メルクリウス団
うごめく陰謀
第314話 ファンニとダイアウルフの新しい仕事
統一歴九十九年四月二十九日、昼 - アイゼンファウスト/アルトリウシア
セヴェリ川の南に広がるアルトリウシア平野・・・地平線の向こうまで続くその広大な
そちらの作業は順調だったが同時に進行するはずだった河岸の除草作業の方は、野焼きというアルトリウシアでは初めてとなる火を使った除草方法が成功を収めたこともあって、予定よりもずっと早く完了しそうな雰囲気ではあった。しかし、その直後にアルトリウシア平野から聞こえてきたダイアウルフの遠吠えに、作業員たちが怯えて逃げ出してしまい、作業は中断してしまっていた。
以後、人が集まらなくなっている。セヴェリ川の向こうにダイアウルフが潜んでいるという噂が、人々を
だが、本格的にハン騎兵が来るのなら
何とか人々の不安を取り除かねばならない。だが、
ダイアウルフが居ることを前提にアイゼンファウストの南側数マイルの範囲を、兵を配置して守るのは不可能だ。ならばどうする?
ならば居ない時を見計らって作業すればいい。
提案された対策は要約すればそれだった。問題は川向うの葦原にダイアウルフが潜んでいるかどうかを確認する方法だ。何せ距離がある。最大で幅百ピルム(約百八十五メートル)を越える川の向こうに潜むダイアウルフの気配を察することなど番犬を集めたってまず不可能だ。ダイアウルフはその巨体に見合わず気配を消して獲物に忍び寄る能力に非常に長けている。すぐ近くにいても気づきにくいのに、そんな遠距離で気配を察知することなどまずできない。
そこで作戦担当の
一昨日、最初にアルトリウシア平野でダイアウルフが遠吠えしたのは、野焼きの煙を見て興奮したリクハルドヘイムのダイアウルフが遠吠えしたのに応えたものだった。ダイアウルフは仲間やほかの群れの遠吠えが聞こえると遠吠えを返す習性がある。それによって仲間同士の位置を知らせあったり、あるいは他の群との衝突を避けるのだ。この習性を利用してこちら側からダイアウルフに遠吠えをさせたら、アルトリウシア平野に潜んでいるダイアウルフは応えて遠吠えを返してくるはずである。
ゴティクスは昨日、会議の後で早速自ら《
リクハルドがその要請を受けた結果、《
中央にダイアウルフに乗ったファンニ。その周りをラウリと手下たちが囲んでいる街道の真ん中を歩いているのだが、周囲に人は寄ってこない。ダイアウルフの姿を見た住民たちは顔色を変えて街道から離れ、家に逃げ込むか遠巻きに一行を見守っている。
もしも現れたのがダイアウルフだけだったらパニックが起きていただろう。あるいは、無謀な誰かがダイアウルフに石を投げつけるなどして挑発し、ダイアウルフが怒って暴れだすようなことになっていたかもしれない。
だが、周囲をラウリの手下たちが囲み、ダイアウルフの上に少女が乗っていたことからそうした事態は辛うじて避けられていた。
ダイアウルフに跨るファンニはかなり緊張していた。彼女はこれまでこれほど人々の注目を集めたことはない。しかもその視線に宿っているのは恐怖と憎悪だった。緊張というより怯えに近かったかもしれない。「大丈夫よ」「大人しくしなきゃだめよ」ダイアウルフにそう言い聞かせるファンニの小さな声は震えていた。そしてダイアウルフはファンニのそうした感情を敏感に察知しており、遠巻きに自分たちに敵意に満ちた視線を向ける住民たちに対して怒りのような感情を抱いていた。
もし、ファンニを背中に乗せていなかったら、もしも周囲をラウリたちが囲んでいなかったら、もしかしたらとっくに暴れ始めていたかもしれない。
この綱渡りのような緊張状態は、本当にギリギリのところで保たれていたのである。
「おう!来たな、
前方にいた隻腕のヒトの男が一向に気付き、大きな声を上げて手招きをする。ラウリは一行から離れて自分だけ小走りで先行し、男の前まで来ると挨拶を始める。
「アイゼンファウストの
手前、リクハルドヘイムの
「おうよ、俺様がメルヒオール・フォン・アイゼンファウストよぉ。
お見知りおきも何もとっくにご存じだぜラウリさんよ。
お前ぇさんらがアルビオンニウムに流れてきた頃から名は聞いていたし、お互い
「ありがとさんでござんす。
本日はリクハルドの命により、ダイアウルフと羊飼いの娘ファンニをお届けにあがりやした。」
ファンニたちはだいぶ手前でラウリの手下たちとともに立ち止まっており、その周囲をメルヒオールの手下たちが遠巻きに取り囲んでいる。ダイアウルフが暴れだしてもメルヒオールを守れるように態勢を整えているのだ。しかし、それはファンニとダイアウルフたちを余計に刺激していた。ファンニは緊張のため震え始めていたし、ダイアウルフたちは周囲を睨みながら低い
「おう、お前ぇら!
こっちがお願いして招いた大事な客人を怖がらすんじゃねぇよ!」
メルヒオールは一瞬呆れ、手下たちを叱りつけると自分からファンニの方へ近づき始める。
「あ、危険です
「心配無ぇよ、あんな女の子が乗ってんだぞ?」
ひっくり返ったような声でメルヒオールを制止しようとするテオにメルヒオールはことさら明るく楽し気に言うと、ダイアウルフへ向けて足を進める。メルヒオールは顔に笑顔を浮かべてはいるが、内心では極限まで緊張感を高めてダイアウルフの様子をジッと観察していた。
ダイアウルフの方も警戒を解いてはいない。近づいてくるメルヒオールをジッと睨み、かみ殺したような低い唸り声を響かせている。
「駄目よグート!フッタも落ち着いて!お行儀よくして!!」
ファンニはダイアウルフの様子に気付き、慌てて
メルヒオールを睨みつけるダイアウルフの顔がわずかに下がり、そのしぐさに「それ以上近づくな」という意思を読み取ったメルヒオールはそこで歩みを止めた。まだ三~四ピルム(約五メートル半から七メートル半)ぐらいは距離が開いているが、どうやらそれ以上近づくことをダイアウルフたちは認めてくれないらしい。
「ふぅ~、さすがに近くで見るとデケぇな、ええ!?
お嬢ちゃん、名前はファンニと言ったか?
俺はアイゼンファウストの
両手を腰ぐらいの高さで左右に広げ…といっても右腕は途中までしかないが…害意が無いことをアピールしつつ、メルヒオールは笑顔のまま話しかける。
「あっ、ハイッ!えっ!?
「ああ、イイ、イイ!そのまま乗ってろ!」
慌ててダイアウルフから降りようとしたファンニをメルヒオールは制止した。
「でも!」
ファンニはラウリとメルヒオールの顔を見比べながら
「いや、イイってことよ。
お前ぇさんに働いてもらうにゃ乗ったままでいてもらった方が都合がいいんだ。」
「ファンニ!いいから乗ったままでいろ!」
「は、ハイ、旦那様」
ラウリに言われてファンニはようやく落ち着きを取り戻した。
「じゃあ嬢ちゃん、早速だが仕事は聞いてるな?」
「ハ、ハイ!…えっと、セヴェリ川でダイアウルフに遠吠えをさせろって…」
メルヒオールが確認を求めると、ファンニは今朝ラウリに教えられたことを思い出して答える。急な仕事だが特別に報酬がもらえることになっていた。一日やればセステルティウス銀貨一枚…ファンニにとっては大金である。
「そうだ。それで川向うにダイアウルフが居りゃあ、遠吠えが返ってくるだろ?
遠吠えが返ってこなけりゃ川向うにダイアウルフは居ねぇ。ウチの手下どもが安心して仕事ができるって寸法よぉ」
「ハイ…で、でも、アタシ本当に…うまくできるかどうか…」
ファンニは自信が無かった。ダイアウルフたちはファンニを背中に乗せてくれるし、懐いてもくれている。何か命じたり頼んだりするとダイアウルフは言うことを聞いてくれたりもする。だが、ファンニは自分がダイアウルフを従えているという実感が持てないでいた。
さっきもダメだと言ったのに呻るのをやめなかったし、言うことを聞いてくれない時は本当に何も言うことを聞いてくれない。自分はダイアウルフの御守りをしているが、時々ダイアウルフの方がファンニの御守りをしてるんじゃないかと疑いたくなることがあるのだ。
「なあに、心配ねぇ!
今日のところはひとまず試しだ。
無理なら無理で仕方がねぇ、別の手ぇ考えるさ。」
「はい・・・」
「細けぇ
メルヒオールがそういって振り返ると、テオは棒を飲んだように背筋を伸ばした。
「テッ、テオです!よろしくお願いします!!」
緊張のため、声が裏返っている。だが、誰もテオを笑うものなどいない。
「ファンニです!
よろしく、お願いします!」
「で、でで、で、でわ、こ、こちらにお願いします!!」
ファンニが挨拶すると、テオは早速除草作業をする河岸へファンニとラウリの手下たちを案内した。その後ろ姿を見送りながら、ラウリはメルヒオールに駆け寄る。
「しかし、上手くいくんですかね?」
「さあな…」
「ダイアウルフは遠吠えにホントに必ず応えるんで?」
「さあな…だが、そういうことにしときゃぁよ。
少なくとも住民どもは安心できるだろ?」
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