第974話 偽装作戦

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ グナエウス街道第五中継基地スタティオ・クィンタ・ウィア・グナエウシイ前/西山地ヴェストリヒバーグ



 峠を越えてシュバルツゼーブルグまで戻らねばならない彼ら『勇者団』ブレーブスにとって最大のネックは峠の頂上にあるグナエウス砦ブルグス・グナエイだ。グナエウス街道を通る以外に馬を連れて峠を越えるルートは存在せず、街道は砦のすぐ前を通る。よって、彼らが砦の前に立っている歩哨の監視の目を逃れて通り抜けることは難しい。デファーグたちもここに来る前に砦の前を仕方なく通ってきたのだが、その際も門前の立哨りっしょうから「待てマネーテ止まれプロイベーテ!!」と呼び止められていた。もちろん、デファーグたちは無視して全力で駆け抜けてきたのだが、もしかしたら今頃砦では警戒態勢が敷かれている可能性も否定できない。

 しかしダイアウルフ出没の影響でレーマ軍が及び腰になっているとすれば好都合だ。砦のレーマ軍がデファーグたちを追って来ないのも同じ事情なのかもしれない。もしそうならこのまま全員で砦の前を通過したとしても、砦のレーマ軍が追って来ないことが期待できる。霧が出ている今ならなおさら好都合だ。霧が晴れる前に突破できれば確実だ。これはもう急いでシュバルツゼーブルグを目指すべきだ。デファーグの提案は至極当然なものだった。


「待て、待ってくれみんな!」


 うん、そうだ!急いで帰ろう!!……『勇者団』の面々がデファーグの提案を受け入れようとした矢先、ティフが慌てて止めに入った。


「何だよティフ!?

 後でできる話なら道中にしてくれ。」

「ティフ、さっきの様子じゃアンタ、ペイトウィンが危ないかもしれないって思ってるんじゃないのか!?

 だったら急ごう!」


 動こうとしないティフをペトミーとデファーグが相次いで急き立てる。しかしティフはそれでも両手を広げて二人をなだめた。


「さっきのレーマ軍の通信文はスパルタカシアの護衛部隊宛だったんだ!」

 

 ティフが叫ぶように言うと、ペトミーとティフは黙った。が、その顔には不満が色濃く表れている。ティフはその視線に何か気まずいものを感じながら、喉に詰まりそうな何かを振り払うように手ぶりを交えて説明する。


「レーマ軍の、アルトリウシア軍団の司令部から、スパルタカシアの護衛部隊に宛てた命令だった。

 内容は今のグナエウス街道……つまりこの街道だ。この街道にダイアウルフが出没して実際に被害が出ているから、ダイアウルフを駆除するまでグナエウス砦に留まれっていうものだった。

 それで、あとダイアウルフを始末する作戦の内容も、ちょっと書かれてた。」


「それがどうかしたのかティフ?」


 先を急ぎたいデファーグは不満そうだ。


「この手紙で分かることはスパルタカシアはここを通ってアルトリウシアへ帰る予定だってことと、街道上のダイアウルフが片付くまでグナエウス砦からこっちへは来れないってことだ。」


「だからそれが何だって言うんだ!?」


「まあ落ち着けよデファーグ、ティフの話をもう少し聞こう。」


 ティフが何を言おうとしているのかもしかしたら想像がついたのかもしれない。ペトミーがれるデファーグを宥めると、デファーグはムッと唸る様に口をつぐんだ。

 ペトミーに向けた視線と小さな会釈で感謝を示したティフは霧で濡れた髪の毛をバッとかきあげて気持ちを落ち着かせ、説明を続ける。


「今、スパルタカシアはシュバルツゼーブルグに居てペイトウィンが足止めしようとしている。だが、俺はこれは失敗すると見ている。」


 デファーグはその一言に面白くなさそうに顔をしかめ、口をへの字に結び腕組みをしたが、特にティフをさえぎることなく続きを待った。


「ペイトウィンは、付き合いの浅いデファーグは知らないかもしれないが、アイツは他人を必要以上に挑発してしまう癖があるんだ。

 だから足止めのためにアイツが書いた手紙は、多分スパルタカシアに喧嘩を売るようなものになってしまっていると思う。きっと、スパルタカシアは、レーマ軍は過剰に反応して、今頃ペイトウィンを捕まえようとしてるだろう。

 それこそ、地の精霊アース・エレメンタル》の力を使って……」


「だったらっ……!?」


 なおさら急いで戻らなきゃいけないんじゃないか……というデファーグの言葉は最後まで続かなかった。組んだ腕を解いて半歩身を乗り出したデファーグをペトミーが無言で遮る。睨み合う二人が口を開いて衝突しはじめる前にティフは自分がデファーグの言いたいことを理解していることを示した。


「もちろん俺たちはこれから急いでシュバルツゼーブルグに戻るさ。

 けど、スパルタカシアの足止めを諦めるわけにもいかない。」


 二人はティフに視線を戻した。ペトミーの方は意外そうな顔をしている。


「ダイアウルフのせいでどのみち足止めできるって話じゃないのか!?」


 『勇者団』がわざわざ何かしなくてもルクレティアはグナエウス砦に留まらざるを得ない。だから今はペイトウィン救助に全力を挙げ、改めてグナエウス砦に泊まっているであろうルクレティアに交渉を持ち掛ける……ペトミーはティフがそう考えていると予想していた。が、ティフの言い様からすると違うらしい。


「違うさ」


 ティフもペトミーの問いかけに薄笑いを浮かべて首を振ってみせた。


「あの命令書によれば、レーマ軍はダイアウルフのネグラを襲って早々に始末するつもりらしい。それがどこまでうまく行くかはわからないが、命令書に書かれていた通りに事が進めば、明日にでもダイアウルフは片付いてしまう。」


 今からティフ達がシュバルツゼーブルグへ戻っても到着するのは日が昇るころだ。ティフたちが北へ逃れたというペイトウィンを探し出し、合流する前にルクレティアはシュバルツゼーブルグを発つだろうし、明日の夜をグナエウス砦に宿泊することになる。そして、ルクレティアの行く手を阻むはずのダイアウルフが明日中に始末されてしまえば、ルクレティアは日程の遅れを生じさせることなく明後日にはグナエウス砦を発し、明後日中にアルトリウシアへ到着するだろう。つまり、ティフ達がペイトウィンと合流した後、ルクレティアに追いつくチャンスはもう無いということだ。そう、……。


「つまり……どういうことだ???」


 嫌な予感にペトミーが眉をひそめると、ティフは申し訳なさそうな半笑いを浮かべた。


「つまり、ダイアウルフがレーマ軍から逃れ続け、街道を荒らし続けている限り、スパルタカシアはアルトリウシアへ戻れないってことさ。」


 ティフの言いたいことを悟ったらしいペトミーがフーッと溜息をつく。だがデファーグは二人の話について来れないらしく、ティフとペトミーの顔を交互に見比べた。


「何だ、どういうことだ?」


 デファーグの疑問に答えることなく、ペトミーは全員から顔を背ける。課せられた仕事をあまり引き受けたくないといった様子だ。そのペトミーに、ティフはあえて説得を試みる。


「この役目はペトミー、そしてファド、二人にしかできない。」


「つまり、俺にダイアウルフを操ってレーマ軍に対抗させようってことか?」


 腹立ちを抑えながらペトミーはティフの方に振り返った。


「言っとくがダイアウルフは魔物モンスターじゃない。ただの獣だ。」


 たまに勘違いされるが、モンスター・テイマーが調教し使役できるのは魔物だけで動物は違う。魔物は動物と違って魔力を操る能力を持ち、同時に動物よりも魔力に依存して生きている。モンスター・テイマーは魔物の魔力を感知する能力や魔力への依存性を利用することでモンスターを使役するのだ。その能力は魔力をあやつることもできず、魔力を知覚することもできない普通の動物には通用しない。モンスター・テイマーに動物が全く扱えないというわけではないが、モンスター・テイマーが動物を扱う能力はモンスター・テイマー以外の普通の人間と全く同じだということだ。

 そういう説明は過去に何度もティフに繰り返していたし、ティフもそのことはよく知っている筈だ。そのティフから只の獣に過ぎないダイアウルフを利用しろと言われるのは、ペトミーにしてみればかなり心外なことでもある。盗賊の扱いを任された時もはなはだ心外ではあったが、今回のもそれに負けず劣らず気に食わない。


「別にダイアウルフを操れとまでは言わないさ。」


 ペトミーのそうした心情を理解しているのか、予想していたのか、ティフは肩を竦めて笑いかけた。


「ダイアウルフを直接操ることが出来るならベストだけどな。

 でもさっき試して分かっただろ?

 レーマ軍あいつらは霧や闇に紛れたジェットを、ダイアウルフと勘違いしたんだぜ?」

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