第606話 バウムクーヘン・パーティー

統一歴九十九年五月六日、午後 - マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 陣営本部プラエトーリウムに置いてきた子供たちが降臨者リュウイチと一緒にケーキを焼いている…思いもよらぬ報告を受けたエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人は、盟友たるアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子の進言を受け、長引いていた会議を切り上げて陣営本部へと急いでいた。要塞本部プリンキピア陣営本部プラエトーリウムを繋ぐ狭い裏口ポスティクムを、アルトリウスや家臣団をゾロゾロと引き連れながら速足で歩く。

 貴き降臨者の住まう屋敷ドムスにいきなり大勢で押しかけては問題がありそうな気がしないでもないが、元々今朝の緊急の会議が終わり次第、一同で陣営本部に戻ってリュウイチに挨拶をしてからティトゥス要塞カストルム・ティティへ帰る予定であったので、時間が大幅に遅れてしまっている事以外は特に問題があるわけではない。


「きゃっ!?」

「あっ!?」

「「「「「!?」」」」」


 陣営本部の庭園ペリスティリウムを囲む回廊ペリスタイルへ出ようとしていたエルネスティーネは、裏口に隣接する階段を降りて来たディートリンデと出合い頭にぶつかりそうになり、驚いて脚を止める。


母上ムッター!?」

「リンデ!?

 アナタどうしたの、着替えたの!?」


 エルネスティーネの長女ディートリンデは今朝、一緒に朝食を摂った時と違う服を着ていた。侯爵家の家族はマニウス要塞カストルム・マニにはカールと日曜礼拝を共にするために訪れている事になっているため、カストルム要塞とマニウス要塞の間を行き来する間は日曜礼拝用のための落ち着いた服を着ることになっている。今日はティトゥス要塞へ帰るだけの予定だったので、朝からそれ用の服を着ていた筈だった。なのに今のディートリンデはやけに派手な、午餐会ダイナー用の衣装を身につけていた。


「母上!あの…私、お茶会に招待されたの!」


「お茶会ですって!?」


 よほど急いでいたのであろう、ディートリンデは息を弾ませながら答えると、エルネスティーネは声をひっくり返しながら訊き返した。同時にディートリンデとディートリンデの背後にいる侍女の顔を交互に見比べる。侍女の方も慌てていたらしく、同じように息を弾ませていた。一応、躾けられた通りに猫背にならないよう胸を張るように姿勢を保ってはいたが、なるべく身を小さくしたいらしく肩を内側に入れるように両手を前で合わせていた。おかげで豊かな胸が絞り出されるように強調されてしまっている。顔はどこか気まずそうではあったが、ディートリンデがウソをついていてそれに付き合っているというような様子ではない。


「アナタ、出発の時間まで部屋で待ってなさいって言ったでしょ!?」


「そ、そうだったんだけど、ちょっと気分転換に廊下に出たらエルゼたちがケーキクーヘン焼いてて「待って!」!?」


 ディートリンデが説明しようとするとエルネスティーネは途中で遮った。


「お茶会って、リュウイチ様に招待されたの!?」


「‥‥そうよヤー!?

 ケーキクーヘンが焼けるからおいでって、リュウイチ様から呼ばれたの!

 だから私、急いで着替えて…!?」


 ディートリンデの答えの途中でエルネスティーネはまるで頭痛でも堪えるかのように目を閉じ額に手を当てて俯いた。


「エルゼとカールがケーキクーヘンを焼いてるって聞いたわ。

 アナタ、どうしてあの子たちがケーキクーヘン焼いてるか知ってる?」


 数秒、そのまま無言で何かを考えていたエルネスティーネは不意に顔を上げるとディートリンデに尋ねる。ディートリンデはその母親似の大きな目でエルネスティーネの顔を見上げたままフルフルと首を振った。


「知らないわ。

 私も廊下に出た時に下から声を掛けられて驚いたんだもの。」


 自分には関係ない…まるっきり他人事のように言うディートリンデにエルネスティーネは苛立ちを覚えた。

 おおよその理由は想像がつく。多分、エルゼが部屋から脱走し、リュウイチに見つかり、リュウイチが気を利かせてケーキを焼き始めるか何かしたのだろう。そうでもなければ、エルゼやカールがケーキなんか焼くわけがない。ケーキやお菓子は頼めば使用人が用意してくれるもの…貴族ノビリタスの子供ならそう認識しているはずだ。ディートリンデにしろカールにしろエルゼにしろ、エルネスティーネの子たちがケーキを自分で作るという発想など持ちようハズも無い。他の使用人たちもそれを教えようとはしない筈。つまり、ディートリンデがエルゼをちゃんと見てなかったからこうなったのだ。

 ディートリンデはエルゼの姉なのだから、エルゼが退屈しないように面倒を見ていてほしかった。なのに多分ディートリンデは姉としての役割を放置し、自分で好きな本でも読んでエルゼのことなど侍女たちに任せていたに違いない。何でこの子は妹の面倒を見てくれなかたったの?姉としての自覚は無いのかしら?


侯爵夫人マルキオニッサ、ここで話していても仕方がありません。

 とにかく行ってみましょう。」


 ディートリンデが知れば間違いなく困惑するであろう理不尽な怒りを腹の中で増幅させていたエルネスティーネに、すぐ脇で様子を見ていたアルトリウスが声をかける。それを聞いてエルネスティーネは目を閉じ、ハァ~と溜息をついて気持ちを落ち着かせてから答えた。


「ええそうね。

 リンデ、呼び止めて悪かったわ。

 リュウイチ様からのご招待ならお受けしないわけにはいきません。

 私もこれからリュウイチ様のところへ行きますから、一緒に行きましょう。」


 エルネスティーネの表情から押し殺された只ならぬ感情…それも否定的な感情を感じ取り、ディートリンデは何か自分が母を失望させたらしいことに気付いていた。少し眉間に皺をよせ、先ほどまでよりも明らかにトーンの落ちた声で「はいヤー」と返事すると、ディートリンデはエルネスティーネと一緒に歩き始める。

 上から見下ろした時よりも庭園が少し薄暗くなったように感じるのは空を覆う雲のせいではない。朝食が終わった頃に霧雨が止んで以降、地面に落ちた影がボンヤリする程度の薄曇りの空は不思議なくらい変わっていなかった。


「あ!母上ムッター!!

 リンデ!!

 母上~~!!」


 庭園からエルゼの明るく元気な声が響き、満面の笑みを浮かべた三歳児が両手を広げて走って来る。


「まあ、エルゼ!」


 エルネスティーネがしゃがんで両手を広げると、エルゼは母の胸へと勢いよく飛び込み、エルネスティーネはそれを抱きしめた。それをディートリンデは人知れず、複雑な表情で眺めていたが、正面にリュウイチたちの姿に気付くとニッコリと笑った。


「お待たせしましたリュウイチ様、ご招待いただきありがとうございます。」


『やあ、わざわざ着替えたんだね?

 ご招待だなんてそんなかしこまらなくていいんだよ。

 ささ、こっちへおいで。今焼けたばっかりだから。

 エルネスティーネさんも、会議は終わったようですね?

 皆さんもおそろいで…』


「はい、お待たせしまして申し訳ありませんでした。」


『いえ、ちょうどバウムクーヘンが焼けたところですから、出来はあまりよくありませんが、よろしければご一緒にどうぞ。』


 ディートリンデの挨拶に答えたリュウイチがそのままエルネスティーネやその背後にいた貴族たちに答えると、エルゼを抱き上げたエルネスティーネが笑顔のままお辞儀する。


「お誘いいただきありがとうございます。

 なんだかこの子たちがお世話になったようで、御迷惑をおかけしました。」


『ご迷惑だなんてとんでもない。

 私が急にケーキを焼きたくなって、御子さんたちの手を勝手に借りたんです。』


 リュウイチはエルゼのためにケーキを焼くことを思いついたのだが、咄嗟に自分が勝手を働いたということにした。

 これまでもリュウイチが何かしようとすると却って迷惑になったり、あるいは相手方が過度に恩に着て却って負担になってしまっていそうなことがよくあったし、エルゼの乳母キンダーメディヒェンであるロミーが何やらずっと申し訳なさそうな、随分と後ろめたいものを感じている様子が見て取れたからだ。現にロミーは今も身を小さくし、身体の前で震えるように合わせた両手を小さく揉んでいる。叱られるのを覚悟している者の態度だ。ここで「エルゼが退屈してそうだったからケーキを焼いてやった」などと言えば、ロミーが何らかの罰を受けてしまうかもしれないし、もしかしたら子供たちも叱られるようなことがあるのかもしれない。

 それはリュウイチの望むところではなかった。


母上ムッター!エルゼ、ケーキクーヘン焼いたのよ!

 みんなで焼いたの!美味しいのよ!?」


 エルネスティーネに抱きあげられたエルゼが嬉しそうに言ったところで、リュウイチはどこかぎこちないこの空気を入れ替えようと、畳みかけるように言った。


『皆さんの分もありますから、お時間がおありでしたら是非どうぞ。

 なければ今から包みますので、お持ち帰りください。』

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