第617話 アース・エレメンタルの相談

統一歴九十九年五月六日、夜 - マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストラ・マニ/アルトリウシア



『主様よ。』


 アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子らを交えての夕食を終えたリュウイチは、自分たちの宿舎プラエトーリウムへ帰宅するアルトリウスらを送り出した後、寝室に入ったところで唐突に頭の中に響いてきた声に驚いた。

 広い寝室の中には小さなランタンがいくつか常夜灯としてともされており、窓も扉も締め切った後でもわずかながらに明るさを保ってはいたが、当然昼間のように明るいわけでもない。そのような状態であるからリュウイチは室内に隠れている誰かに話しかけられたかと思い、それが念話であることに気付くまでの数秒間周囲をキョロキョロと見回した。


『え!?あ、《地の精霊アース・エレメンタル》か?』


『いかにも』


 ベッドを温めている間にいつの間にか寝てしまっていたのだろう、リュウイチに気付いたリュキスカがピクッと反応し、モゾっと動いて毛布から顔を出し、薄暗い部屋にリュウイチの影を探す。

 リュキスカと目があったリュウイチは何でもないと言う風に手を軽くかざし、身体の向きを変えて携帯電話で話をするようにそっぽを向いて話し続ける。


『どうした、また何かあったのか?』


『いや、何もない。』


『でも何か用があるんだろ?』


『無論じゃ。

 実はルクレティアより相談を受けたのじゃ。』


『ルクレティアから?』


「なんだい、またアッチで何かあったのかい?」


 リュウイチが念話で話をしている事には気づいていたリュキスカだったが、会話の中にルクレティアの名が出てきたことから肘をついて上体だけを起こして興味を示す。リュウイチはそれをチラリと横目で見ながら再び手を翳して制止すると《地の精霊》との念話をつづけた。


『うむ、ルクレティアと一緒にいる女、ヴァナディーズとかいう……』


『彼女がどうかしたのか?』


『明朝、船で海峡の向こう側へ送られることになったのじゃ。

 例のハーフエルフのことを知っているので、向こうで調べられるらしい。』


『ああ、参考人って事か?』


『よくわからん。

 で、その船が途中でハーフエルフに攻撃されるかもしれんから、守ってもらえないかという相談じゃ。』


『なんでハーフエルフが彼女を?

 ああ!正体を知っているからか?』


 リュウイチはシュバルツゼーブルグでヴァナディーズが襲われた件は聞いていない。当然、『勇者団ブレーブス』がヴァナディーズを裏切り者として狙っているなどという話は知らなかった。


『よくわからん。

 もしかしたら攻撃されるかもと言っておる。』


『ふーん、お前は守ってやれないのか?』


 ベッドに肘をついて上体を起こしていたリュキスカが心配そうに身体を本格的に起こして身を乗り出してくる。さすがに全裸では寒いので毛布を身体にまとった状態で、片手を付いてリュウイチの様子を伺う。


『船乗りたちに気付かれてもいいのなら、ゴーレムの軍団で……』


『それは駄目だ。

 今、お前のことを知っている人間以外には気づかれないように、目立たないようにしてくんなきゃ……』


『じゃろ?

 ルクレティアにもそう言われた。』


『今迄みたいには守れないってことか……』


「何だい、何か悪いことが起こってるのかい?」


 気づけばリュキスカは毛布をマントのように身にまとったままベッドから起き出してリュウイチのすぐ傍らに立っていた。

 リュウイチは念話ではリュキスカの声が相手に聞こえることなど無いにもかかわらず、携帯電話で会話する時の様な癖で人差し指を口に当てて静かにするようジェスチャーした。


『近くにおるのなら守ってやれん事も無いが、遠く離れられては無理じゃ。』


『え、一緒に船で海を渡るんじゃないの?』


『送られるのはヴァナディーズじゃよ。

 ルクレティアは明日来た時と同じ道をたどって帰るそうじゃ。』


『ああ、それで離れちゃうから守れなくなるのか……』


「へっくちょっ!」


 心配そうにリュウイチの顔を見上げていたリュキスカがくしゃみをする。身体が冷えてしまったのだろう。リュウイチははだけかけていたリュキスカの纏っている毛布を片手で直してやり、ベッドへ戻るようにジェスチャーで指示する。

 リュキスカは何か不満げではあったが自分の鼻を指先で擦り、しぶしぶとベッドの方へ戻って行った。


『そう言う事じゃ。

 主様が許してくださるならゴーレム軍団を作って船に乗せて守ってやれるんじゃんが……』


『それは駄目。』


『ゴーレムじゃなくても何かモンスターを召喚して‥‥‥』


『いや、だからそれすると目立っちゃうんだろ?

 船乗りの人はお前の事知らないだろ?』


『じゃが、ルクレティアはこっちにいたヒトの連中にワシのこと見せたぞ?』


『見せて良い相手かどうかはルクレティアが判断する。

 船乗りは見せちゃ駄目な相手ってルクレティアが判断したなら、見せちゃダメだ。』


『じゃあ、やっぱり守ってやれんってことでええのかの?』


 リュウイチは言葉に詰まり、額に手をやった。

 《地の精霊》から伝え聞いたとおりハーフエルフが降臨を起こそうとしている犯罪者集団で、ヴァナディーズがその正体を知っているというのなら、確かにヴァナディーズを襲う可能性は高いだろう。現に彼らは目的のために村を襲い、住民を大勢殺傷している。彼女は大事な生き証人で、ルクレティアの家庭教師で、リュウイチにとっても友人である。死なせる訳にはいかない。

 だが、リュウイチが飛んで行って助けてやるわけにはいかない。《地の精霊》にゴーレム軍団やモンスター軍団を召喚させて守らせるのもNGだ。それがOKならルクレティアがとっくにそのように判断し、《地の精霊》が念話でリュウイチに相談を持ち掛けてくることもなかったはずだ。

 つまり、何か別の方法で、秘密を守ったままヴァナディーズを守らねばならない。


 そうは言ってもなぁ……今から何か魔道具マジック・アイテムを渡すわけにもいかないし、遠すぎて魔法をかけてやることもできないし、土地の人間じゃないから土地勘もないし……


 リュウイチはこの世界ヴァーチャリアに降臨し、船でアルビオンニウムから連れ出される時の情景を思い出しながら何か手はないかと考えた。


 ハーフエルフって船を持ってるのか?魔法で船を攻撃するつもりなのか?

 攻撃するとしたらあの湾口を通り抜ける時かな?


 広大な海を行き来する船を攻撃するのなら、針路を特定できる場所を狙うのが常識だ。アルビオンニウムから海峡を渡る船が通らねばならないチョーク・ポイントと言えば、あのリュウイチも通った湾口が真っ先に思い浮かぶ。


 待てよ、あの場所……


『《地の精霊アース・エレメンタル》?』


『なんじゃ、主様よ。』


 リュウイチは海峡の事を任せるのに最も都合のいい存在がいたことを思い出した。

 彼女なら降臨者とは関係ない。元からこの世界ヴァーチャリアに居る土着の存在だから、「恩寵おんちょうの独占」がどうのこうのという話にはならない筈。


『聞いてくれ、あの海峡にアルビオーネって言う名前の《水の精霊ウォーター・エレメンタル》が居るんだ……』

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