第312話 ヘルマンニ家の夕食

統一歴九十九年四月二十八日、夕 - セーヘイム・ヘルマンニ邸/アルトリウシア



 セーヘイムのブッカたちは元々北半球から流れてきて、大戦争の遠因になったとされる大災害によって、無人地帯と化していたアルトリウシアへ最初に移住した人たちの末裔まつえいである。彼らの先祖は降臨者グリームによって《レアル》ヴァイキングの文化・文明をもたらされたが、地球をほぼ半周してアルトリウシアへたどり着くまでの長い旅の途中、そしてアルビオンニアへ版図を拡大してきたレーマ帝国への平和的併合を受け、ヴァイキング以外からの多くの文化・文明の影響を受けてしまっている。

 彼らの先祖たちが故郷ヘルガフェルを捨てて旅立ったころの暮らしがどうだったのか、詳しいことはもうほとんど忘れ去られている。それどころか、伝承にあるヘルガフェルがどこを指す地名なのかすら、今では誰も知らない。

 しかしそれは、決して彼らや彼らの先祖たちがヴァイキング文化を大切に守ろうとしなかったことを意味しているわけではない。土地が変われば手に入る食材も変わるし、生活様式も環境に合わせなければならない。彼らの先祖たちは赤道を越えて北半球から南半球へ流れてきたのだ。文化も文明も、環境が変わればそれに適応するように変えていかねばならないのは仕方がないことだったのである。


 このため、元々彼らの食文化には“煮る”という調理法しか無かったものが、今では“焼く”“あぶる”“揚げる”“蒸す”といった様々な調理法を取り入れるに至っている。お茶やコーヒーだって昔は無かった。生水は危険で飲めないから飲み物は酒だけ…子供はアルコール度数を低く抑えたビールを飲んでいた。蜂蜜酒ミードもあったが贅沢な高級酒という位置づけだ。それが今ではお茶やコーヒー、酢水ポスカ果汁飲料テーフルトゥム、そしてメルカ(山羊乳や羊乳のヨーグルトをベースに作る飲料)やミルクといった具合に、ノンアルコール飲料だけでもかなり豊富な飲み物が飲まれるようになっている。


 セーヘイムを治める郷士ドゥーチェヘルマンニの食卓も実にバラエティー豊かだった。スライスしたハムにチーズ、蒸した牡蠣カキ、貝と魚のスープといったサイドメニューはほぼ毎日食卓を飾っているレギュラーメンバーだ。大麦の粥やパンは朝食か旅先で食べるもので、普段の夕食には並ばない。肉が主体で野菜が少ないのはいつものことである。

 今晩のメインは香草ハーブと共に煮込んだ豚肉だ。それが乾パン並みに硬く焼いた固焼きパンで作られた皿の上にドッカと塊で載せられて、各自の目の前で湯気を立てている。

 ヘルマンニは蝋燭の灯りに照らされた御馳走と、それを囲む家族たちの顔を眺めながら、息子嫁の作った黒ビールをグビリとやる。


「それで、『バランベル』号は揚がったんですか?」


「ああ、まあな…随分と手間取っとったが、浜には揚がったよ。」


 妻のインニェルに答え、ヘルマンニは愛用の角杯リュトンを銀の台座に置くと、目の前の肉塊を鷲掴みにしてかぶり付いた。


「それは良かったわ。早く船を直してどこかへ行ってくれたらいいのに。」


 海獣の骨を削って作った見事な細工のスプーンでスープを口元へ運びながらインニェルが愚痴をこぼす。


「直りそうだったのか、親父?」


「どうかな…外からしか見ちゃおらんから、どういう壊れ方をしとるのかわからん。」


 サムエルの質問にはそう答えたが、ヘルマンニ自身は棟梁から聞いた話から修理は難しいだろうと思っていた。

 棟梁は引き揚げ作業の下見で船倉に潜ったとき、船倉に小麦や大麦の粒が漂っているのを見つけていた。ハン族たちは沈没の原因について話してくれなかったが、おそらく船倉に積んでいた穀物が浸水で水を吸って膨張し、船体を内側から壊したのだろう。普通なら船体がバラバラになるはずだが、積んでいた穀物の量が少なかったのか幸運なことに船体がバラバラになるほどではなく、着底後に船倉から穀物を搔き出したことで内圧が減少し、膨らんでいた船体が元に戻ったのかもしれない。

 座礁したときに空いた穴だけが原因なら修理は簡単なはずだが、船倉に積んでいた穀物が膨張したせいだったとしたら、破壊の程度がどこまで及んでいるか見当もつかない。そうだとしたら外板は全部外して水密処理コーキングをやり直す必要があるだろうし、場合によっては骨組みも壊れているかもしれない。そうなるとあの規模の船となるとセーヘイムの船大工たちでは経験も技術もないから修理できないだろう。


「お前の方はどうだったんじゃサムエル?

 今日は軍港カストルム・ナヴァリア再建の下見だったんじゃろ?」


 ヘルマンニが肉塊を掴んでいた手をペチャペチャと舐めながら息子に問いかけると、サムエルは困ったような顔をしてため息をついた。


「それがどうも面倒くさいことになった。」


「面倒くさいこと?」


 手に取った角杯リュトンにヒョットコみたいに口を伸ばしながらヘルマンニは視線だけを息子に向ける。


「今回はキュッテル商会が絡んできたんだよ。」


「リーボー商会じゃなくてか?」


 意外な名前に皆が驚き目を丸くする。

 キュッテル商会は侯爵家の御用商人だが、アルトリウシアでの実績はほとんどない。以前はアルビオンニウムを中心に、アルビオンニウム放棄後の現在ではズィルパーミナブルクに拠点を移して侯爵家の領地であるライムント地方とクプファーハーフェンで商売を続けている。

 アルトリウシアの海軍基地カストルム・ナヴァリアは侯爵家の財産ではあるが、そこの取引はいままでずっと子爵家の御用商人であるホラティウス・リーボーが受け持っていたのだ。


「ホラティウス・リーボーさんトコは忙しいから軍港カストルム・ナヴァリアはキュッテル商会が受け持つんだってさ。

 多分、軍港カストルム・ナヴァリアは侯爵家のものだからって侯爵夫人エルネスティーネにねじ込んだんだぜ、きっと。」


 キュッテル商会のアルビオンニア支部を率いているグスタフ・キュッテルはエルネスティーネの実兄だが、あまり良い噂を聞かない人物である。サムエルがグスタフにどんな印象を持っていたのか、それが今日実際に会ってどう影響したのかは分からないが、今のサムエルの態度からは好ましい接触とはならなかったのだろう。


「キュッテル商会との直接の取引は今回が初めてじゃ。最後でもないじゃろう。

 あんまり変な溝は作ってくれるなよ?」


 郷士ドゥーチェらしく釘をさすヘルマンニに、サムエルはねるように愚痴をこぼした。


「そういうなら親父がコッチ来てくれりゃよかったのに。

 俺ぁ『バランベル』号の視察の方がよかったよ。」


「バカ言え、軍港カストルム・ナヴァリアはこれからお前が引きつがにゃならん財産だ。『バランベル』号なんかどうでもええわい。

 それに・・・」


「それに、何だよ?」


「・・・それに、イェルナクよりキュッテルの方がまだマシじゃろうが」


 ヘルマンニは視察に訪れたエッケ島でずっとイェルナクに付きまとわれていた。ムズクと一緒に引き揚げ作業を見ている間だけは大人しかったが、それ以外の時のイェルナクのしつこいことしつこいこと・・・やれ「昨日、アイゼンファウストで上がった煙は何だったのですか!?」とか「サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの増援はいつ、だれが来るのですか!?」とか、「復旧復興の具合はいかがですか?」とか・・・もう鬱陶しいったらなかった。

 そのくせ、保護した者たちや捕虜たちの名簿はまだできてなかったし、この間渡されたトイミ事件の犯人の首について「トイミの仲間たちに見せたら『コイツじゃない』と言ってたぞ」と問い詰めてもしらを切るし、エッケ島北に作っている砲台について聞いても「見張り台だ」とか言って韜晦とうかいを繰り返すばかり。彼らがしたという女性ブッカたちに会わせろと要求してもゴチャゴチャよくわからない理由を付けて会わせようとしない。最後は『バランベル』号引き揚げ成功の御礼に御馳走を用意しましたとか言われたが、すでにうんざりしていたヘルマンニは丁重にお断りして帰ってきたのだ。

 イェルナクの名前が出てきたせいで食卓の雰囲気が暗く沈んでしまう。場の空気を換えようとインニェルがパンパンと手をたたき、場違いなくらいに明るい声をあげた。


「さあさっ、暗い話題はおしまい!

 話が暗いとせっかくのお料理がおいしくなくなっちゃうわ。

 そういえば聞いた?

 ウオレヴィ橋の再建が始まったらしいわよ。資材がようやく届いたんですって。」

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