第313話 再燃

統一歴九十九年四月二十九日、朝 - 《陶片テスタチェウス》リクハルド邸/アルトリウシア



 レーマ帝国では貴族ノビリタスたちは朝食が終わると被保護民クリエンテスたちの表敬訪問サルタティオを受ける。リクハルドは南蛮サウマン生まれの元海賊で、被保護民クリエンテス表敬訪問サルタティオを毎日受けるような習慣は持ち合わせてはいなかったが、現在はアルトリウシアで郷士ドゥーチェに取り立てられており、ひとかどの下級貴族ノビレスとなっている身だ。それなりにレーマ帝国の慣習にも従わねばならず、面倒だとは思いつつも表敬訪問サルタティオを受けるようにはしていた。

 ただし、基本的には側近たちに伺候サルタティオという形でいろいろ報告させるのが常であり、たいして重要ではない被保護民クリエンテス表敬訪問サルタティオを受けるのは本当に時間が余ってる日に限られていた。

 手下たちの伺候サルタティオも毎日ではなく、特に重要なことでもなければ日替わりに数日に一回ぐらいのペースで受けるのが普通である。まあ、週に一度くらいは主だった手下を一堂に集めて情報の共有化を図ることもあるが、毎日はしない。そんなのは無駄でしかないからだ。

 しかし、リクハルドは今日は主だった手下たちを一堂に集めていた。別に定例の会議ではない。気になることがあったためだ。


 草を編んで作られたマットを敷き詰めた大広間に、元海賊たちが椅子と呼ぶには低すぎるクッションに腰かけ、ほぼ胡坐をかくような姿勢で左右に向かい合わせで並んで座っている。それぞれの目の前には一ぺス(約三十センチ)四方の小さなテーブルが置かれ、その上には香茶の入った茶碗ポクルムと、刻んだ塩漬け昆布と、お菓子が載せられている。


「例のリュキスカの件だが…どうもおかしな雰囲気になってるみてぇだ。」


 銘々、挨拶を済ませた後、リクハルドは上座に腰を降ろしたままおもむろに話を切り出した。


『満月亭』ポピーナ・ルーナ・プレーナにいたヒトの娼婦ですよね?」


 知っているはずのパスカルがあえてそのように質問するのは、出席者全員にリュキスカについて確認させるためだった。


「そうだ、例の正体不明の御大尽に連れ去られ、翌日にアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアが身請けに来たって奴だ。

 その後、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの…」


「クィントゥス・カッシウス・アレティウス」


 リクハルドが思い出せずに話が詰まると、ラウリがすかさず補足する。


「おう!そいつだ。そのカッシウス・アレティウスって大隊長ピルス・プリオルが口止めとリュキスカの身元を洗ってくれってぇ言ってきてる。

 まあ、十分な金はもらってるわけだ、な?」


 リクハルドがそう言うとラウリはこくりと頷き、続きを説明する。


「幸い、あの直後にイェルナクの野郎がセーヘイムに来てくれたおかげで、リュキスカの事なんざ誰も噂しなくなりやした。おかげさんで、口止めの方はてえした苦労もなく済みそうだった。」


「済みそうだった…ということは、済まなくなっているのですか?」


 ラウリの説明を受けてパスカルが質問すると、リクハルドがポンと膝を叩いて全員の注目を集めて話し始める。


「どういうわけか、ここんとこ今更リュキスカの事を調べようとする奴らが現れ始めた。一人や二人じゃねぇ。

 アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子…は、もともと頼まれてた。コイツぁリュキスカの身請けにも関わってるから不思議はねぇ。

 だが、昨日は侯爵家の御用商人グスタフ・キュッテルがオレっちのトコに銀貨を積んできやがった。リュキスカの身元を洗ってくれとよ。」


「キュッテル…は、やっぱり子爵公子つながりでは?」


 グスタフ・キュッテルはエルネスティーネの実の兄であり、そのつながりから侯爵家の御用商人になった男である。当然、アルビオンニアの貴族ノビリタスたちとは親交があり、アルトリウスとも交流はあるはずである。

 リュキスカを身請けしたの正体はいまだに不明だが、アルトリウスが関係している以上キュッテルも関係していたとしても不思議ではないはずだ。


「いや、子爵公子アルトリウスとは別口みてぇな雰囲気だったなぁ。」


子爵公子アルトリウスカッシウス・アレティウスクィントゥスってぇ大隊長ピルス・プリオルを使って俺らに話を通してんだ。金だってカッシウス・アレティウスから受け取ってる。今更キュッテルを通じて話を持ってくるこたぁねえだろうよ。」


 リクハルドが腕組みしながらパスカルの疑問に答えると、ラウリが追い打ちでもかけるかのように否定する。

 たしかにとリュキスカにはアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団レギオーごと関わっているのは疑いようがない。軍団長レガトゥス・レギオニスであるアルトリウスがリクハルドに口利きに来たうえ、この件はクィントゥスを窓口にすると宣言してしまっている。そして口止めと身元調査について、クィントゥスから十分な銀貨が支払われていた。

 その後、クィントゥスはラウリを訪ねて身元調査を急ぐよう発破はっぱをかけて追加料金を払って行った。アルトリウスもリクハルドに似たようなことを頼んできているが、それはクィントゥスの調査がうまくいくように根回しをしたようなもので、その追加料金はアルトリウスからは払われていない。

 つまりこれはアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアから金が払われていると認識して間違いないはずだ。口止め工作と身辺調査はアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの依頼ということになる。


 グスタフは確かにアルトリウスとつながりはあるかもしれないが、グスタフは侯爵家の御用商人である。つまりアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアの関係者ではあるが、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの関係者ではない。アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの関わっている事柄にグスタフが公式に関わることなど、基本的にはあり得ないのだ。もし、御用商人を動かすとしたら、子爵家の御用商人であるホラティウス・リーボー家の誰かだろう。

 にもかかわらずグスタフが出てきた。しかも銀貨を払って行ったということは、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアとは全くの別口だと考えるべきである。


「ということは、元々の依頼者であるアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアとは全く異なる依頼元が存在しているということですか…となると、侯爵家か、アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア?」


 パスカルが推理を巡らせるとラウリがそこへ更なる情報を追加する。


「それだけじゃねぇようだ。

 《陶片テスタチェウス》のあちこちで、最近リュキスカのことが妙に話題になってやがる。

 昨日もたまたま『満月亭』ポピーナ・ルーナ・プレーナへ行ったら、出入りの商人と店の従業員がリュキスカの話をしてやがった。」


「ああ、そういやウチの店もそうだったぜ。」


 ラウリの話を聞いて伝六でんろくが思い出したように言うと、「そういえば」と居並ぶ手下たちが次々と言い始めた。


「おいおい、随分と多すぎるじゃねぇか!?」


 誰かが探りを入れようとしているらしいことは気づいていたが、どうやらリクハルドたちの予想以上に盛んに情報収集が仕掛けられていたようだ。


「これは…ただ事ではないようですね。」


「どうも、リュキスカに興味を持ってる奴が随分いるみてぇだな。

 キュッテルグスタフが来たってこた上級貴族パトリキたちのゴタゴタだろうたぁ思ったが、それにしたって規模が大きすぎらぁ。」


 アルトリウシアには領主貴族パトリキは侯爵家と子爵家の二家しか無い。その二家はいわば蜜月関係であり、互いに争うことはまず考えにくい。仮に争うようなことがあったとしても、リュキスカの身元を調べたいだけならアルトリウスのルートとキュッテルのルートの二系統の調査で済むはずだ。

 だが、《陶片テスタチェウス》で行われている情報収集は規模からして二系統どころではない。第三、第四の勢力がリュキスカの身元を調べようとしているのは明白だった。


「この件で子爵家か、せめてアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアに何とか食い込むつもりだったが、どうも只事じゃねぇな。」


「侯爵家と子爵家以外の上級貴族パトリキが関わってる可能性が高いですね。」


「こりゃ上級貴族パトリキに食い込むどころか、下手な立ち回りをすりゃぁ逆に食いつぶされるかもしれやせんぜ。」


 パスカルとラウリが相次いで言うと、列席していた手下たちは上座でうなっているリクハルドに目を向けた。


「まずは、誰がリュキスカに興味を持ってんのか調べにゃなるめぇよ。」

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