第310話 触れたくない話題
統一歴九十九年四月二十八日、昼 - 《
「毎度ぉー!干物持ってきたよぉー!?」
正午はとうに過ぎたが昼食客がまだ減らない《
セーヘイムから《
それにしたところで、こんな忙しい時間に届けなくてもよさそうなものだが、それはウオレヴィ橋が通れなくなったことが影響している。鮮魚と時間をずらして届けるのが普通とはいえ、以前なら午前中には届けていたのだ。それが遠回りしなければならなくなったせいでこの時間に届けざるを得なくなっている。受け取る側とすれば、それならそれでもっと遅い時間に届けてもらいたいところだが、今度は運ぶ側の都合が悪い。昼食客が引いて店に余裕ができた時間を狙って届けると、セーヘイムに帰り着くのが遅くなりすぎてしまうのだ。
魚介を市場で売ったり店に納品するのは女の仕事なのである。いくらセーヘイムのガミガミ女といえども、日が暮れて一人で平気で歩けるほど腕っぷしが強いわけではない。威勢は良くても女…男に本気で襲われればひとたまりもない。日があるうちに確実に帰り着けるように…と考えると、どうしてもこの時間帯にならざるを得ないのだ。
「おぅリトヴァか、ちょっと待ってくれ!
ハンナ!ペッテル呼んできな!!」
厨房スタッフの一人が皿を洗っていたヒトの少女に命じると、少女は「はい!」と返事をし、エプロンで手を拭きながら奥へ駆けていく。
「慌てなくていいよ、ハンナ。
干物は腐らないからね!」
干物を運んできたガミガミ女は少女の背中に声を投げかけると、肩にかけた手拭で額の汗をぬぐう。
「なんだい、お疲れか?
荷馬車なんだろ?」
「そうだけど、そこでドブ板が抜けて車輪がはまっちまってさ。
ドブから荷馬車押し出すのにチョイと苦労したんだよ。」
《
「そりゃ災難だったな。
まさか一人で押し出したのか!?」
「バカ言わないどくれよ!
近くにいた男衆に手ぇ借りたさ。」
厨房スタッフと無駄話をしていると奥からペッテルが出てきた。
「手ぇ休めてるとまた店長にドヤされるぞ!
リトヴァ、ご苦労さん。」
「あれ、男手はアンタ一人かい?」
「ああ、悪いな。昼食客がまだ引かないからみんなまだ忙しいんだ。」
荷馬車から荷下ろしを手伝ってくれるのは今日もペッテルとハンナだけらしい。ハンナは真面目でやる気は十分なのだが、まだ十歳の女の子だから体力的には期待できない。ペッテルは成人した男だが、事務屋で体力はあまりない。ブッカなのでヒトよりは筋力があるはずなのだが、普段から重い荷物を運んでいるリトヴァにはかなわない。
つまり、これから荷下ろし作業をするのにリトヴァが一番頑張らなきゃいけないということだ。そして実際にそうなった。積み荷を降ろし終えたとき、リトヴァは軽く汗ばむ程度だったにもかかわらずペッテルは汗まみれになってゼェハァと肩で息をしている。
「ブッカの癖に情けない男だねぇ。ヒトの男の方がまだ力があるよ。
ねぇハンナ?」
リトヴァはグロッキーになっているペッテルを見ながらぼやいた。
ゴブリンはヒトの十歳児ぐらいの体格で体力もそれくらいだ。それがゴブリン系種族であるホブゴブリンとブッカになると、背丈は成人男性でも五ぺス(約百五十ニセンチ)を上回るくらいでヒトより低いが、筋肉量はヒトの二倍近くになり、筋力はだいたい一・四~一・五倍くらいになるのが普通だ。その代わりヒトに比べてスタミナがない。
ペッテルはブッカだが慢性的な運動不足なため、腕力はヒトと同じくらいしかなく、腕は見るからに細い。
「うるさい、俺は事務屋なんだよ。
ハンナ、お茶くれ!」
子供のころからのコンプレックスを女に無遠慮に
「チョイと、お茶飲んでる暇があったら納品確認急いどくれよ!」
店の片隅に積まれた空き箱の上に腰を降ろし、ペッテルは呼吸を整える。本当ならリトヴァが言ったように納品を確認して受け取りにサインしなきゃいけないのだが、今ペッテルはそれどころではなかった。
「ま、まあ待ってくれ、アンタの分も用意するから…ハンナ、リトヴァの分もお茶用意してくれ…ああ、お前の分もだ。」
「あら、随分気前がいいじゃないか、ごちそうさん」
リトヴァはそう言うとペッテルの隣に腰を降ろし、ちょうどハンナが持ってきた
「それにしてもここんとこ景気悪いのかい?
干物も燻製も塩漬けも、アタシが納める分が減ってるみたいじゃないか…」
「ああ、いや、景気は悪くなってないよ。」
「じゃ、なんで減ってんだい?」
「ほら、
それをあて込んで先週仕入れを増やしたんだが、肝心の客が増えなくてさ。干物だの燻製だのがダブついちまったんだよ。」
ところが来たのは先遣隊の二百名ほどだった。
干物や燻製などは日持ちするから余ったとしても店の損害にはならないが、ダブついてしまった分は仕入れを減らして調整せざるを得ない。そのせいでここ数日、リトヴァが納める商品は減っていたのだ。
「ふーん、アタシゃまた客足が減ったのかと心配したじゃないさ。」
「そりゃ大丈夫だ。
「ふーんそうかい。そうなってくれりゃアタシも儲かって助かるよ。」
「期待していいと思うぜ?」
明るい見通しを聞かされリトヴァが笑うと、ペッテルも笑顔を見せた。そのペッテルの笑顔を見てリトヴァが意味ありげにニヤリと笑うと、ペッテルは慌てて顔をそらしてお茶を啜る。
「へーん…その前に荷下ろし手伝ってくれる人、増やしとくれよ。
そういやリュキスカはどうなったんだい?」
リトヴァの口から唐突にリュキスカの名前を出され、ペッテルは啜っていたお茶が気管に入ってしまってむせてしまった。
「うぐっ!ゲホッゲホッ!…リュ、リュキスカ!?」
「何やってんだい、大丈夫かい?」
「だ、大丈夫…ヴフッ!ゲホッ、ケホッ!」
「そうだよ、あの子がいたころは荷下ろし手伝ってくれてたのにさ。
いなくなっちまったんだろ?」
ペッテルはリュキスカの事はリクハルドやラウリたちから直接口止めされている。下手なことをしゃべるわけにはいかない。自然と生返事を返すことになってしまう。
「あ、ああ…そうだな…」
「何だい、歯切れが悪いね。
あれからまだどうなったのかわかんないのか?」
「ああ…わかんないみたいだな…」
「これからヒトの客が増えようって時にいなくなっちまってさ。
なんだか
「ああ、そうだな。」
ペッテルの様子を少し不快に感じたリトヴァは少しばかり大きい声を出した。
「何だい、アンタだって心配なんじゃないのかい!?」
理由はわからないがペッテルはリュキスカの話に乗り気じゃないらしい。行方不明になってしまった共通の友人の話題を避けようとするほど、リトヴァの知るペッテルは冷血漢ではないはずだ。となれば、
「いや、も、も、もちろん心配だよ!」
「…その割にゃ心配そうに見えないじゃないさ。」
「いや、心配はしてるよ。ラウリの親分だって探してんだ。」
「ふーん、あの子ってホントに親戚とか友達とかいないのかい?
いたらきっと心配してるだろうに…」
「あ、ああ…ホントにそういう人はいないらしいよ?」
その後もリトヴァは何故かリュキスカの話を根掘り葉掘りと続け、ペッテルは居心地の悪い休憩時間を過ごすことになってしまった。
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