第740話 モードゥの報告

統一歴九十九年五月九日、夕 ‐ エッケ島・ハン支援軍本営/アルトリウシア



 ハン支援軍アウクシリア・ハンの補給参謀モードゥはその日、とっぷりと陽が暮れてすっかり暗くなったころになってようやく彼らの王宮へ帰ってきた。入口に立っていた衛兵が高らかにその名を告げる。


「モードゥ様、御入ごにゅう~い!」


 竪穴式住居をそのまま大きくしたようなホールの中は昼でも薄暗く、火を焚かねば人の顔も見分けがつかないほどであるが、陽が暮れるとわずかな採光窓からの光も絶えるため本当に真っ暗になる。が、今は煌々と篝火かがりびが焚かれ、入り口付近からでも最奥の様子が伺える程度に明るかった。ホールの奥部中央では、王族たちが集って夕食を摂っていたのだ。

 室内で焚かれる篝火のおかげで明るさはあるが、同時に煙が籠っていて遠くはかすんで良く見えない。が、王族の囲う食卓の最奥で一人の男らしき人影が立ち上がるのが見えた。


「おおモードゥ!戻ったか!?」


 奥からディンキジクの声が響き、それに続くようにザワザワと声が上がり始める。


「何、モードゥ?

 なんだ、何処どこぞへ行っておったのか?」


「ハッ、エラクよ。

 かの者をトゥーレスタッドへ、敵情偵察につかわしておりました。」


 ムズクの下問にディンキジクがうやうやしく答えると、ホール全体から「おおっ」とどよめきが上がる。


「トゥーレスタッドへ偵察とな!?」


「ハッ、今日の朝方、トゥーレスタッドへサウマンディアの大艦隊が終結しておると、見張りからの報告があったのです。

 それでモードゥめに見に行かせました。


 モードゥよ!

 さあ、こっちへ来てご報告申し上げよ。

 誰か!モードゥの酒と食事も用意してやれ!!」


 ディンキジクの仰々ぎょうぎょうしい声が響き渡り、モードゥは「ハッ」と反射的に答え足を前へ踏み出す。が、その内心は穏やかではなかった。見た目は平静を装いながらも、モードゥの胃はキュウッと痛みを感じるほどに縮こまり、胸の奥がざわめき始める。むろん、腹が減っていたからではない。


 まさか王族揃っての食事の時に報告することになるとは……


 モードゥは実のところトゥーレスタッドなどへは行ってなかった。セーヘイムから補給物資を運んできたブッカのヨンネ・レーヴィソンと取引し、話を聞きだしただけだった。その後はヨンネの助言に従い、トゥーレスタッドへ行ったように見せかけるために貨物船クナールに乗ってエックハヴンから出港し、誰の目にも付きにくい岬の陰で陽が暮れるまで魚を釣ったり昼寝をしたりして時間を潰している。ゴブリン兵たちにはキツく口止めしてあるから、バレることは無いだろう。ヨンネからは結構詳細な部分まで話を聞けているから、変に重箱の隅でも突かれない限り嘘がバレることは無いはずだ。


 大丈夫……バレるはずはない……


 が、それでもこうも大勢の前で、それも王族たちの前で報告するとなると緊張は禁じ得ない。これで下手を打てば、王族全員の前で恥を晒すことになるのだ。もうエッケ島に居場所がなくなってしまう。

 しかし、だからといって誤魔化せるわけもない。モードゥはここは偵察に行った風を装って、乗り切らねばならないのだ。


「到着したのはサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア第三大隊コホルス・テルティアでございました。」


 モードゥは覚悟を決めた。


第三大隊コホルス・テルティアだと!?

 既に来ている第二大隊コホルス・セクンダに次ぐ精鋭ではないか!」


 ディンキジクが顔を青ざめさせた。

 レーマ軍の軍団編成では部隊番号が若いほど精兵が集中するという傾向があった。大隊コホルス内では軍団兵レギオナリウス百人隊長ケントゥリオも定期的に異動を繰り返し、戦力の均一化を図っているが大隊コホルス単位でみると番号の若い部隊へ優秀な軍団兵や指揮官を集中させる傾向にある。特に第一大隊コホルス・プリマは兵数が他の大隊の二倍に達する最強最大の再精鋭部隊となっており、それに準じる形で第二大隊、第三大隊に強力な指揮官や兵士を集める編成になっていた。

 アルトリウシアには既に第二大隊が派遣され、復旧復興事業に従事している。第二大隊はサウマンディア軍団で第一大隊に次ぐ精鋭部隊で、今回はさらにそれに次ぐ精鋭部隊が派遣されたことになる。


「奴らめ、いよいよ戦力を整え始めたか!?」


「いえっ!さにあらず!!」


 愕然とするディンキジクの言葉をディンキジクはすかさず否定した。


「奴らの目的は第二大隊コホルス・セクンダと同じく、アルトリウシアの復興の支援だそうです。より詳しく申し上げますと、ティトゥス街道の復旧工事に従事するのだとか……」


「ティトゥス街道の復旧だと!?」


 ディンキジクはモードゥの答えをあからさまに怪しがり、顔を大きくゆがめた。が、ここでいつものようにディンキジクに気を使い、ディンキジクに好き勝手に言われてはモードゥが実はトゥーレスタッドへ行っていなかったという事実が露見してしまうかもしれない。モードゥはいつになく強気な態度でのぞんだ。


「いかにもっ!

 冬になればグナエウス峠は雪で通れなくなる。それに我らがここエッケ島に陣取った以上、いつエッケ水道が封鎖されて水路が使えなくなるかもしれぬ。

 というわけで、ティトゥス街道をいち早く再開通させるつもりのようです。」


 モードゥのいつもより押しの強い物言いにディンキジクもやや戸惑いはしたが、だからといってそれで大人しく引っ込むわけはなかった。ディンキジクは椅子を蹴るように立ち上がり、モードゥに突きつけるように指を差し向ける。


「たかが街道の整備に第二大隊コホルス・セクンダを派遣しただと!?

 そのような戯言ざれごと、貴様信じておるのか!?」


「派遣されたのは第二大隊コホルス・セクンダのみではありません。」


 ディンキジクの批判めいた質問にモードゥは直接は答えず、負けじと追加の情報を提示した。


「何だと!?」


「アルビオンニウム側には第八大隊コホルス・オクタウァが派遣されておるそうです。二つの大隊コホルスが東と西から同時に工事を開始し、雪が降る前に再開通を目指すのだそうです。」


 ディンキジクの追及をものともせずに答える毅然とした態度はまるでイェルナクを思わせた。さすがのディンキジクも「う~~むむむ」と唸り、モードゥを正面に見据えたままゆっくりと椅子に腰を下ろす。

 その様子にディンキジクの追及の納まりを確信し、モードゥは静かに胸を撫でおろすが、残念ながらそれはまだ気が早かった。怒りをぶつけるような当初の勢いはなくなったものの、ディンキジクは追及の手そのものは止めたわけではなかったのだ。


「貴様、それをトゥーレスタッドへ行って聞いてきたのか?」


 ズバリと核心を付く質問にモードゥはギクリとし、飲みかけていた酒を思わず吹き溢す。


「ごふっ!……ぶふっ、ふっ……な、何を問われるのですディンキジク様?」


 モードゥは咳き込みながら口元を、そして吹き溢した酒で汚れてしまった胸元を大急ぎで拭き始めた。


「船の大きさ、数からして一個大隊コホルスでは足らんはずだ。

 だが、セーヘイムからの迎え船は一個大隊コホルスを積める分ぐらいしかおらなんだ。

 つまり、トゥーレスタッドには一個大隊コホルスぐらいの兵力が残っているはずだ。サウマンディアの船もまだ、トゥーレスタッドから出ておらん。

 貴様、見てきたというのならこの矛盾を説明できるのであろうな!?」


 ディンキジクも無能ではない。船の数や大きさから、輸送できる兵力量の計算くらいは簡単にできる。ディンキジク本人はわざわざサウマンディア艦隊を見に行ってはいない(どうせ報告が届いたころにはトゥーレスタッドへ入港してエッケ島からは見えなくなっていた)が、報告にあった船の大きさやだいたいの数から少なくとも二個大隊は運べる程度の艦隊が来航していると予想していた。そしてセーヘイムの艦隊は今現在、一個大隊を輸送できる程度の軍船ロングシップしか残っていない。アルトリウシア艦隊の他の軍船や貨物船は、先月ハン支援軍が蜂起した際にすべて破壊するか奪うかしてしまっているからこれは間違いない。

 だとすればトゥーレスタッドには最大で一個大隊に達する兵力が残っている。モードゥの説明ではディンキジクの予想との間に大きな矛盾が生じる。


 何故、そのような差が生じるのか……モードゥはヨンネからその点は聞かされて知っていた。ディンキジクの予想に反し、モードゥは得意げに笑みを浮かべる。


「それは、サウマンディアからは第二大隊コホルス・セクンダの他に建築資材や大工なども送られてきておるからです。」


「…………」


 勝ち誇るようなモードゥの顔が面白くないのか、ディンキジクは無言のままジッとモードゥの顔を睨み続ける。モードゥは内心で冷や汗をかきながらも、あえて自信たっぷりな態度をとり続けた。


「今日、セーヘイムからの迎え船はその大工や資材を先に受け取って運びました。

 トゥーレスタッドには第二大隊コホルス・セクンダが丸ごと残っております。」


「そ、そやつらはどうするのだ!?」


 心なしか、どこか悔し気に見えるディンキジクにモードゥは淀みなく答えた。


「明日、陸路を歩いてアルトリウシアへ向かうそうです。

 トゥーレスタッドは粗末な漁師小屋がいくつかあるだけですからな、旅に不慣れな大工たちを先にアルトリウシアへ送り、行軍に慣れた軍団兵レギオナリウスがトゥーレスタッドで一夜を余計に過ごすということになったのだそうです。

 明日には艦隊も一旦帰るそうで、第二大隊コホルス・セクンダも居なくなりますから再びトゥーレスタッドは静かになるでしょう。」


「……貴様、本当にトゥーレスタッドへ行ったのだな?」


 ディンキジクが今のようにハン支援軍内で確たる地位を築けたのは、彼の参謀としての能力だけではなく、このように競争相手と見做した相手を執拗に追求し続けたが故だった。

 モードゥは表面上は笑顔を保ちつつも、ディンキジクの執念にゴクリと唾を飲む。


「……実は、気のいい漁師と知り合いましてな。

 魚を分けてもらい、土産みやげとして持ち帰りました。」


 ことさら明るくモードゥは答えた。ディンキジクに対して直接ではなく、周囲で二人のやり取りを固唾を飲んで見守っている王族たちに向かって……


「今日はさっそく捌いて干してありますゆえ、明日皆様にご賞味いただきましょう。」


 その一言に干し肉や塩漬けといった兵用の粗末な食事に飽きかけていた王族たちが「おおっ」と歓喜の声を上げる。


「さすがモードゥ様!」

「単身、トゥーレスタッドへ向かわれるとは!」

「その勇気にあやかりたいものです!」


 王族たちが相次いで賛辞を述べ始めると、ディンキジクもそれ以上の追及は諦めざるを得なかった。

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