第1294話 家名にかけて

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 リュウイチはヴァナディーズにたぶらかされて『勇者団』ブレーブスに敵対している……そんなティフの与太話に反応したのは三人だけだった。二人はホブゴブリンの百人隊長ケントゥリオ、残りの一人はカエソーである。百人隊長たちは不愉快そうに眉をひそめる程度だったが、カエソーは目を丸くし大きく息を吸い込んだ。そして・・・


「リュウイッ!……」


 思わずリュウイチの名前を出しかけて途中で言葉を飲み込む。これには百人隊長たち全員と、これまでティフとカエソーの話にほとんど何の反応も示していなかったホブゴブリンの老兵もギョッとした様子でカエソーへ視線を走らせる。


「リューイ?」


 ティフが怪訝けげんそうにつぶやくと、カエソーは誤魔化すように随分とわざとらしい咳ばらいをした。


「ウホンッ!

 あー、リウィウス!

 ああ、彼の名はリウィウスリウィウス・ノーメン・エスト彼を呼ぼうとして喉が詰まってしまいましたスッフォカートゥス・スム、クゥム・エウム・ウォカレ・コナバル

 リウィウス、あー、そのー」


 リュウイチの名を出しかけたことを誤魔化すため、すぐ近くにいたリウィウスを呼んだカエソーが用もないのに用事を頼もうとすると、会話がいきなり英語からラテン語に切り替わったことから事情を察したリウィウスが余計な用事を頼まれる前に先回りして適当に答える。


ルクレティア様はドミナ・ルクレティア・既に御就寝なされておいでですイアム・イン・クビクルム・エスト


ああアーそうかヴィーデオ・・・ありがとうグラティアス・ティービ


 ラテン語は普通に話せるが二人の会話の意味が分からなかったティフは眉をひそめて二人の顔を交互に見比べた。自分との会話をそっちのけでいきなり変な方向へ話を持って行こうとしているように見えるカエソーの行為を不快に感じているのだ。


「何で今……ルクレティアってスパルタカシアのことだよな?

 何で今ルクレティアスパルタカシアの事を?」


「ヴァナディーズ女史はルクレティアスパルタカシア様の家庭教師です。

 女史のことなら彼女が一番詳しい。」


 忌々しげなティフにカエソーがもっともらしく答えると、ティフはフンッと不機嫌そうに鼻を鳴らした。カエソーはそれを単なる相槌あいづちのように受け流して続ける。」


「私の知る限りティフブルーボール様がお会いしたがっておられる御方とヴァナディーズ女史の接点は、ティフブルーボール様が思っておられるほど多くはありません。

 ルクレティアスパルタカシア様に付き添ってお会いすることはあったでしょうが、二人きりになる場面などほぼなかったでしょう。

 そのことを訊こうと思ったのです」


 ティフは猜疑に満ちた視線でカエソーを捉えたまま「フーン」と、いかにも腹の底では納得してないとアピールするかのような相槌をうった。そしてしばらくカエソーをそのジトッとした目で見つめた後、急にまた当てこするように語り掛ける。


「だが、あの毒婦めが人をたぶらかすにはそれでも充分であろうよ。

 何せ『勇者団俺たち』だって誑かされて、こんな辺境まで来てしまったくらいだ。

 他人の従者だからと油断して近づけたのは失敗だったな。

 アレはわずかの時でも人の欲を見抜き、つけ込むんだ」


「あの御方はそのような方ではありません」


 おおよそ聖貴族とは思えぬ卑屈な物言いにうんざりしたような表情でカエソーがピシャリと言うと、ティフはどこか残念そうな表情でカエソーをジッと観察しはじめた。


 今のは揺さぶりのつもりだったのか?


 カエソーは茶碗に手を伸ばし、一口啜る。


 先ほどはヴァナディーズ女史の話から《暗黒騎士リュウイチ》へ話題を振られ、思わずリュウイチ様の名を漏らすところだった。

 話術としては稚拙ちせつとしか思えなかったが、まさかこの稚拙さも子供のような見た目を活かしてこちらの油断を誘うための演技だったりするのか?

 うぅ~~、いかんいかん……油断するなカエソー!

 ティフこの人はこの見た目でもプブリウス父上の二倍も生きている年長者なのだ。

 見た目と言動の幼さに侮っていると馬鹿を見るぞ!?


 茶碗の中でかすかな気泡を生じさせながら揺れる果汁飲料テーフルトゥムが、燭台に照らされた天井を揺れながら映し出す様子を眺めながらカエソーは自分を戒めると、目を閉じて小さく頭を振り、夕食の時に飲んだ酒の酔いが残っていないことを確認した。

 その様子を対面で眺めていたティフは残念そうにへの字にした口に力を込めて上体を起こす。


 チェッ、もう少しで何か言いそうだったのに……


 残念ながらカエソーは気持ちを切り替え、警戒を新たにしたらしい。こうなっては同じ方向から揺さぶりをかけても効果はないだろう。尤も、先ほどの話の展開は全くの偶然でティフも別に狙って話題を展開していったわけではなかったので残念がるのもおかしな話ではあったが……


「ともかく、先にヴァナディーズ女史から証言を得たからと言って、彼女の証言を鵜呑みにすることはありません。彼女が自分に有利な証言をしているであろうことぐらいは我々も承知しております。

 『勇者団』ブレーブスの皆様方が後から投降したからといって、ヴァナディーズ女史の証言のせいで扱いが不利になるというようなことはありません。

 また、精霊エレメンタル『勇者団』ブレーブスの皆様がレーマ軍に捕まったとなれば、それ以上何かしてくることはありません。

 我々はと極めて友好的な関係にあります。

 我がサウマンディウス伯爵家が家名にかけてお約束いたします。

 そこはどうか、御安心ください」


 カエソーは茶碗を置くと膝の上で両手を組み、ティフの目をまっすぐ見つめて説明した。ティフとしても「家名にかけて」と言われればそれ以上ケチのつけようがない。ティフもこれでも貴族社会で生きて来たのだ。それがどれだけ重大な意味を持つのかぐらいは承知している。ここでさらにケチを付ければ、もはやサウマンディウス伯爵家と『勇者団』の関係は決定的に破綻するだろう。

 レーマ帝国でも五指に入る一大勢力を誇るウァレリウス氏族……その中でもサウマンディウス伯爵家はレーマ帝国南部で最大の権勢を誇る有力貴族だ。ここで伯爵家公子のカエソーを完全に敵に回すようなことをすれば、レーマ帝国全体を敵に回すことになりかねない。そうなれば降臨なんて不可能になってしまう。これは降臨そのものが出来なくなるという意味ではない。もっと政治的な問題だ。

 ティフ達の目的は降臨を再現して父たちを再臨させ、現在の大協約体制射会でのゲーマーの評価をくつがえすことだ。それによってこれまで危険思想集団のように冷ややかな目で見られつづけてきた『勇者団』の立場を好転させ、自分たちを腫物のように扱い続けた社会全体を見返してやるのだ。

 だが『勇者団』がレーマ帝国と全面対立した状態でゲーマーが再臨すれば、絶大な力をもったゲーマーが『勇者団』とともにレーマ帝国と戦うことになるだろう。そうなれば大戦争の再開だ。ゲーマーの評価を覆すどころか、略奪と殺戮ハック・アンド・スラッシュに明け暮れて世界を破滅させる危険な存在というゲーマーに対する評価を最証明してしまうだけに終わってしまう。『勇者団』の立場は今よりずっと強固なものとなるだろうが、それはティフ達の望む形ではなかった。

 ゲーマーをゲーマー以前の降臨者たちと同様に《レアル》より恩寵おんちょうもたらす聖なる存在として認めさせるには、大協約体制下の世界を二分しているレーマ帝国と啓展宗教諸国連合側との両方に再臨したゲーマーを受け入れさせねばならないのである。そのためには、降臨を成した時にどちらか一方と敵対しているような状態にあってはならないし、もしそのような状態になっていたのなら降臨を起こす前に是正しておかねばならないのである。


「ふむ……レーマ帝国のサウマンディウス伯爵家が家名にかけて保障するというのであれば信じぬわけにはいかんな」


 ティフは溜息交じりにそういうと背もたれに上体を預けた。

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