第1037話 想像以上

統一歴九十九年五月十日、午後 - ティトゥス要塞カストルム・ティティスパルタカシウス邸/アルトリウシア



「で、君とて暇な身ではないはずだ。

 わざわざ恩師の顔を見に来たなどというわけもあるまい。」


 ルクレティウスは挨拶もそこそこに、気さくな調子でかつての愛弟子に話を促した。茶碗ポクルムに手を伸ばしながら笑顔を作っているが、その視線は茶碗を手に取ったのちも茶碗へ向けられたままだ。ルクレティウスは車椅子に深く腰掛けているのだが、車椅子自体はルクレティウスの脚が円卓メンサの脚に当たらないよう円卓に対して斜めに……ちょうど中庭ペリスティリウムの方を向くように置かれていたため、ルクレティウスの姿勢や挙動に不自然な点は、少なくとアルトリウスの目には映らなかった。


「はい先生、お心遣いに感謝申し上げます。」

 

 アルトリウスもルクレティウスの使用人が淹れてくれた香茶の茶碗に手を伸ばし、自分の方へ引き寄せる。


「本日先生をお訪ね申し上げましたのは、過日にお手紙でお願い申し上げました件につきまして、改めて御協力賜りたく……また、ルクレティア御息女のアルトリウシアへの御帰還に際しまして、軍団長レガトゥス・レギオニスとして道中の安全策について直接ご説明申し上げるべく参上した次第でございます。」


 アルトリウスの口調がどこか持って回った様な野暮やぼったい印象を与えるのは、ルキウスからルクレティウスの様子について教えられており、それゆえに内心でルクレティウスの不興ふきょうを警戒しているからだった。

 ルクレティウスはアルトリウスの説明を聞きながら口をすぼめて香茶を啜ると、フムッと小さく息を飲み、視線を正面の、どこか空中へ投げかけながら、何かを思い出すように話す。


「ああ、たしかリクハルド卿が困っているとかいうお話だったかな?」


 いつもならそうは思わなかっただろうが、アルトリウスにはルクレティウスが何かとぼけているような白々しさが感じられてしまい、思わず口を横一文字に引いて苦笑いを作る。


 リクハルド卿を快く思っておられないというルキウス養父上の予想は、間違っていなかったということか……


「はい、先生。おっしゃる通りです。」


 アルトリウスがそう言うとルクレティウスは手に取った茶碗を再び口元へ運び、香茶を啜るような姿勢を作り、一瞬だけアルトリウスの方を横目で見る。


「それは構わん。」


 ルクレティウスは短くそう言うと、すぐに香茶をわざと音を立ててズズッと啜った。てっきりルクレティウスがゴネるものと思っていたアルトリウスは驚き、両眉を持ち上げて言葉を探す。が、アルトリウスが言うべき言葉を見つける前にルクレティウスは出鼻をくじくかのように舌鼓を打ち、ハァーッと大きく息を吐いた。


「たしかに君の言う通りだ。

 リュウイチ様の降臨を伏せるためには、新聖女様のことも秘する必要がある。

 なのに神官フラメンたちが新聖女様のことを方々に訊いて回っていたのでは、確かに色々と都合が悪かろう。

 私はどうやら、己の軽卒を恥じねばならんようだ。」


 窓の向こうに見える中庭の美しい冬の花々に視線を遊ばせながら、ルクレティウスは独り言ちるように反省の言葉を並べ立てる。やや大袈裟に聞こえるそれは何かを思い切って洗いざらい打ち明けるかのような勢いと音量を持ってた。

 いえ先生、そこまでおっしゃるほどのことは……と、宥めようとしたアルトリウスだったが、ルクレティウスはまたしても切っ先を制するかのようにおもむろにアルトリウスの方を向く。目が合ってアルトリウスは初めて、そういえば今日、ルクレティウスがまだ一度も目を合わせてくれていなかったことに気が付いた。


「実はもう、神官たちには調査を止めるよう指示を出してある。」


 何の感情も読み取れないがまっすぐ自分に向けられたまま微動だにしないその視線にアルトリウスは思わず息を飲み、返す言葉を失ってしまう。


 やはり、ルキウス養父上のおっしゃった通り、ルクレティウス先生は機嫌を損ねてらしたのか?


 尊敬していた、優れた理性と知性、そして高潔な人格の持ち主だと思っていた恩師の怒り……それも理不尽なまでの私情を目の当たりにし、アルトリウスは動揺を禁じ得ない。

 表情を失ったアルトリウスを、まるで睨むように見つめていたルクレティウスは不意にニコリと笑い、再び視線を窓の外の中庭へ向けた。


「だから、リクハルド卿へは君からそのように答えておいてくれるかな?」


 中庭へ向けられたルクレティウスの横顔からは再び表情が消えていた。

 アルトリウスはゴクリと唾を飲み、それから溜息を噛み殺す。


「かしこまりました……。」


 アルトリウスはそう答えるしかなかった。

 ルクレティウスとリクハルドの間に不和の火種が残されてしまっているのはアルトリウスにとって残念な結果だった。ルクレティアとリュキスカは共に協力してリュウイチに仕えている。その二人を支える立場になるはずのルクレティウスとリクハルドの間にも協力関係を築くことが出来たなら、アルトリウスにとって、いやアルビオンニア全体にとっても心強い体制を構築できたことだろう。アルトリウスもそれを望んだからこそ、リクハルドとルクレティウスの間を取り持つように手紙をしたためたつもりだった。が、結果はそうはならなかった。

 ルクレティウスは聖貴族である。その出自と血統こそが彼の一族、スパルタカシウス家が貴族たる最大の根拠となっている。だからこそ、出自も血統も怪しい平民プレブスとは安易に交わることが出来ない。しかも文明をもたらした降臨者の一柱たるスパルタカスの子孫として、無法者や野蛮人は忌避すべき相手である。この点、リクハルドは元・海賊であり、南蛮のコボルトの血を引いているため、ルクレティウスが忌避する基準をすべて満たしてしまっていた。そも、ルクレティウスは火山災害が起きてアルトリウシアへ避難してくるずっと前から、初代子爵グナエウスが海賊退治に功績があったとはいえ犯罪者どもを郷士ドゥーチェに取り立てたことを快く思っていなかったし、当人たちにもなるべく会わないように、接点を持たないようにしつづけていたのだ。

 そこへ来てリュウイチという降臨者に、生まれも定かならぬ娼婦を差し出し、リュウイチの最初の聖女となるはずだった自分の愛娘ルクレティアをないがしろにしたのである。ルクレティウスがリクハルドを嫌うようになるのも当然と言えば当然のことと言えよう。

 が、ルクレティウスはそのように思ってはいてもリクハルド本人はそのようには考えていない。そもそも彼はリュウイチの存在はもちろん、降臨があったことすら知らないのだ。当然、自分がルクレティウスに嫌われていることも知らない。

 

 困ったな……


 リクハルドはいずれ降臨のこともリュウイチのことも知ることにはなるだろう。が、それまでは秘さねばならない。秘匿を解除した後、ルクレティウスとリクハルドには是非友好的な協力関係を結んでもらわねばならないのに、両者の協力関係はゼロどころかマイナスからのスタートになってしまう。

 アルトリウスは心なしか、頭がクラクラしてくるのを感じた。


「よろしく頼むよ。

 ではその件は以上だな

 では次だ。

 たしか、ルクレティアの帰路の安全がどうのとかいう話だったと思ったが?」


 アルトリウスの気持ちなど気にも留めていないかのように、ルクレティウスは先を促した。おそらく、リュキスカやリクハルドの話題など、触れたくも無いのだろう。

 ルクレティウスに促されてハッと我に返ったアルトリウスは「ハイッ」と声だけは元気に答え、手に持っていた茶碗から香茶を一口啜った。

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