追手

第915話 逃亡者たち

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 ちりばめられた無数の星々はきらめき、圧倒的な輝きで雲一つない夜空を支配する月とともに壮大な光のページェントを形作っていたが、何人なんぴとも真似することの叶わぬその芸術は、残念ながら木々の生い茂る森を縫うように伸びる間道からは見上げることは叶わなかった。もはや冬のような寒さの中でも葉を落とさない針葉樹林の中は星々どころか月の光さえ届かぬ文字通り光一つない暗闇の世界である。

 鳥目でなくとも文字通り一寸先さえ見通すことのできない暗闇であるにもかかわらず、息を乱しながら走る小さな集団がいた。人間二人、馬五頭では「集団」と呼んでよいのかどうかも怪しいが、彼らは松明たいまつのような自前の灯りさえ持ち合わせていない。であるというのに、慎重に歩くことすらままならない暗闇の中を、迷うどころか足元の凹凸につまづくことすらなく結構な速度で進み続ける。


「ホエールキング様!

 このままじゃ、ホントにブルグトアドルフまで戻ってしまいますよ!?」


「しょうがないだろ!

 まさかレーマ軍が基地を復旧させてるなんて思わなかったんだ!」


 彼らは『勇者団』ブレーブスのペイトウィン・ホエールキングとエイー・ルメオの二人だ。ルクレティア・スパルタカシアを手紙で挑発し、シュバルツゼーブルグの街に留まらせる……その作戦を実行するにあたり、手紙を受け取ったルクレティアの命によりレーマ軍が『勇者団』のアジトを襲撃してくることを予想し、シュバルツゼーブルグから脱出して盗賊団の残党を集めている筈のクレーエたちと合流すべく北へ向かっている最中だった。この真っ暗闇でも走っていられるのは彼ら自身が暗視スキルを持っていたことと、連れている馬たちにも暗視魔法をかけていたからである。光の届かない森の中を火も使わずに移動し続ける彼らを、普通の人間には追跡するどころか存在に気づくことすらできないだろう。


 その彼らにとって誤算だったのは、彼らの今夜の宿が見つからないことである。ペイトウィンは当初、シュバルツゼーブルグ北の街道沿いの中継基地スタティオのいずれかを利用するつもりでいた。彼らはほんの五日前に中継基地を盗賊団に襲撃させ、壊滅に追い込んでいた。彼らが把握する限りではシュバルツゼーブルグ周辺で十分な戦力を有するレーマ軍はルクレティアの護衛部隊だけであり、他のレーマ軍に余剰戦力は無い。であるならば、壊滅させた中継基地を復旧させるのはかなり先だろうと見込まれていた。当然、それまで中継基地はになるはずだった。ペイトウィンはそこを今夜の宿として借りようとしていたのである。

 ところが、実際に行って見ると中継基地は復旧していた。小規模な基地を防衛するには十分な数のランツクネヒト兵士が駐屯しており、煌々こうこう篝火かがりびを焚いて周囲を警戒の目を光らせている。


「何でランツクネヒトあいつらが!?」


 森から出る寸前にレーマ軍の存在に気づいたペイトウィンは驚き、立ち止まった。もし立ち止まるのが遅かったら、彼らは中継基地のレーマ軍に見つかっていたかもしれない。そして馬を連れて一旦森に引っ込み、エイーと共に基地を観察し、そしてその基地を利用するのを諦めた。

 その中継基地に駐屯できるのはせいぜい一個小隊くらいなものだろう。完全武装の兵士とはいえ百人に満たない小勢でしかも小さな施設にまとまっているのだ。ペイトウィンが本気で魔法攻撃を行えば一撃で全滅させることも出来ただろうが、さすがにそれを実行するほどペイトウィンは愚かではなかった。


 その中継基地からシュバルツゼーブルグの街まで十キロと離れていなかったし、レーマ軍なら早馬で定時連絡を行っているだろう。仮に守備兵を全滅させたとしても、夜が明ける前に異変に気付いたレーマ軍が部隊を差し向けて来るであろうことは明白だ。そして、その中にあの《地の精霊アース・エレメンタル》が含まれていれば、彼らはそのまま捕まることになるだろう。守備兵を全滅させたとしても宿として利用できないのであれば意味はない。

 それに一撃で守備兵を全滅させるとなれば、あの基地の建物ごと破壊するような大威力の攻撃魔法をもちいらざるを得ないだろう。それだけの大威力の魔法を使えばそこからでもシュバルツゼーブルグにいる《地の精霊》に気づかれてしまうかもしれなかったし、第一これから宿泊のために利用しようという建物を自分で壊してしまったら本末転倒だ。

 それに当面は戦闘を避けるのが今の『勇者団』の基本方針だ。精霊エレメンタルたちを真に操っている黒幕……そんなものが本当にいるのかどうかわからないが、彼らのリーダーであるティフ・ブルーボールが想定しているソイツとの交渉を成功させるためには、ここで事を荒立てるようなことはできない。


 そういうわけでペイトウィンは早々にその基地をあきらめ、更なる北へ向かった。そして、その基地から一つ北隣の中継基地も同じように復旧しているのを確認し、更に北へ逃れることにしたのである。

 シュバルツゼーブルグとブルグトアドルフの間にある中継基地は二つだけ……つまり、彼らはこのままでは本当にエイーが言った通り、ブルグトアドルフまで戻らねばならなくなってしまう。今朝、ブルグトアドルフを発って昼にシュバルツゼーブルグへたどり着いた彼らは晩にシュバルツゼーブルグを発ち、真夜中過ぎにブルグトアドルフへ戻ろうとしていたのだった。


「でもホエールキング様!

 ブルグトアドルフには森の精霊ドライアド》様が居ますよ!?

 下手に近づかない方が良いんじゃ……」


 エイーは一昨日目の当たりにした《森の精霊》を警戒していた。本気になったスモル・ソイボーイをものともせず、スワッグ・リーをも手玉に取り、ナイス・ジェークを捕えてみせた精霊……《地の精霊》から逃れたところで《森の精霊あんな化け物》とぶつかったのでは意味がない。落とし穴を避けようとして別の落とし穴にまり込むようなものだ。

 ナイスはエイーを逃がすために自ら囮になり、《樹の精霊トレント》たちを惹きつけて捕虜になってしまった。そのことに少なからず責任を感じていたエイーとしては今日ここで再び《森の精霊》と遭遇し、ペイトウィンを敵の捕虜にしてしまうわけにはいかなかったのだ。


「東に迂回うかいするから大丈夫だろ!?

 今朝だってわなかったじゃないか!」


 そういうペイトウィンにしたところで決して《森の精霊》をあなどっているわけではない。彼は《森の精霊》とは遭ったことは無かったが、それでもその強さが尋常でない事ぐらいは理解している。ティフ達からの報告を聞いただけだったなら彼も信じなかったかもしれないが、ペイトウィンはその前に海峡の《水の精霊ウォーター・エレメンタル》アルビオーネと一戦交えていたのだ。ティフ達の報告が嘘や誇張などではないことぐらい簡単に理解できたし、《森の精霊》の強さもアルビオーネや《地の精霊》と同じくらいに……戦えば絶対に負ける相手だと確信していた。


「昼間は大人しくしてたとかじゃないんですか?

 実際、あんな強力な精霊エレメンタルだったのに誰も気づけてなかったし……」


 不安そうなエイーの心配は最もなことではある。それについてペイトウィンも考えないわけではなかった。常識的に考えてあれほど強力な精霊が突然現れるわけがない。あんな精霊を見たら元からこの辺に居た土着の精霊と考えるのが普通だ。だが、彼らはアルビオンニアに渡って以来何度かこの辺も往復したが、あのような強大な精霊の存在には全く気づけていなかった。だとすれば、理由は分らないが今まで《森の精霊》は自らの気配を遮断し、魔力を隠蔽いんぺいして『勇者団』たちに見つからないようにしていたとしか思えない。

 そう思うと彼らは急に心細くなってくるのを自覚した。彼らが行動できているのは魔法やスキルで暗闇を見通せているからだ。だが、本当は見通せてなどしておらず、のだとしたら?……その想像は彼らの心の奥底から根源的な何か、すなわち“恐怖”を呼び覚ました。それを振り払うようにペイトウィンは声を張る。


「そんなの知るもんか!

 とにかく、こんな……何が潜んでるか分からないような森で、俺たちだけで野宿したくなけりゃ先を急ぐんだ!

 この先に居るんだろ、盗賊どもが!?」


「ああ……クレーエたち、ホントに合流できるのかなぁ?」


 ティフに盗賊どもの統率を任された一人、クレーエを思い出しながらエイーは情けない声を上げた。盗賊どもの中では一番役に立ちそうな人物ではあったが、彼らからすれば所詮は只のNPCである。《森の精霊》相手に口八丁手八丁でしのいでみせた度胸はあるが、“戦力”としてはアテにならない。ところが、そのクレーエを彼らはこれから頼ろうとしていたのである。『勇者団』として、ゲーマーの血を引く冒険者として、それは情けない状況だと言えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る