第916話 暗夜に待ち構える者

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 普通、人間は大なり小なり集団を作り、集まって生活する。人同士が寄りって家族になり、家族が集まって集落が、村が、街ができ、地域社会が営まれる。何故かと言えばその方が圧倒的に楽だからだ。

 社会基盤のない環境での生活は過酷を極める。飲み水を確保するだけでも多大な労力を要し、更に食料を確保し、それらを安全に食べられるように料理しようとすればそれだけのために毎日数時間もの時間を費やさねばならない。ほとんどの人は一日の大半を、自分が生きるただそれだけのための活動に当てなければならないだろう。そしてそういう余裕のない生活はどうしたところで生活の質を低下させざるを得ない。清潔を保ち続けるのは困難になり、不衛生な生活環境は活力を低下させ、時に感染症や食中毒といった病気をももたらす。活力の低下から食料や飲料水、そして燃料などの確保に支障を来たせば、もう次の冬を越すことすらできなくなる。

 しかしそうした作業を分担することが出来れば、生活は格段に良くなる。人間には誰だって得手不得手があるのだ。食料を得ることに長けた者も居れば苦手な者も居る。洗濯や掃除といった衛生環境を維持する活動が得意な者も居れば不得手な者も居る。そうした個々の作業を得意な人、長けた人に任せ、互いの苦手な部分を補い合うことが出来れば、生活するというただそれだけのために要する労力は大きく減少するだろう。だからこそ人々は互いに寄り合い、支え合って生きていく。地域社会とはそのために存在している。


 にもかかわらず、地域社会から外れての生活を余儀なくされる者はどんな時代、どんな世界にも存在した。皮なめし職人や羊毛の縮絨しゅくじゅう業者、羊皮紙業者、魚醤ぎょしょう生産者のように、必要とされる仕事ながらその職場が放つ悪臭ゆえに集落から離れた場所に追いやられていた人たちもいたし、鍛冶屋や陶芸家、パン焼き職人などのように火を使う職業であるがために火災を恐れて市街地から離れた場所や川沿いでの生活を強制されていた者たちも居た。きこりや猟師、炭焼き職人などのように人里離れた山の中での仕事のために集落から離れていた人たちもいたし、あるいはただ単に地域社会に馴染めずに集落から離れざるを得なかった者たちも居た。地域社会からうとまれ、迫害され、追放されてしまった者たちももちろん存在する。


 この世界ヴァーチャリアでいかにも暮らしにくいであろう人里離れた森の中にポツンと建つ家は大抵がそういった者たちが生活するために建てたものだった。その多くが只の掘立小屋ほったてごやであり、隙間風が吹きすさび雨漏りさえする粗末な代物ばかりである。まともな建物を建てるだけの技術を持った者なら、街中での居場所を失うようなことなど滅多にあるものではない。その逆も真であり、街中から離れて暮らさざるを得なくなったものがまともな建物を建てる技術など持っているわけもないからだ。

 上を見上げれば天井など無くて、剥き出しになった屋根裏は屋内で焚いた焚火の煙で真っ黒にすすけており、下を見下ろせば床も無い。よく言えば土間だが、ただ単に地面が剥き出しになっているだけだ。壁は板や丸太を並べて張り合わせただけであり、隙間を土や草で埋めてはあるがそれらはしょっちゅう崩れ落ちる。タールでも塗り付けてあればまだ良い方で、大概は何の処理もしていないので虫やキノコに食われたり腐食していたりで壁や柱や梁と言った構造物そのものが激しく傷んでいる。家は生き物という人がいるが、実際のところ住む人がいなくなり手入れのされなくなった建物は建設当初はまともな建物であっても急速に傷んでいくものだ。まして粗末な掘立小屋など、誰も手を入れなければ十年と持たずに崩れて朽ち果てるであろう。


 『勇者団』ブレーブスが各地でアジトにしていた建物の多くはそういった掘立小屋だった。まあ、人目につかない場所にある、十数人が寝泊まりできる建物となると相場は限られる。他所の地域ならば放棄された集落や教会、古戦場の砦などといった比較的まともな建物が廃墟となって残っている例が無いわけではなかったが、レーマ帝国が進出して開拓がはじまってから百年と経っていないアルビオンニアでそのような優良物件などあるはずもない。

 が、ペイトウィンたちが向かっている先にある建物は例外中の例外といって良い優良物件だった。


 それはブルグトアドルフの街から一時間ばかりの距離にあり、周囲を森に囲まれた小高い丘の上にあった。街までの道も比較的整備されており、石畳とまではいかないが馬車が通るのに支障がない程度に整えられている。

 建物もちゃんとしており、敷地は全体がかさ上げされて石積みの半地下構造の地階ちかいが設けられ、そこに使用人用の居室と貯蔵庫と調理場が集中されている。その上に地上二階建ての瀟洒しょうしゃな構造物が載っていた。

 一階に大きな広間ホールを中心に来客用の部屋が配置され、二階が家の主人家族のための居住スペースだ。柱もはりも太く頑丈な木材が使われ、造りはかなりしっかりしている。調度品類はあまり残されていないが、それでもかなりな財力を持った人物の山荘であることが建物だけを見ても明らかだ。

 それはかつてとある上級貴族パトリキが狩猟をたのしむために建てた山荘だった。レーマ帝国貴族が好む古代ローマ風ではなく、《レアル》英国貴族のカントリーハウスやマナーハウスの様式を意識した構造やチューダー洋式の建物にありがちなハーフ・ティンバー様式の壁は完全にその貴族ノビリタスの趣味だった。蛇足だがアルビオンニア属州でここ十年ほどの間に建てられている比較的新しい建物の多くがここと同じようにハーフ・ティンバー様式を取り入れているが、そのきっかけとなったのがこの山荘であり、アルビオンニアにおける建築史を語るうえではエポックメイキングな建築物となっている。


 貴族の山荘ではあったが現在ではもちろん使われていない。山荘の持ち主は現在遠く離れたクプファーハーフェンに居住しており、山荘には建物を維持管理するための使用人一家が住み込んでいたのだが、一昨年の火山災害でアルビオンニウムが放棄されて以来退去しており、現在ではたまにブルグトアドルフから警察消防隊ウィギレスが様子を見に来る程度になっている。

 その山荘の鍵を『勇者団』は支援者から入手し、拠点として使っていた。山荘は火山性地震の影響でところどころ傷んでおり、一部の壁にヒビが入って漆喰しっくいが若干崩れ落ちるなどの被害はあったが、元々の造りが良かったせいか雨漏りや隙間風など緊急の修理を要するような損傷は無かった。山荘の主人は管理人たちを退去させる際に家具や調度品類もすべて引き上げていたが、『勇者団』が拠点として使わせてもらう分には何の支障もない。むしろ彼らが使う拠点の中でその山荘は最上等の物件であり、ペイトウィンにしろエイーにしろそこで一夜を明かせるのなら却ってラッキーだったのではないかと心のどこかで思っていたほどだった。


 ともあれ、そこまで行けばクレーエが逃げ散った盗賊団の生き残りを集めて待っている筈である。このどうしようもなく暗くて寒い森を抜け、そこへたどり着くことができれば、疲れを癒すには格好の快適な空間が約束されている筈だった。

 

「!!……何だ!?」


 第四中継基地スタティオ・クアルタがレーマ軍によって復旧しているのを確認したペイトウィンたちが目的の山荘を目指して間道を進む中、その道程の中間地点にほど近い分かれ道……右に行けばシュバルツゼーブルグ、左へ行けばブルグトアドルフの山荘というところに、ソイツは立っていた。

 ハーフエルフらしい長身痩躯ちょうしんそうくなペイトウィンよりも更に背が高く、それでいて服の上からでもハッキリわかるくらいに全身を筋肉で盛り上がらせた人間。その男の青白い顔、グレーのジャケット、白いシャツとズボン、銀のベストはこの光一つ届かない暗闇の中に浮かび上がるように見え、おそらく暗視魔法や暗視スキルが無くても否応も無く気づかされるほどの存在感を放っていた。その男がこちらをニコニコと微笑みながら見ている。その男に気づいたペイトウィンは思わずその場で立ち止まった。その後ろを小走りで付いて来ていたエイーも追突しそうになって急停止する。


「な、なんですホエールキング様!?」


「シッ、何かいる!」


 驚いて声を上げたエイーをペイトウィンは𠮟りつけるように黙らせた。その声は明確に警戒の色に染まっていた。

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