第607話 パーティーの後始末

統一歴九十九年五月六日、午後 - マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子は執務室タブリヌムの中央に据えられた豪華な肘掛け椅子カニストラ・カティドラに腰掛けると、フゥーッと疲れたように溜息をつき、正面に並んで立つ神妙な面持ちの二人を見た。一人はヒトでアルトリウスが帝都レーマから招聘しょうへいした料理長アルキマギールスルールス、もう一人は降臨者リュウイチの奴隷でありアルトリウスの被保護民クリエンテスでもあるホブゴブリンのネロである。既に厨房クリナでは晩餐ケーナの準備が始まっており、本来ならルールスはそちらへ行ってなければならないのだが、今日の昼間の事情を訊くためにあえて呼びつけている。


 あの後、庭園ペリスティリウムに来ていた貴族ノビリタスたちにバウムクーヘンが振舞われ、立食でのケーキパーティーとなった。バウムクーヘンといってもパンケーキ用の生地を棒に塗り重ねて焼いただけの代物である。しかも生地を塗ったのは八歳と三歳の子供であり、塗りつた生地の厚さをヘラなどで整えるようなこともしていないため、バウムクーヘンの特徴である年輪のような層も厚さがまばらで全体の形もかなりいびつだ。《火の精霊ファイア・エレメンタル》の火加減が絶妙だったのか、生焼けも焦げも無いのがせめてもの救いであろう。

 見た目は褒められたものではないが、味の方は特に問題はない。生地の材料に変な物は含まれていなかったし、何と言っても本職の料理長アルキマギールスルールスが見ていたのである。卵と小麦粉と牛乳、そして砂糖のバランス調整の細かい部分は彼がやってくれていたので問題など起きようはずもない。


 それに何と言っても降臨者様リュウイチが中心になり、カール・フォン・アルビオンニア侯爵公子とエルゼ・フォン・アルビオンニア侯爵令嬢が焼き、手ずから切り分けてくれたバウムクーヘンである。貴族ノビリタスたちに不満や文句など言えようはずも無かった。むしろ、貴族たちにとっては御追従おついしょうを振りまく好機である。


「いや、さすが中々美味ですな。」

「我々が知っているバウムクーヘンより少し柔らかいようだ。」

「内側半分が白く、外側が色が濃くて甘くなっている。

 蜂蜜で本物の木のように彩られるとはさすがですな。」

「ううむ、コレが《レアル》のバウムクーヘンですか。」


 御世辞だとは分かっていても面映おもはゆい思いをしていたリュウイチは、自分が作ったバウムクーヘンがこの世界ヴァーチャリアでのとされてしまいそうな様子に気付き慌てて打ち消した。


『いやっ、これは職人じゃない素人が自分で作って楽しむための簡単レシピです。

 言ってみればインチキ・バウムクーヘンイミティアター・バウムクーヘンで…』


 しかし、貴族たちはこれをリュウイチの謙遜と受け取った。


模倣・ケーキイミタティオ・プラケンタ!?」

「ハッハッハ、それならご安心を!

 ヴァーチャリアの物はすべて《レアル》の模倣品イミタティオですよ。」

「左様、ヴァーチャリアではなく、イミタティアと呼んでもいいくらいだ。」

「それにしても職人でもない素人が自分の楽しみのためにケーキプラケンタを作るとは、《レアル》はやはり豊かな世界のようですな。」


 終始この調子なのでリュウイチも苦笑いするしかなかった。あまり変に強く否定しても、貴族になんてものを食わせるんだと怒られるかもしれないので下手なことは言えない。


 結局ケーキはその場にいた貴族のみならず使用人や奴隷たちにも振舞われ、突発的に起きたケーキ・パーティーは和やかな雰囲気で終始した。エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人はリュウイチに深く感謝の言葉を述べ、挨拶をして家族と家臣団と共にティトゥス要塞カストルム・ティティへと帰って行った。

 アルトリウスや子爵家家臣団ならびにアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの幕僚たちも、エルネスティーネらを見送った後にリュウイチに挨拶と感謝を述べて辞去している。


 バウムクーヘン・パーティーは成功裏に終わった……


「……が、どうしてああなった?」


 アルトリウスは背もたれに上体を預け、二人を見下ろして尋ねる。ネロとルールスは横目で互いを見ると、まずネロが口を開いた。


「その…リュウイチ様が昼食会プランディウムを御召し上がりになられておられたところ、エルゼ様が迷い込まれまして…」


「エルゼ様が?」


 フーッと鼻を鳴らし、アルトリウスが憮然ぶぜんと尋ねる。


「はい、乳母ヌトリクスのロミーが言うには、カクレンボケラビムス・エト・クァエリスをしていたら居なくなってしまったそうで…」


「なるほど…それで、リュウイチ様のところへエルゼ様が迷い込んだ…

 そこからどうしてああなった?」


「はい、それから…」


 ネロはそれから一部始終を説明した。途中、ルールスも加わっている。アルトリウスはそれを聞き、目を閉じ眉間を揉んだ。


 なるほど、降臨者様は自分のところへ迷い込んできた幼子を可愛がってやろうと思召おぼしめされたわけだ。それでわざわざ自らケーキを焼いた。

 もしかしたら、ご本人の退屈しのぎということもあったのかもしれない。ケーキを用意するならリュウイチ様自身が作られるより、ルールスに命じた方がよほど早くて面倒も無かったはずだからだ。

 かれこれもうすぐ一か月もの間、リュウイチ様はこの狭い陣営本部プラエトーリウムに閉じこもり、限られた貴族たちと身の回りの世話をするごく少数の奴隷とリュキスカにしか会っていない。ついこの間もルクレティアについてアルビオンニウムへ行きたがっていたようだし、我慢も限界に近づいておられるのかもしれん。

 バウムクーヘン・パーティーか…リュウイチ様はああいったが御好みなのかもしれないな…


「あの……子爵閣下ウィケコメス?」


「うん……いや、事情は分かった。」


 ネロたちの説明は終わった後もそのまま沈思黙考ちんしもっこうを続けるアルトリウスに、不安になったネロは躊躇ためらいがちに声をかける。ここに呼び出された時から叱られるのではないかと恐れていたからだ。

 ネロに思考を邪魔されたアルトリウスは、しかしそれで気を悪くすることはなかった。ムスッとした表情のままではあったが、俯いていた顔を起こし、改めて二人を見降ろす。


「だが、こういう事は起きないようにしてもらいたいな。

 お前たち、分かっているのか?

 一つ間違えば大変なことになっていたんだぞ?」


「はい、申し訳ありません。」

「はい、申し訳ございません。」


 二人は同時に口をそろえて答える。


上級貴族パトリキの子弟にケーキプラケンタを人前で焼かせるなど、あってはならん事だ。特にカール閣下は侯爵家の跡取りだ。

 このことが下手にハッセルバッハ家の誰かの耳にでも入れば、またぞろお家騒動が再燃しかねん。この時期にこれ以上の面倒は困るぞ?


 ま、今回は降臨者様の御手伝いと言う事で言い訳は立つがな。」


 降臨者がやることを手伝う…それは《レアル》の叡智えいちに触れることを意味する。今回の一件は降臨者リュウイチ様のケーキ作りをお手伝いすることで、《レアル》の料理文化・技術を学び、この世界ヴァーチャリアに広め世界の発展に寄与するという大義名分を利用することが出来た。もし、そのような大義名分無しで貴族の…それも侯爵家の公子たるカールがケーキを焼いたなどとなれば、侯爵家の体面を損なう問題となりかねなかっただろう。

 だが、大義名分を得たことで今回は却って手柄となる。降臨者から《レアル》の叡智を授かり、それを世に広めて世界の発展にするのは貴族にふさわしい高貴な行いと見做みなされるからだ。


「しかし、今回の一件もリュウイチ様の存在が公表されるまでは秘さねばならん。

 リュウイチ様の降臨を秘したまま、カール閣下やエルゼ様がケーキを焼いたという事実だけが先に広まって見ろ…どうなるか、わかるな?」


 アルトリウスがジロリと睨むと、二人はコクコクと大きく頷く。


「よし、では今回の件も当面は口外禁止だ。

 お前たちの部下たちにもきっちり伝えて置け。


 それからルールス、今日のケーキのレシピはしっかりと記録しておけよ?」


「もちろんです!材料も料理も簡単ですから、いつでも再現できます。」


 ルールスのこの答えにアルトリウスは少し顔をしかめた。求めていた答えと違っていたからだ。アルトリウスは出来の悪い生徒をたしなめる教師のようにルールスに注意する。


「そうじゃなくて、《レアル》の叡智としてムセイオンに報告せねばならんのだ。」


「はいっ、作りながら書字板タブラに書かせておきました。

 あとでちゃんと清書させます。」


 わかってるなら最初からそう言えばいいのに……アルトリウスはその言葉を飲んで目を閉じると、眉間を揉みながら今度はネロに話を振った。


「よし、ではネロ。」


「はい」


 神妙なネロにアルトリウスは半ば身を乗り出すようにして言い聞かせる。


「もしかしたらリュウイチ様は今回のようなお遊びがお好きなのかもしれん。

 相手は《レアル》から来られた降臨者様だ。我々の常識でははかり知れんこともあるだろう。

 今後、リュウイチ様の好みを探る意味でも、よくよく注意するように。」

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