第1379話 ヘルマンニの報告

統一歴九十九年五月十二日・午前 ‐ マニウス要塞陣営本部プリンキパーリス・カストリ・マニ応接室タブリヌム/アルトリウシア



 セーヘイムの郷士ドゥーチェにしてアルビオンニア艦隊提督プラエフェクトゥス・クラッシス・アルビオンニイヘルマンニ・テイヨソンの報告を聞いたエルネスティーネは深い溜息をついた。ヘルマンニの報告はアルビオンニア属州の財政にとって致命傷になりかねない深刻な問題が起きていることを告げるものだったのだ。


「なんてこと……それで、予算は足りているのですか?」


 ヘルマンニの報告、それは海軍基地カストルム・ナヴァリアに貯蔵されていたはずの金が全て消えていたというものだった。基地カストルムにはヘルマンニが束ねるアルビオンニア海軍クラッセ・アルビオンニイの予算も収容されていた。乗員や船大工その他基地職員含め総勢九百人にはなろう将兵の給料、艦隊や基地設備の維持管理費、艦隊整備の積立金、その他諸費用合わせた年間費用は全部合わせて百八十万セステルティウス近くにも達する。デナリウス銀貨に換算して四十五万枚相当……リュウイチから受けている融資の四分の一に近い額だった。

 銀貨四十五万枚……重量にして九十二タレントゥム(約二・七トン)にも達する膨大な量が一挙に焼失した。普通なら考えられないことだが、おそらく叛乱を起こしたハン支援軍アウクシリア・ハンが奪い去ったに違いない。


侯爵夫人マルキオニッサ水兵ナウタどもの給料はセーヘイムの金庫にあった銀貨で何とか間に合わせました。

 じゃが二倍給兵ドゥプリカーリウス以上の分についちゃ、規定通り銀貨でってわけにもいかず……一部、銅貨などで……」


 ヘルマンニの報告に一瞬、足らなかったのかと焦ったエルネスティーネだったが、銅貨で間に合わせたと聞いて溜息と共に肩の力を抜いた。

 レーマ軍の兵士の俸給は基本的に年三回に分けて四か月分を纏めて支払われる。そしてレーマ帝国は納税をデナリウス銀貨での支払いに限定していることから、市場に銀貨を流通させる必要もあって兵士の給料はデナリウス銀貨で支払われることになっていた。一般市民らは納税に必要なデナリウス銀貨を兵士の給料や領主家から御用商人への支払い等を通じて入手しているため、兵士の給料の支払いが遅れるとその後の地域経済と税制に深刻な影響を及ぼす危険がある。

 そして直近の給料月は四月……すなわち先月であった。アルビオンニア艦隊将兵の給料の支払いが遅れているようだという噂はエルネスティーネも聞いていたし、それが侯爵家御破算という噂の根拠の一つにもなっていたのだが、実際には先月中には支払われたと報告があったし、てっきり叛乱事件後の混乱で支払い手続きが遅れていただけだろうと思い込んでいた。が、どうやら問題は思った以上に深刻だったようだ。根本的に貨幣が足らないとなると、アルビオンニア経済を回すため、そしてアルビオンニア侯爵家の信用のためにも、どこかからか銀貨を調達して来なければならなくなる。


「当面は大丈夫……そう考えていいのかしら?」


「少なくともあと三か月は……」


 詰め寄るようなエルネスティーネの口調にヘルマンニは普段の豪勇っぷりが鳴りを潜めたかのうように大人しく慎重に答える。


「それは、次の兵士たちの給料ということですか?」


 エルネスティーネが表情を曇らせながら確認すると、ヘルマンニはコクリと首肯した。


「船は消耗品だ。

 手入れをぬかっちゃ、あっという間に傷んじまいます。

 特に軍船ロングシップ三隻はこの冬に船体に漆を塗りさにゃなりません。

 漆は納品は未だだが今年の初めには発注しちまってるし、その分を支払っちまうと……」


 ヘルマンニ直轄のアルビオンニア艦隊の主力は三隻のロングシップだ。《レアル》のヴァイキングが使った所謂いわゆるドラゴン船である。アルビオンニア艦隊以外の海軍は巨大な戦列艦やスループ艦などを採用しているにもかかわらず、時代遅れにしか見えないロングシップを使い続けるのは、それがセーヘイムのブッカたちが降臨者から受け継いだ造船技術の産物であったことと、彼らのホームグラウンドたるアルビオンニア湾の水深が極端に浅く、大型の戦列艦やスループ艦では座礁の危険性が高いからだった。もちろんロングシップといってもヴァイキングが使っていたものそのままではなく、他文明から学んだ造船技術を盛り込み、火砲も搭載して大幅にグレードアップした、ヴァーチャリア世界独自の船だ。

 しかしどれほど他文明の技術を盛り込もうとも、船と言う乗り物が非常に傷みやすいデリケートな乗り物である点は変わらない。特に木造船ともなれば猶更なおさらで、こまめに手入れしなければ船体には牡蠣カキがびっしり生えてしまうし、船体をフナクイムシに食われて穴だらけにされてもしまう。定期的に陸に揚げて、船体についた牡蠣を掻き落とすのと同時に、船体の下で火を焚いて煙でフナクイムシを燻して駆除しなければならない。大変な手間だ。

 旗艦『ナグルファル』を始めとする三隻のロングシップは、そうした手間を少しでも省くのと同時に、水の抵抗を減らして船足を少しでも速くするために、船体に漆を塗っていた。彼らの船の黒い船体は漆のせいである。漆のおかげでフナクイムシも牡蠣の付着も大幅に防げるようにはなったのだが、漆は紫外線に弱く、直射日光によって劣化してしまう。牡蠣の付着を防げるようになったとはいっても完全にではないし、直射日光によって増進する経年劣化に対処する必要もあって、船体に塗る漆はだいたい半年から一年置きに塗りなおさねばならなかった。

 セーヘイムのロングシップたちはこまめに陸揚げして船体を乾かし、牡蠣の付着を防いでいるが、それとは別に年に一度、屋根付きの船台にあげて船体の漆を全て塗りなおしている。それを海が荒れて海上を行きかう船が減る……つまり軍艦を出動させる必要性がもっとも低くなる冬にまとめてやるのだが、そのための資金が船員たちの給料ごと奪われてしまったのだ。

 ヘルマンニはセーヘイムの郷士でもあるため、セーヘイム行政のための予算を借用することで四月の給料はなんとか間に合わせた。そして発注した漆の代金、冬の間に行う船のメンテナンス費用もなんとか間に合わせることができるだろう。だがその後となるともう保証の限りではない。


「なぜ、もっと早く報告できなかったのですか?」


 頭痛に堪えかねているような苦悶の表情を浮かべるエルネスティーネの疑問はもっともだ。ヘルマンニも申し訳なさそうに表情を暗くする。


「確認に手間取っちまったんでさ」


「確認に?」


「金は海軍基地カストルム・ナヴァリアのいくつかの建物の地下に仕舞っていた。

 だがハン族アイツ等基地カストルム内の建物っちゅう建物を全部火薬で吹き飛ばしてくれましたんでな、ガレキを片づけなきゃ金が仕舞われていたはずの地下倉庫まで入れねぇ。

 おまけにどの建物にいくら仕舞っていたか、記録した帳簿が焼けてなくなっちまっていたし、帳簿係も以来行方不明だ」


 ヘルマンニが説明している間、エルネスティーネは同情半分、責める気持ち半分でジッとヘルマンニを見つめていた。


「それで、報告が今日になってしまったの?」


「もしかしたらハン族アイツ等に全部盗られたのかもしれねぇ……そう気づいたのはガレキを片づけ初めて一週間ほど経ってからでしたわ。

 けど、事が事だけに中途半端な報告は出来ねぇ……そう思ってな。

 金を仕舞ったはずの建物全部調べ終わってから報告することにしたんですわ。

 これでも私も急がせはしたんですがね、何せアンブースティアに人数とられちまってたもんで……いや、こいつぁ詮無い愚痴ですな。

 まぁなんだかんだで最後の建物の調査が終わったのが昨日だった……そう言うことですわぃ」


 説明の最後はまるで自嘲するようであった。

 実際、死体の捜索を始めて間もなく、ヘルマンニは一番最初にガレキを撤去した建物の地下倉庫に仕舞われていたはずの金が消えていたことに気づいていた。まさかとは思いつつも、他の建物の確認を急がせた。が、他の各地区の復旧復興作業の人員割り当てを決める会議でアンブースティア地区の郷士、ティグリス・アンブーストゥスが激しく不満を表明、それを鎮める必要からもヘルマンニは海軍将兵の派遣を申し出ざるを得なかった。結果、海軍基地の捜索の人員を大幅に減らしてしまう。リクハルドから基地内のガレキ撤去作業の支援を申し出られてはいたのだが、膨大な金が盗まれた直後にリクハルドの手の者を招き入れることは流石にできず、基地内の捜索活動は大幅な遅滞を余儀なくされたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る