第914話 追跡続行

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ グナエウス峠/西山地ヴェストリヒバーグ



 明らかに動揺しているティフに対し、このまま話を続けてよいものか躊躇ためらいながらもファドは話を続けた。


「砦の中にスパルタカシア様を守っていたレーマ軍の姿はありません。

 小規模な砦の駐屯部隊だけで、貴族の馬車もありませんでした。

 そしてこれは馬丁ばていから聞いた話なのですが、どうやらスパルタカシア様は護衛部隊と離れたようです。」


「どういうことだ?」


 今度は隣からペトミーが割り込む。


「ハッ、砦の馬丁から聞いた話では、今日はシュバルツゼーブルグ側からは軍勢など来ていないそうです。」


 そこまで聞いてハッと我に返ったティフとペトミーが無言のまま視線を合わせた。


 どういうことだ?

 スパルタカシアはアルビオンニウムを出た時、三百人以上の兵士に守られていた。御付きの使用人や神官たちも含めて五百人はいた。それがブルグトアドルフでランツクネヒト兵と合流し、倍の千人近い戦力に膨れ上がっていたはずだ。ブルグトアドルフから逃げ出した住民たちを含めればその数はさらに膨らむ。

 ブルグトアドルフ住民たちはもしかしたらシュバルツゼーブルグで別れたのかもしれない。だが兵たちは?八百人以上いたはずの兵士たちはシュバルツゼーブルグにもいなかった。別の方へ向かったというのか?


「……そしてシュバルツゼーブルグ側から来た馬車で上級貴族パトリキのは一台だけ、わずかな護衛を伴ったものが夕方ごろに立ち寄っただけだと……」


「それがスパルタカシアの物だったのか!?」


「それが……」


 ペトミーに問われたファドは少し気後れするように一瞬眉を寄せ、逡巡しゅんじゅんした。


「残念ながら分かりません。

 ただ、その一団は名乗りも上げることなく砦で休憩だけしたのですが、貴族は馬車から一度も降りて来ず、そのまま行ってしまったのだそうで……」


「貴族なのに先触れも出してなかったというのか!?」


「はい。

 砦の兵士らが護衛の兵士と話をしたのだそうですが、何者かに襲われる危険があるとかで、あえて身元をあかさないんだとか……」


「そいつらは!?」


 今度はティフが食いついてきた。ペトミーの肩に手をかけ、押しのけるようにファドの方へ身を乗り出す。


「今夜は次の中継基地ステーションに泊まると言っていたそうです。

 砦の兵士たちは街道のアルトリウシア側はダイアウルフが出るから今日はここに泊まるよう止めたそうなのですが、少しでも先を急ぐと言って聞かずに出て行ってしまったのだとか」


 ティフとペトミーは互いに顔を見合わせたが、二人の表情は対照的だった。ティフの顔は期待に輝き、逆にペトミーの顔は曇っていた。


 スパルタカシアだ!間違いない!!

 『勇者団おれたち』の追跡をくため、目立たないように護衛部隊と別れたんだ!


 ティフはファドに向き直った。


「ファド!」


「おい!!」


 ファドに呼びかけるティフをペトミーが制止しようとするが、ティフはあえてペトミーを無視して続けた。


「その次の中継基地ステーションってのは!?」


「ティフ!!」


 諦めずに止めようとするペトミーの態度に戸惑いつつ、ファドは報告する。


「ハ……その、ここから六キロほど先だそうです……」


 一時間かからない距離だ!!

  

「ティフ!!」


 ついにペトミーはティフの胸倉をつかんだ。


「なんだペトミー!?」


「まさか行くって言うんじゃないだろうな?」


 束の間、二人は無言で互いの目を見合う。二人の吐き出す白い息が互いに相手にぶつかって広がる。その薄い靄の向こうで殺気立つ二人のハーフエルフたちを、ファド、スワッグそしてソファーキングの三人はハラハラしながら見ていた。

 ティフは自分の胸倉をつかむペトミーの手首に自分の手を添える。


「もちろん行くさ。ここから一時間もかからない距離だぞ?」


「ティフ!お前はここに来る前、約束したぞ。次が最後だってな。」


 フッとティフは笑った。


「そうだ。次でスパルタカシアの居場所が分からなければ諦める。

 だが、その最後の今回でスパルタカシアの居場所が分かったじゃないか!?」


「おい!!」


 明らかな詭弁きべんろうするティフの胸倉をペトミーは突きあげるように掴みなおすと、ファドは両手を上げて二人の間に入ろうか入るまいか迷うような仕草を見せた。


「ふざけるなよティフ!

 馬たちはもう限界だ!

 お前は馬にはもう乗らないって言ったぞ!?」


 ティフは薄笑いを消し、ペトミーの左右の目を交互に見比べるように目を二度三度と泳がせると、おもむろに自分の胸倉をつかんでいるペトミーの手を払った。


「ああ、乗らないさ!

 ここから先は歩いて行く。」


「何だと!?」


「見ろ!」


 顔をしかめたペトミーから目を逸らせるように身体をひるがえし、ティフは眼前の砦を指示さししめす。


「このまま街道を先へ行くにはあの砦の前を通らなきゃいけない。

 馬に乗ったままじゃあそこの門番に見つかっちまう。

 だからどうせ馬には乗って行けないんだ。」


 そこまで言うとティフは再びペトミーの方へ振り返った。その顔には先ほどのような薄笑いが浮かんでいる。


「だから馬には乗って行かない。

 むしろ、歩きの方が都合がいいだろう。

 この岩山を越えて行けば、砦から見つからずに行けるぞ?」


 ペトミーの顔をまっすぐ見ながら、左手をかざして街道を挟んで砦の向かいにある岩山を指した。今、彼らを砦の立哨の視界から遮ってくれている岩山をだ。

 それは確かに馬では無理だが人間ならよじ登って越えられなくもない程度の、崖とも斜面とも言い難い岩山がそびえている。砦にファドを潜入させる前に実際に登って上から砦を観察したので、そこを徒歩で越えられることも岩山の向こう側に街道が続いている様子も確認済みだ。

 ペトミーは再びティフの襟首を両手で掴んだ。


「馬をどうするつもりだティフ!」


「抑えてくださいペトミー様!」


 さすがにファドが声をかけたが、ペトミーは小さく「うるさい」とファドを退けた。


「街道のど真ん中に馬を置き去りにする気か!?

 捨てるのか!?

 ここには馬を繋いで置けるような場所なんて無いんだぞ!?」


 ペトミーが言う通り、ここは石畳の街道のど真ん中。街道の南側は断崖絶壁だんがいぜっぺき、北側は馬には登っていけないであろう岩山があるばかりで木の一本も生えていない。馬を繋いで置けるような杭も、その代わりになるようなものも何一つなかった。

 馬は勝手に逃げるだろう。逃げるにしろ逃げずに留まるにしろ、誰かに見つかれば捕まえられて盗られてしまう。あるいは、熊や狼などの野生動物に襲われる可能性もあるかもしれない。ルクレティアに会って帰ってきた彼らが、再び馬を見つけられる可能性はほぼゼロに等しいだろう。それが分かっていて置いていくなど、馬を事実上捨てるようなものだ。そしてそうした行為はテイマーであるペトミーにとって、許せるものではなかった。馬はペトミーがテイムして使役するモンスターとは違うが、互いに信頼関係を築いて付き合うべき対象である点では変わらない。一定以上の敬意をもって接するべき存在なのだ。その馬を無責任にも捨てる!?……ペトミーの腹の底から沸々ふつふつと怒りが沸き上がる。

 ティフはペトミーとは付き合いが長い。当然、ペトミーがどういうつもりで食って掛かっているのか想像ぐらいはついていた。再び両手でペトミーの手首をつかむ。


「馬は置いていく。」


「ティフ!!」


「聞けペトミー!

 馬だけを置いて行かない。」


 ティフはペトミーの腕の力が少し弱くなるのを感じた。


「スワッグと、ソファーキングも置いていく。」 

「何だと!?」


 ペトミーとファドは我が耳を疑った。


「二人には馬の番をしてもらう。

 あの馬たちは結構賢い。俺たちのアジトとかある程度憶えてる。

 それがレーマ軍に捕まって見ろ、馬のせいでアジトがバレちまうかもしれない。

 だから二人に馬の番をしてもらう。

 スパルタカシアのところへは、俺と、お前と、あとファドの三人で行く。」


「あ、あの二人は?

 戦力として必要だから連れて来たんじゃなかったのか?」


 そう問いかけるペトミーの、ティフの胸倉をつかむ両手からは既に力が抜けていた。


「状況が変わった。

 何百人ものレーマ軍を相手にするかもしれなかったからあの二人に来てもらったが、スパルタカシアはレーマ軍とは分かれた。少数の護衛しかいないんだったら、スワッグやソファーキングに支援してもらわなきゃいけない場面は無いだろう。

 だから彼らには馬の番をしてもらう。

 何なら、馬を連れて先に帰ってもらってもいい。」


 ティフはペトミーの手を自分の胸倉から離させると、ペトミーの両肩に手を置いた。


「分かってくれペトミー。

 あと一時間のところにスパルタカシアが居るんだ。

 ここまで来て、チャンスを無駄にしたくない。

 力を貸してくれ!!」

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