第1293話 固執

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 ティフは首だけ起こしてカエソーにジトッとした不信の視線を向けた。


「いくら閣下が約束してレーマの全軍がその約束を守っても、《地の精霊アース・エレメンタル》の主人だって人が従うのか?」


 カエソーは浮かべていた苦笑いさえも消し、これまでティフに見せたことの無い仏頂面で姿勢を正した。ティフは思わず浮かべていた薄笑いを引きつらせ、わずかに身体を緊張させる。

 ティフもまたペイトウィン・ホエールキングと同様に他人に対して無意識に優位に立とうとする傾向があった。周囲を信用できない大人に囲まれ、不安の中で育った子供というのは必ずではないが大人になっても周囲に対して常に怯え続けるか、あるいはこういう風に虚勢を張って相手を怯ませようとするようになってしまう。相手への恐怖や不安が常に内心にあり、無意識のうちに安心を求めて周囲に対して不自然な距離の取り方をしてしまうのだ。この点、ティフの場合はまだペイトウィンよりはだいぶマシだったが、特にヒト相手だと相手の非を見つけた途端にそこに付けこもうとしてしまう癖は共有している。そして、調子に乗りすぎて失敗するのもよくあることだった。通常ならば側仕えの誰かがフォローしてくれるのだが、今のティフは一人であり、フォローしてくれる人はこの場に一人もいない。

 だが一人だからこそ、周囲を“敵”に囲まれているからこそ、カエソーの変化に気づけたのかもしれない。これがペイトウィンだったらまだ気づけなかっただろう。


「その御方は我が軍に対して大変協力的な御方です。

 『勇者団』ブレーブスがこれ以上、騒動を起こさない限りは、ルクレティアスパルタカシア様の御要望を無視されることはないでしょう。

 そしてルクレティアスパルタカシア様と私は旧知の間柄、その御方の説得には御協力いただけるものと確信しております」


「そ、そうか……」


 これまでより低く力強い声は、ティフの責めに対して精神的な防御態勢が整ったことを如実に示していた。ティフは一瞬、形勢逆転できたと感じて気を大きくしていたのだが、どうやら決定打にはならなかったようである。しかし、一度勢いづかせてしまったものは急には変えられない。たとえそれが形而上けいじじょうのものであろうと慣性のような効果は働くのだ。


「だ、だがアルビオーネのことはどう説明する?

 閣下はアルビオーネが『勇者団俺たち』に海を渡らせないことにしたと知らなかったのだろう!?

 は閣下の意向とは関係なく、『勇者団俺たち』に敵対してきたのではないのか!?」


 ティフは寝椅子の背もたれに投げ出していた身体を起こし、恐る恐ると言って良いような動きでテーブルの茶碗ポクルムを手に取った。


「詳細は存じませんが、『勇者団』ブレーブスに敵意を抱いたからではありません」


「……何で分かる!?」


ルクレティアスパルタカシア様から伺いました。

 ルクレティアスパルタカシア様がサウマンディウムへ送られるヴァナディーズ女史の安全を守るため、《地の精霊アース・エレメンタル》様を通じてその御方にお願い申し上げ、その結果アルビオーネ様がその御方の御意向に沿うようになされたとのことです」


 カエソーの答えを聞いてティフの顔が一瞬、不快そうに歪んだ。


「ヴァナディーズ、あの女狐……」


 先ほどまでのどこかオドオドとした様子が消えたティフが身を屈め、どこか床に視線を這わせるようにして憎々し気に吐き捨てる。


「ヴァナディーズ女史はルクレティアスパルタカシア様の家庭教師を務めておいでです。そして御友人でもあられる。

 ルクレティアスパルタカシア様が女史の安全を願うのは当然でしょう」


 どうやらヴァナディーズへの執着が残っているらしいティフにカエソーが諫めるように言うと、ティフはジロッとカエソーの方を睨むように見上げた。そして数秒の沈黙を置いて、フッと笑う。


「あいつは『勇者団俺たち』の側の人間だぞ?

 正式なメンバーじゃないが、『勇者団俺たち』が降臨を起こすのに協力した」


「……ある程度話は聞いております。

 女史は今、サウマンディウムで取り調べを受けておりますよ」


 ティフは一度目を丸くし、驚いた風だったがすぐに忌々しそうに顔を歪めた。


「それを承知で守るってのか?

 ……あ~、あいつめ、自分に都合のいい証言ことばかり言ってるんだろ……」


 口角を引きつらせたティフの顔は誰かを嘲笑うかのようだ。が、カエソーの目にはティフが自嘲しているようにも見えなくはない。


 少なくともカエソーの目に映るティフは本気でヴァナディーズを忌々しく思っているようだ。ヴァナディーズの証言によれば彼女は『勇者団』に対して自分の持っていた研究資料を渡しただけだという。彼女の言、そしてメークミー・サンドウィッチやナイス・ジェークから得た証言からすると、降臨を起こそうとしたアルビオンニウムをレーマ軍が守っており、それでヴァナディーズが裏切って密告したのだと勘違いしたということらしいが、それだけで未だにこうも悪意を抱きつづけるものだろうか?


 もしかしたらあの女史は思っている以上に大物なのかもしれんな……


「『勇者団アナタ様方』が証言してくだされば、突き合わせて整合性を確認できるでしょう」


 ルクレティアの家庭教師でスパルタカシウス家の庇護を受ける重要人物であるのと同時に本件の証人でもあるヴァナディーズの身を守るのは当然だ。仮に彼女が真犯人だったとしてもそれは変わらない。カエソーはティフたち『勇者団』の証言も公平に扱う姿勢を示すことでティフを安心させる意味と、同時にヴァナディーズをティフの悪意から守るための牽制という意味と、両方の意味を込めてティフに告げたのだが、ティフは素直に受け取らなかった。


「そのためにも投降しろと言うのか?」


 最悪のタイミングでつまらない冗談でも聞かされたように鼻で笑うティフにカエソーは堅実にも説得に乗り出す。


「悪いようには決してしません」


 だがティフはこっちこそが本当の冗談だとでも思ったのか今度は無邪気な笑みを見せ、大きく上体を仰け反らせた。


「それを信じるのは難しいな。

 あの女が先に証言したとあれば、俺たちに都合の悪いものであろうよ。

 あいにくと俺たちは自ら進んで道化を演じる趣味は持ち合わせてないんだ」


「何故、道化を演じることになるというのです?

 我々は皆様方を決してそのようには扱いません」


 朗らかな笑みを浮かべるティフに愛想笑いを交えつつも真面目に返したカエソーだったが、ティフはそれを聞くなり笑みを消した。


「毒婦にたぶらかされた官吏の取り調べとなれば、無実の者でも処刑されるだろうよ。

 ……まて、そうか!」


 突然、何かを思いついて声をあげるティフにカエソーたちは一斉に怪訝な表情を浮かべ身構えた。渋い顔を見せるカエソーにティフは対照的に悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「ひょっとしてルクレティアスパルタカシアに《地の精霊アース・エレメンタル》を付けて守護させた人物も、あの毒婦めに誑かされたのか!?」

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