第913話 失探

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ グナエウス峠/西山地ヴェストリヒバーグ



 ?……また何か揉められたのか?


 偵察のためグナエウス砦ブルグス・グナエイに侵入していたファドが戻ってきた時、ティフとペトミーの間には微妙な空気が流れていた。ペトミーはティフの話に納得していなかったのだ。

 馬が魔獣化モンスタライズするかもしれないと告げられたティフは、今日はもう馬には乗らないと言った。替えの馬を手配するとも言った。実際、馬の魔獣化を防ぐためにはそれくらいしかすることはない。まさかこの場で殺すわけにもいかないだろう。ここで馬を殺せば今後の移動に支障を来たすし、街道の真ん中に死体を放置すれば騒ぎにもなるだろう。『勇者団』自分たちがここに来たぞとレーマ軍にわざわざ教えてやるようなものだ。

 ティフが言ったのは当然の対応ではあったしペトミーの呈した苦言を完全に受け入れたものではあった。では何が面白くないのか?それはティフが「ここから引き返す」とまでは言わなかったからだ。


 ペトミーに言わせれば、そもそもただの馬を魔獣化するほど魔法を使ってまで酷使する時点でおかしいのだ。ルクレティア・スパルタカシアを追いかけたいのは分るが、何もこんな峠の頂上まで追いかけてくることはないだろう。間に合えばラッキー、ダメならすぐに諦めて一度戻り、準備を整えてからアルトリウシアへ遠征する……そういう話だったはずだ。現に他のメンバーはシュバルツゼーブルグに残ってアルトリウシア遠征の準備を始めているはずなのだ。今夜何としてでも追いつかなければならないというわけでは、断じてない。もっと早い時点で諦め、引き返していれば馬が魔獣化する危険性を生じさせることすらなかったはずだ。

 そしてここへ来てもティフはまだ諦めていない。あの砦にルクレティアが居なければ引き返す……そう断言しなかった。ティフが言ったのはあくまでも「今日はもう馬に乗らない。」と「帰りは曳いて歩いて帰る。」というだけだ。もし、ファドが戻ってきてルクレティアの一行が見つからなかったと言ったら、歩いて先に進もうと言い出すかもしれない……そんな予感がペトミーの内心で渦巻いていたのだった。そしてそれを指摘しようとしたちょうどその時、間の悪いことにファドが戻ってきたのである。


「ブルーボール様!」


 砦の正面の立哨りっしょうに見つからぬよう、わざわざ南側の崖を伝って来たファドが姿を現した時、ペトミーはファドの姿を何か気まずそうな表情で見てから口をつぐみ、ティフの前から一歩下がって駆け寄るファドのために場所を開けた。


「おおファド!

 よく帰った、さっそく報告を……ん、お前、誰か殺したのか?」


 ペトミーのこれ以上の追及を避けるため、そして待ち焦がれたファドの帰還を喜ぶため、両手を広げて明るく歓迎しようとしたティフだったが、ファドから漂うわずかな血の臭いに気づき顔を曇らせてしまう。ファドは申し訳なさそうに頭を下げた。


「ハ、申し訳ありませんブルーボール様。

 馬丁ばていを一人、怪しまれ、誤魔化しきれなくなったので、つい……」


 砦に潜入したファドはたまたま見つけた馬丁に声をかけた。これが普通の街なら、酒場にでも入って酒を飲ませながら適当に話を聞くことも出来ただろう。だが、残念ながら今回はレーマ軍の砦だ。驚くべきことに砦の中に小規模な街はあったし酒場のような施設もあったのだが、ファドが進入した時には既に閉まっており、店員が戸締りをしているところだった。

 仕方なくファドは捕まえた馬丁に自分の馬の飼料が足らないと嘘をつき、飼料置き場へ案内させるフリをして歩きながら話を聞いたわけだが、何せここは峠のてっぺんに造られた砦である。陽が沈めば既に真冬の寒さ、風は身を切るように冷たい。いつ雪が降ってきてもおかしくはない寒さの中、歩きながら話をして身体が冷えてしまった馬丁は「ついでに飼料をやるのを手伝ってやる」などと言いだしたのだ。

 自分の馬は砦の外に置いて侵入してきたのに、本当に自分の馬がいるわけもない。だが今更嘘でしたとも言えない。まあ、誰かの適当な馬を自分の馬と偽って飼料をやるフリでもすればいいだろう……ファドはそう思い、馬丁と二人で燕麦エンバクの袋を担いで厩舎まで行ったのだが、馬丁はその厩舎にいる馬すべてを知っていた。どの馬が誰の馬かを覚えていたのだ。


「?……ここだって?

 この中のどの馬がお前さんのだって?」


「ああ、一番奥の馬だ。

 ありがとう、ここまででいいよ。」


 馬丁のいぶかしみに気づかぬファドはそう言って馬丁を返そうとしたのだが、馬丁はファドの一言でファドが嘘をついていると見抜いてしまった。担いでいた袋をドサッと地面に落とすと両腕を組んで仁王立ちになる。


「おい、奥の馬はアンブーストゥス様んトコのフェーレーススだ。

 御者ぎょしゃのムーススの奴ぁ今、酒かっ喰らって高いびきよ。

 お前ぇ、いったい何者だ!?」


 その後ファドは何度か誤魔化そうと試みたが、その厩舎のすべての馬と持ち主を覚えている馬丁が相手ではどうにもならなかった。ファドを怪しんだ馬丁は、せっかく気持ちよく酔っていたのにこの寒空の下で無駄に働かされたことへの恨みもあったのだろう、砦の兵士に通報しようとしたためファドはやむなく口封じのために殺害に及んだのだった。


「騒ぎになっては困るぞファド!

 我々はこれから地の精霊アース・エレメンタル》をかわし、スパルタカシアに会わねばならんのだ。

 無用な戦いは避けねばならんのに、スパルタカシアのそばで人を殺し、向こうの警戒心を高めるようなことになっては……」


 ティフは悔いるように自らの眉間を揉みながら言った。

 いや、ティフも言いながら分かってはいる。ファドは『勇者団』ブレーブスで一番の潜入の天才。戦いを可能な限り避けねばならない『勇者団』の今の状況も十分に理解している。そのファドがやむを得ずというのであれば本当にどうしようもなかったのだろう。他の誰が行ってもファド以上のことができたはずもない。だがしかし、それが分かっていたとしてもやはりルクレティアの近くで殺人を犯したことでルクレティアと会う機会を逸してしまうとしたら、それはティフにとって耐えがたい失敗なのだった。


「それは御安心を!

 スパルタカシア様はここには居ません。」


「何!?」


 ファドの報告にティフは表情を一変させた。ペトミーも声には出さないが驚き、ファドの顔を見る。

 彼らは今日の午前中にシュバルツゼーブルグを発ったであろうルクレティアの一行を追って来た。シュバルツゼーブルグからここまで、街道沿いにあった軍隊が野営できそうな場所や施設は全て確認してきたつもりだがルクレティアの一行は見つからなかった。レーマ軍の行軍速度は啓展宗教諸国連合側のどの国の軍隊よりも速いが、それでもシュバルツゼーブルグからグナエウス砦までの距離を考えればその先へ行ったとは考えにくい。だから彼らはグナエウス砦を見つけた時にルクレティアたちはここに居ると確信したのだ。シュバルツゼーブルグからの距離、そして護衛兵と随伴する神官や使用人たち合わせて千人に達しそうな軍勢を収容できそうな規模の施設は他にない。


 だというのにスパルタカシアがここにも居ない!?

 一体どういうことだ!?

 まさか、《地の精霊アース・エレメンタル》の支援魔法で全員を強化して行軍速度を上げたのか!?


 自分たちが馬の走力を魔法で底上げすることで、本来ならほぼ丸一日かかるであろう行程を半日に短縮してシュバルツゼーブルグからグナエウス峠まで来たのだ。同じことをルクレティアの一行がやらないとは限らない。そのことに気づいた瞬間、ティフの顔から血の気が引いていった。


「そんな、馬鹿な……」


 そうつぶやいたティフの目はカッと見開かれていたが、その瞳は何も見てはいなかった。


 まさか!それでも千人は居たんだぞ!?

 千人も強化するなんて……いや、地の精霊アース・エレメンタル》なら出来るのか?

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