第1292話 予想外の綻び

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 悪さをしないならば、そしていずれ出頭してくれると約束してくれるならば、これ以上『勇者団』ブレーブスを追い立てない……カエソーからすれば最大限の譲歩である。大協約で禁じている降臨を引き起こそうとムセイオンを脱走し、盗賊どもを率いてレーマ軍の施設を破壊し将兵を殺害したうえ、ブルクトアドルフの住民の半数を殺傷して街を放棄せざるを得なくしている。そんな大それた犯罪者に対する処置としては生ヌルイどころの話ではないだろう。もしもこの場にエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人かその側近が同席していれば、烈火のごとく怒りを露わにし、どういうつもりだとカエソーを責め立てたに違いない。この譲歩は言ってみれば、カエソーがアルビオンニア属州の貴族ではないからこそ、提示できる条件であった。


 その難味がたみに気づいてくれればいいが……


 カエソーの期待は自分でもはかないと自覚できるほどのものだ。これまでのティフの言動からカエソーはティフに、ムセイオンのハーフエルフにちまたで言われるほど聡明さはないのではないかと既に諦めてしまっている。今後のことを考えればティフをこの場で強引に拘束したくはないが、しかしカエソーの提示する条件を飲んでくれないのなら、この場にアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア百人隊長ケントゥリオが同席している以上カエソーとしても逮捕に踏み切らざるを得ない。

 そんなカエソーの内心を知ってか知らずか、ティフは顎に手を当てて考え始める。


 戦いは控えるという方針自体は既にメンバーで共有していることだ。

 レーマ軍の要求を飲むこと自体は問題ない。

 問題なのは『勇者団こちら』が戦わないつもりなのを良い事にレーマ側からチョッカイを出される心配が無いのかどうかだ。

 さすがに正当防衛まで封じられるのはまっぴらごめん……メンバーの誰も承諾しないに違いない。


 ティフはジロッとカエソーへ視線を向ける。


 レーマ軍は追い立てないと言った……問題は精霊エレメンタルたち……


「おい」


 顎に当てていた手を降ろしてティフはカエソーに呼びかけた。


「『勇者団俺たち』が誰も攻撃しないなら、レーマ軍も俺たちを追いかけたり捕まえようとしたりしないんだな?

 レーマ軍の側から、『勇者団俺たち』の邪魔をしないって言えるか?」


「……約束しましょう」


 ティフの視界の隅でホブゴブリンの百人隊長が戸惑うようにカエソーへ視線を向けるが、他とは違う格好をした年嵩のホブゴブリンの老兵だけはジッとティフを見つめている。


「本当か?

 街道の警備をしている兵士とか、街の代官の兵士たちもか?」


 街道や街の治安を維持しているのは軍団兵レギオナリウスではなく警察消防隊ウィギレスだ。兵士ではあっても所属が違う。警察消防隊は領主が抱える兵士で、軍団兵と同じ辺境軍リミタネイに類別されるが、警察消防隊は軍団レギオーの指揮下にあるわけではなかった。しかもカエソーは隣のサウマンディア属州の領主サウマンディウス伯爵家の人間でありアルビオンニア属州の貴族ではない。カエソーにアルビオンニアの警察消防隊に対する指揮権など無いはずだった。


「私の名で通行証を発行しましょう。

 アナタ方はサウマンディア軍団サウマンディア・レギオンのメルクリウス捜索の一環で特別任務に就いているということにします」


「メルクリウス捜索?」


「メルクリウス目撃の報を受け、サウマンディウス伯爵の総指揮の下で現在捜索活動が行われています。

 アルビオンニア属州の兵士もメルクリウス捜索に関してだけは伯爵の指揮下に入りますから、私の発行する通行証を見せれば警察消防隊ウィギレスでも軍団兵レギオナリウスでも納得はするでしょう。

 アルビオンニア属州内であればとがめられることなくどこへでも行けますよ」


 今度はヒトの百人隊長も動揺しはじめる。が、動揺しているのは実はティフもだった。自覚はしてないが妙に美味しすぎる話に表情が歪み始めていた。


精霊エレメンタルたちはどうだ!?

 地の精霊アース・エレメンタル》は、レーマ軍の指揮下には無いんだろう!?」


 ほくそ笑みながらも用心深く尋ねるティフに、カエソーは半ば呆れて思わず苦笑いを浮かべる。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様の関心はルクレティアスパルタカシア様だけです。

 アナタ方がルクレティアスパルタカシア様に害をなそうとしなければ、何もしようとはなさらないでしょう」


 その答にティフは満足しなかったらしい。何か屋台でインチキ商品を見つけた客のように目を細め、仰け反るように上体を伸びあがらせてカエソーを見下ろす。


「《地の精霊アース・エレメンタル》を使役しているっていう奴……人はどうなんだ?

 他の精霊エレメンタルは!?」


「他の精霊エレメンタルと言われましても……」


 困った様子のカエソーにティフは突っかかるように顔を突き出した。


「ブルクトアドルフの《森の精霊ドライアド》とか、海峡のアルビオーネとか……

 そうだアルビオーネだ!」


 ティフはハッと思い出したように目を見開いた。


「アルビオーネが俺たちの前に現れて言ったぞ!

 彼女が忠誠を誓う尊い方の意向で、俺たちに海を渡らせないってな!!

 それって《地の精霊アース・エレメンタル》を使役してる人だろう!?」


 カエソーは面食らったように口をへの字に引きつらせて小さく仰け反った。カエソーはアルビオーネの存在も知っているし、アルビオーネがどうやら協力してくれているらしいこともルクレティアから聞いて知っている。だが、リュウイチとアルビオーネの間にどんなやり取りがあってアルビオーネが何をどの程度、どのように協力しているかといった詳細までは知らなかったのだ。


「どうなんだ!?」


「どうなんだと申されましても……」


「誤魔化すのか!?」


「いえ、私はアルビオーネ様の事は聞いておりますが、《森の精霊ドライアド》様と同様直接お会いしたことはありませんし、精霊エレメンタル同士がどう関係しているかも知らないのですよ。

 私が知っているのは《地の精霊アース・エレメンタル》様の周辺についてだけ……それもルクレティアスパルタカシア様から聞かされている話だけでしてね」


 これはティフには聞き苦しい言い訳としか思えなかった。


「閣下は《地の精霊アース・エレメンタル》を使役している人物について直接知ってて話したこともあるって言ったじゃないか!?」


 人差し指まで突き付けて追及してくるティフにカエソーは困惑しつつも両手を挙げた。


「それは本当ですよ。

 ですが、その御方が《地の精霊アース・エレメンタル》様をルクレティアスパルタカシア様に御付けになられたのは、私がお会いした後の話でしてね」


 それを聞くとティフはドスンと寝椅子に全体重を投げ出し、ふんぞり返った。


「じゃあ約束なんか最初からできないんじゃないか!」


 ガッカリだ!!……そんな気分をティフは言葉のみならず全身で表現していた。慌てたのはカエソーである。上級貴族パトリキは他人に幻滅されることに慣れていない。というか、失望されることを過度に恐れる傾向があった。

 そうでなかったとしてもここで交渉が破綻すればティフを逮捕しなければならなくなる。これがティフの側に問題があったせいでというならまだしも、カエソー側に問題があったせいで破綻し、そのせいでティフを強引に逮捕してハーフエルフたちのサウマンディアに対する心象が悪くなったら、カエソーの面子が立たなくなってしまうではないか。


「待ってください、そんなことはありませんよ!」


 思わず身を乗り出すカエソーとは対照的にティフはみっともないくらいに椅子の背もたれに全体重を預けたまま首を左右に大きく揺する。


「だってレーマ軍がいくら通行証をくれて攻撃されなくなっても、精霊エレメンタルは俺たちを攻撃してくるかもしれないんだろぉ!?

 そんなんじゃ約束なんてしても意味ないだろぉ~?」


「そんなことにはなりません!

 ルクレティアスパルタカシア様を通じて《地の精霊アース・エレメンタル》様に私がちゃんとお願いします!」

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