第605話 会議中断

統一歴九十九年五月六日、昼 - マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 要塞司令部プリンキピアで開かれていた会議は異常なほど長引いていた。

 リュウイチの降臨をサウマンディウムへ赴いたイェルナクに知られてしまった。その誰も想定していなかった事態はアルビオンニア属州の首脳陣を困惑させるのには十分すぎるほどの衝撃をもたらしたのだ。


 先月、あろうことかレーマ帝国に対して叛乱を起こし、アルトリウシアに惨禍を振りまいて逃亡したハン支援軍アウクシリア・ハンはメルクリウス団による陰謀を主張している。自分たちはレーマに叛乱したのではなく、降臨を目論むメルクリウス団によってのだと…そして、しくも同じ日に実際に降臨は起きてしまっていた。これまでリュウイチの降臨を隠していたが、ハン支援軍がこれを知った以上は最大限に利用して来るだろう。

 アルトリウシアで行った殺戮と破壊と略奪について、責任追及を逃れようとするのは間違いないだろうし、降臨者リュウイチの身柄の引き渡しも要求してくるだろう。もちろん、そのような要求を受け入れるつもりは毛頭ないが、無視することも出来なくなった。ハン支援軍には多数の住民がさらわれたままになっており、彼らを交渉によって平和裏に解放させねばならないというのに、その交渉がこれまでよりかなり不利になってしまうのは疑いようがない。


 ハン支援軍はどのような手を打って来るだろうか?

 その対策は?事前に準備すべきこと、できることはあるか?


 既にハン支援軍がばら撒いている陰謀論も問題だ。今はまだほとんど広まっていないし、それを聞いた住民たちは誰も信じてはいない。むしろハン族がこんなバカなことを言っていると笑い話にしているくらいだ。しかし、このタイミングで降臨が事実であったことが住民たちに知られてしまえば、どんな混乱が起きるか分かったものではない。下手するとハン支援軍が正しかったと思い、侯爵家や子爵家に叛意を抱く住民も出てくるかもしれない。

 考えられる事態、考えるべき事柄は多岐にわたる。だが、準備も何もできていないのに話し合ったところでめぼしい答えなど出てくるわけも無かった。


 ひとまず時間を稼がねば・・・幸い、今は未だイェルナクしか知らず、そのイェルナクはアルビオンニウムへ渡ったらしい。おそらくイェルナクはサウマンディウムへ一度戻るはずだ。さすがにイェルナクのつらの皮がどれだけ厚かろうと、陸路をアルトリウシアへ戻ってくるほど神経は図太くあるまい。ならばプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵になるべく長い間イェルナクの足止めをしてもらい、エッケ島にいるハン支援軍に降臨の事実が伝わるのを遅らせねばなるまい。伝書鳩を使って伯爵に依頼し、稼いだ時間で状況の把握と対応の準備をするのだ。


 やたらと長い時間をかけた割りに決まったのはそれだけだったと言える。

 エッケ島へ逃げ込んだハン支援軍の戦力は半個大隊にも満たない。ハン族御自慢の騎兵はおそらく十五騎程度まで数を減らしているはずだ。船は『バランベル』号がほぼ廃艦となっており、奪われた貨物船クナールが七隻だけだから水上戦力は皆無。そんな彼らに取れる軍事オプションは多くは無い。そしてそれらはいずれも現時点で出来る対応をすでにとっている。あとは非軍事面での影響をどう考慮するかだけだが、これも現時点で想定できる範囲のことは対応しているか既に検討されている。会議は過去に行った想定と対策の検討を蒸し返すだけのものに終始していたのだ。


 結局、空騒ぎに近い会議が昼近くになり、エルネスティーネがそう言えば子供たちはどうしてるかしらと思い立ち、配下の一人に様子を見に行かせたことがこの無駄に長引いている会議を唐突に終わらせるきっかけとなった。

 

ケーキクーヘンを焼いているですって!?」


 使用人に耳打ちされた報告にエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人は我が耳を疑い、半月型の目を丸く見開いた。咄嗟に身を引いた使用人はうやうやしくお辞儀をすると言いづらそうな様子で改めて報告を繰り返す。


「はい、奥様グニーディグ・フラウ

 事情はわかりませんが、庭園ペリスティリウムでカール閣下とエルゼ様が御自ら大きなケーキクーヘンを御焼きになられておいでです。」


 使用人の報告は今度は会議に出席していた者たちの耳にも届いた。エルネスティーネの驚き様から何かあったかと全員が耳を澄ませていたからだったが、出席者たちもエルネスティーネと同様、耳を疑いざわめき始める。

 無理も無い。料理など貴族ノビリタスのすることではない。使用人や奴隷たちの仕事である。それをアルビオンニア属州において最も高貴な上級貴族パトリキである侯爵家の子がやっているなど、貴族の沽券こけんにかかわる問題だった。


 いけない!子供たちに、カールにそんなことをさせたとあっては、またハッセルバッハ家の人たちに何を言われるか分からないわ!


 エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人の立場は決して盤石なものではない。商家出身のエルネスティーネとその実家であるキュッテル家に対し、今でも反感を持っている貴族は少なくないのだ。夫マクシミリアンが亡くなった時も、カールが幼すぎるためにレーマ帝国の規定により侯爵位を継ぐことができなかったことから仕方なくエルネスティーネが継ぐことになったのだが、侯爵家の出身母体であるハッセルバッハ一族は未亡人のエルネスティーネではなく義弟のレオナード・フォン・クプファーハーフェン男爵が侯爵位を継ぐべきだと主張して譲らなかった。商家出身の女に侯爵家を守ることなど出来る筈はない…彼らは異口同音にそう主張した。

 彼らにとって残念なことに彼らが推したレオナード自身がエルネスティーネを次期侯爵に推し、親戚たちを説得したことから今の状態に納まっているが、もしもエルネスティーネがカールを立派な当主として育てられないと言われるようなことにでもなれば、再びお家騒動が再燃してしまう危険性がある。

 カールを立派に育て上げ、夫マクシミリアンののこしたものをすべてカールに受け継がせる…それがエルネスティーネの最重要課題である。そのエルネスティーネにとってカールがをしているなど、許せることではなかった。


「何故!?あの子たちが自分でケーキクーヘンなんて焼くわけないわ!

 ケーキクーヘンの焼き方なんて知ってるわけないもの!

 誰があの子たちにケーキクーヘンを焼かせていると言うの!?」


 普段のおっとりした様子はどこへやらすっかり狼狽うろたえエルネスティーネがまくしたてるように訊くと、使用人は自分が理不尽に怒られているかのような気分になりながらも相変わらずの慇懃いんぎんな調子で答えた。


おそれながら、リュウイチ様にございます。」


「!?…リュウ…イチ…様…」


 どういうこと!?

 カールはともかく、エルゼとディートリンデには大人しく部屋にこもっているように言っておいたはずなのに…まさかリュウイチ様と何かあったの!?


 エルネスティーネの思考は状況を理解できず、停止した。会議に出席していた重鎮たちがざわめき始める。


侯爵夫人マルキオニッサ侯爵夫人マルキオニッサ!?」


「え!?あ、ごめんなさい、何かしら?」


 隣の席からアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子に呼びかけられ、エルネスティーネはハッと我に返った。振り向いたエルネスティーネにアルトリウスは低い声で提案する。


「この会議で話すべきことはもうありますまい。

 伯爵への伝書鳩は部下に命じて用意させればいい。

 ひとまず陣営本部プラエトーリウムへ行かれた方が良いでしょう。」

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