第741話 大宴会

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ ティトゥス要塞司令部プリンキピア・カストリ・ティティ/アルトリウシア



 今日、セーヘイムに上陸したのはサウマンディアから派遣された正式な使者レガトゥスサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムマルクス・ウァレリウス・カストゥスとその付き人たち、そして大工や土木工事の技術者たちだけであった。

 トゥーレスタッドまでサウマンディア軍団第三大隊コホルス・テルティアも同行していたのだが、マルクスが今回運び込もうとしていた救援物資や資材、そして軍人以外の技術者らも膨大で、それらを船で運ぼうとするとそれだけでセーヘイム側で用意できる船腹いっぱいになってしまい、第三大隊の将兵らを運ぶための船腹が全く足らなかったのだ。やむなく、第三大隊は今夜はトゥーレスタッドに一泊し、明日徒歩で陸路をアルトリウシアまで来ることになっている。

 もっとも、これは彼らサウマンディア軍団側としては当初からそのつもりでいたことであり、トゥーレスタッドからセーヘイムまでの迎えの船を用意していたヘルマンニも事前に伝書鳩で知らされていたことだった。


 ともあれ、第三大隊は間に合わなかったにしても今日到着したマルクスらだけでも歓迎はせねばならない。彼らはアルビオンニア属州にとってもアルトリウシアにとっても大切な支援者なのだ。間違ってもおろそかになど出来はしない。

 そういうわけでその日、セーヘイムに上陸を果たしたマルクスは、アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子自らの出迎えを受け、アルトリウスと共にマルクスを歓迎した下級貴族ノビレスたちと共にティトゥス要塞カストルム・ティティへと移動。そこで今度はエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人より歓迎を受け、そのまま晩餐会へと突入した。


 晩餐会は小さな円卓メンサを囲む架台レクティカに寝そべって飲み食いするレーマ帝国伝統の饗宴コミッサーティオスタイルではなく、大きなホールに机と座席を並べて大勢で騒ぎながら料理を堪能するランツクネヒト族の伝統的スタイルで行われた。

 これは饗宴コミッサーティオでは同時に参列できるのが多くても十数人程度であるのに比べ、ランツクネヒト・スタイルであれば数十人や数百人でも同時に参加できるためであった。より多くの貴族ノビリタスを参加させることで、それだけ熱烈に歓迎してるという姿勢をサウマンディア側にアピールすることができたし、また同時に参加をゆるされたアルトリウシアの下級貴族ノビレスたちに対しても侯爵家と子爵家がサウマンディアとそれだけ強くつながっていることをアピールすることができる。これによって侯爵家や子爵家に対する不安……特に両家の破産の噂を払拭し、領民たちの領主に対する支持と信頼とを確たるものとするのだ。

 そうした目的の晩餐会であることから、振る舞われる料理も酒も惜しむことなく贅を凝らしたものとなった。ランツクネヒト族の文化はレーマ帝国に渡ってきたことでレーマ文化の影響を色濃く受けることとなり、「卵からリンゴまで」の伝統に従って卵を使った前菜からフルーツを使ったデザートまで順を追うように出される。それが決して参列者を待たせることなく、一つのものを食べ終わる前には次の料理が待ち構えている有様で、しかもそれらの一品一品が味も見た目も量も香りも不足することがなく、目の当たりにした参列者たちを決して飽きさせない。

 外は月明かりさえ見えない曇天だったが、会場は対照的に天空の星々のすべてが舞い降りたかのように膨大な数のロウソクが灯され、まるでそこだけ昼間のように明るくなっている。そのまばゆいばかりのきらめきに照らされながら、本日のメインディッシュが運び込まれると会場の興奮は一気に頂点に達した。

 会場となった要塞司令部プリンキピアの前の広場フォルムスで朝から用意されていた牛や豚や羊の丸焼きの数々……屈強な兵士に担がれた肉塊はいずれもこんがりと良く焼かれてまだホカホカと湯気が上がっており、上等なワインとハチミツをベースにしたソースをまんべんなく塗りたくることによって“照り”を出され、会場の無数のロウソクの光をキラキラと反射し、それ自体が輝く巨大な宝石のようである。

 特にもっとも大きな牛の丸焼きが主催者であるエルネスティーネと主賓のマルクスの前にドンと置かれ、会場の注目を集めながらアルトリウスがその剣でもって腹を切り裂くと、その腹腔からは子豚の丸焼きが取り出される。わあと歓声を上げて喜ぶエルネスティーネとマルクスの前にその子豚の丸焼きがドンと置かれ、さらにその腹を裂くと中から今度は鳥の丸焼きが、そしてその中からはさらに卵やら肉団子やらが出てきて客人を大いに喜ばせた。


 同じころ、会場となった要塞司令部の外ではティトゥス要塞内に収容されている避難民たちにも料理と飲み物が振る舞われている。もちろん、会場で出されている貴族用の料理とは比べ物にはならないが、彼らが収容されて以来ひと月の間振る舞われ続けていたクズ野菜と肉の切れ端の入った麦粥プルスなどとは違い、肉や野菜がいつもより大きく、親指の先くらいの大きさはあった。豆もいつもより多く入っていて、それらがニンニクで風味付けされ、さらにこの時期はただでさえ相場が高くなるのに今年は特別値が上がっている塩を十分に使って味付けられ、さらに具材がどれも柔らかくなるまでしっかり煮込んである。

 そして、そのスープとは別に飲み物も用意されていた。ワインが最低級のロラなのは仕方ないとしても、他にも果汁シロップを水で割ったティーフルトゥムと呼ばれる甘い飲み物も振る舞われていた。ティーフルトゥムは庶民の子供にとっては特別なお祝い事がある時だけに飲ませてもらえる最高にスペシャルな飲み物である。


 大盤振る舞い……まさにそう言ってよいだろう。いや、侯爵家や子爵家の台所事情からすれば、そんな言葉では足らないかもしれない。実際、両家の財務官などは宴会を楽しむどころではなかっただろう。むしろ、この壮大な催しが、壮大であるがゆえにどうしようもなく虚ろに思えてしまうことだろう。虚飾、虚栄……言ってしまえばそうした言葉に集約できるかもしれない。


 ヤレヤレ、こんなことにこんなに金を使ってしまって……


 そうした拭いようのない虚しさを感じながらも、彼らもまた貴族である以上、こうした虚飾や虚栄がどれだけ重要かを否定することも出来なかった。

 会場の内外ではアルビオンニア万歳、アルトリウシア万歳、サウマンディア万歳と叫ぶ声が絶えることなく繰り返されている。決してサクララウディケーヌスが言わされているわけでもなく、皮肉屋がヤケクソで言ってるわけでもない。真に心からアルビオンニア属州と侯爵家を、アルトリウシアと子爵家を、サウマンディアと伯爵家を称えていた。

 今日、参列した下級貴族ノビレスたちは侯爵家や子爵家への不信を改めるだろう。侯爵家も子爵家もまだまだ底力は計り知れず、伯爵家の支援も絶大……領主様が破産するなんて、やはり根も葉もない噂でしかなかった。


 不安の解消……これまで腹の底におりのように積り溜め込まれていた暗い何かが一挙に解放され、その反動で会場は大いに盛り上がった。誰もが大いに騒ぎ、大いに歌い、大いに喰らい、大いに飲んだ。


 しかし、宴は盛り上がれば盛り上がるほど、終わった後が虚しくなる。

 夜もすっかり更け、酒に沈没する参列者もボチボチと出始め、気づけば主催者も主賓も他の上級貴族パトリキたちもみんな姿を消し、ぐでんぐでんに酔っ払った下級貴族ノビレスだけが会場で虚しくクダを巻いている。


 ネストリはしかし、そんな中でもそれほど酔ってはいなかった。昼間聞かされた戦が近いという噂が気になってそれどころではなかったからだ。むろん、周囲の状況を無視して沈鬱でいるほど彼も無神経ではないから、表面上は周囲と同じく酒を飲み、料理を食い、歌い、騒ぎ、笑いもしていたが、心から楽しめたかというとそうでもなかったのだ。

 多少ふらつく程度の足取りで立ち上がると、出口へ向かって歩き出す。建物の前まで来るとお供の使用人がネストリを見つけ、駆け寄ってくる。ご苦労なことに彼らは外でずっと待っていたのだ。


「おぅ、ご苦労……帰るぞ。」


 ネストリがそう言うと使用人は座輿セッラを呼び寄せ、ネストリを乗せる。ネストリ程度の豪族では、街中に馬車を乗り入れることはできないのだ。

 座輿を待っている間に侯爵家か子爵家の使用人がネストリに土産を持ってきてくれた。中身は今日出されたのと同じ料理である。宴会に招いた客に、家で待つ家族にも食べさせるための料理を包んで持たせるのはレーマ貴族の文化だった。


 やれやれ、あれだけ料理を振る舞ったのにまだこんなに……


 持ちきれないほどの料理を渡されたネストリは半ば呆れ、半ば畏怖した。


 やはり、領主貴族パトリキには敵わん……


 ネストリもまた、今日侯爵家や子爵家への不安を吹き飛ばされた下級貴族ノビレスの一人であった。

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