンデは呆れを隠し切れない。


「母様!!」


 しかし、エルネスティーネにその声は届いていなかった。愛しい息子を抱きしめ、目に涙をにじませながらキスと抱擁を続ける。


『いいんだよ…えっと、ディートリンデちゃんだったかな?』


「はい、憶えていただいて光栄に存じます、リュウイチ様。

 ディートリンデ・フォン・アルビオンニアでございます。

 弟のカールがお世話になっております。」


 リュウイチにそういわれたディートリンデはリュウイチの方を向くと背筋をピンと伸ばし、スカートをわずかに摘まみ上げてお辞儀した。ランツクネヒト族の女性の挨拶であった。


『はい、ご丁寧にどうも。元気にしてたかな?』


「ありがとうございます。

 おかげさまで心健やかにすごさせていただいております。

 リュウイチ様の方こそご機嫌いかがでございましょうか?」


『はい、おかげさまで快適にすごさせていただいております。』


「リュウイチ様、こちらは妹のエルゼでございます。

 エルゼ、さあご挨拶よ、できる?」


 十二歳の子供にしてはヤケにちゃんとした挨拶に貴族おそるべしと内心舌を巻きながらリュウイチは苦笑いを浮かべる。ディートリンデは妹を呼び寄せると、その両肩に手を置いて挨拶させようとする。


「エルジェ・フォン・アユビオンニヤです。」


 エルゼはリュウイチの顔をジッと見上げたまま教えられた挨拶を口にする。まあ、三歳児ではこんなもんだろう。


『はい、御機嫌よう。』


 リュウイチがしゃがみ込んで微笑むと、エルゼはペコっと頭を下げてからディートリンデの後ろへサッと隠れてしまった。


「エルゼ!駄目よ、もう…ご無礼をお許しください、リュウイチ様」


『いや、大丈夫だから気にしないで。』


 謝るディートリンデにリュウイチが頭を掻きながら慰めると、カールとの再会の抱擁に満足したらしいエルネスティーネが立ち上がり、リュウイチに改めて挨拶をしはじめた。


「リュウイチ様、カールの世話をしていただきありがとうございます。

 深く御礼申し上げます。」


『いえ、そういう約束ですからお気になさらずに…さあ、ここでは何ですから奥へまいりましょう。』


 たった四日、たった四日会わなかっただけだが、それでもエルネスティーネとカールの母子にとって初めての別居であり、四日ぶりの再会はこれからも続くであろう長い人生の中での記念すべき一大イベントであった。

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