第822話 大グナエウシアの困惑

統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ 『黄金宮ドムス・アウレア』/レーマ



 レーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールの説明にグナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨル子爵令嬢の理解は追いつかなかった。

 転移魔法などと言うものが存在していることは彼女も様々な物語を通して知っている。ゲイマーガメルたちが便利に使っていた魔法だ。大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフが冒険者だった頃の冒険譚でも度々登場している。だが、魔法の詳細までは知られていない。世に出回っている冒険譚の多くは叙事詩じょじし抒情詩じょじょうしの形式をとっており、韻を踏んだり文章としての形式を整える都合上、話の流れや登場人物たちの心情を謳うことはあっても物事の詳細を説明するようなことはほとんど無い。このため、多くの冒険譚・英雄譚は客観的事実から切り離されてドラマチックな演出に彩られたものへ変質してしまっており、どの魔法がどのような効果があってどのような制約があるかなどといった、今を生きる一般人たちにとっての現実の生活からは関係のない知識は今や忘れ去られようとすらしていたのだ。レーマ帝国で最高の教育を受けているはずのマメルクス自身ですら転移魔法についてほとんど知らなかったのだから、大グナエウシアグナエウシア・マイヨルが知らなかったとしても無理からぬところであろう。


「で、ではっ、大聖母グランディス・マグナ・マテル様は今、御自ら、クィンティリアからアルトリウシアへ向かっておいでなのですか!?」


「ああ……いやっ、んんん~~~」


 マメルクスは一旦否定し、それから何もない頭上を見上げるようにしてどこまで説明すべきか悩み、次いでこれから説明する手間を想像し、自ら説明しなければならなくなったこの状況を後悔し、ようやく何かを諦めたかのように椅子に座り直して姿勢を改めた。頭に被った月桂冠の葉がわずかに揺れる。


「クィンティリアからアルトリウシアを目指すのはミルフ殿だけだ。

 大聖母グランディス・マグナ・マテル様は初めてミルフ殿を送り出すにあたり、クィンティリアまでお見送りに行かれておられるのだ。

 クィンティリアまではミルフ殿に同道され、そこで安全だと判断したらミルフ殿を送り出し、自分だけ先にこちらへお戻りになられる。」


 そこまで言ってマメルクスは香茶の入った茶碗ポクルムを手に取り、一口啜って舌を湿らせた。


「ミルフ殿はクィンティリアから転移魔法を使ってウァレリアを目指し、そこからさらにサウマンディウムまで街道に沿って南下される。

 ミルフ殿の転移魔法は……あ~……たしか、『ディメンジョン・ウォーク』とか言われたかな?……ともかく、目に見える範囲に一瞬で移動するというものなのだそうだ。それを連続して使いながら進むのだが、目に見える範囲までしか行けないので夜中は進めなくなる。天気が悪くてもダメだそうだ。

 だから日が暮れたら、その場所を『ルーン』とか言う魔道具マジック・アイテムに記録して『黄金宮ここ』へ戻ってこられる。そして次の日、また『黄金宮ここ』から前日までに進んだところへ魔法で転移し、そこから移動を再開する。

 それを繰り返しながらサウマンディウムまで行き、一旦サウマンディウムの地を『ルーン』に記録し、いつでもムセイオンからサウマンディウムへ転移魔法で行けるようにする。そしてサウマンディウムに到着したらを兼ねてウァレリウス・サウマンディウス伯爵を訪ね、ムセイオンから使者がつかわされることを報せるとともに、アルトリウシアの状況を確認することになっておる。

 正式な使者が誰になるか、いつ、どのように送り込むかはまだ決まっておらぬ。

 ミルフ殿が持ち帰った現地の様子を参考に、これから決められることになるだろう。」


 マメルクスは時折、給仕を務めるために近くに控えていた神官フラメンに視線で「そうだったよな?」と確認を取りながら大グナエウシアに説明した。


「で、では大聖母グランディス・マグナ・マテル様は……」


「すぐ戻られるはずだ……が、少しばかり長いようにも思えるな?」


 暢気のんきに構えたようにマメルクスは近くの神官に視線を向けながら言うと、その神官は無言のまま同意するように慇懃いんぎんに頭を下げた。


「本当は其方が来てから行かれるはずだったのだ。

 其方にこのことを説明し、挨拶をしてから行こうと……ところがミルフ殿が随分と急がれてな。大聖母グランディス・マグナ・マテル様は御引き留めになられたのだが、時差がどの程度あるかわからぬうちは悠長にしておられぬとミルフ殿が申され、やむなく行かれてしまわれたのだ。」


「時差……ですか……」


「うむ、知っておろう?」


 まさかそこから説明しなければならないのかと不安になったマメルクスが身体を起こし、片眉をひそめながら尋ねると、大グナエウシアは慌てて取りつくろうように答える。


「は、はいっ!

 世界は丸いから、東の地方ほど日が昇るのが早く、西の地方ほど遅くなるという話ですよね?」


 大グナエウシアの答えに安心したマメルクスは状態から力を抜きながら半笑いを浮かべ、説明の補足を始める。


「その通りだ。

 たとえばムセイオンのあるケントルムと、ここレーマでは三~四時間の時差があるらしい。朝、ムセイオンからレーマへ転移してくると、こっちはもう昼なのだそうだ。

 そしてクィンティリアはレーマよりずっと東だ。が、どれくらい東かは誰も正確には知らぬ。オリエネシアは特に、測量が遅れておるからな。

 もしもレーマとクィンティリアの時差も三~四時間あるなら、ムセイオンを朝出てもクィンティリアに転移してみたら既に日が暮れていたなんてことになりかねん。そうなると予定を全部組みなおさねばならん。

 ミルフ殿はムセイオンで普段通りの生活を送っておられるように周囲に見せかけねばならんからだ。


 ……ん?

 子爵令嬢ウィケコミティス・フィリア?」


  いつの間にかポカーンと口を開け、呆けたようになっていた大グナエウシアの様子に気づき、マメルクスが声をかけると大グナエウシアはハッと驚き、慌てて居住まいを正した。


「も、申し訳ございません陛下インペラートル

 その、あまりにも思いがけない話に、私では理解が追い付きません。」


 その言葉にウソ偽りはなかった。エーベルハルトから聞いた話ではアルトリウシアではハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱が起きている。そして、おそらくマメルクスはムセイオンの使者がアルトリウシアに到着する前に解決する腹案を持っているはずだった。

 レーマからアルトリウシアまで片道約三か月……ムセイオンからレーマまで約二か月と考えれば、ムセイオンを発った公式使節団がアルトリウシアに到着するのはおおよそ半年後になるはず……そうした計算をもとにすれば、エーベルハルトの予想も説得力は出てくる。今から命令を発してサウマンディア属州に駐留している野戦軍南方方面軍コミターテンセス・メリディオナリスをアルビオンニア属州に急派すれば、半年以内に逃亡したハン支援軍を補足し討伐するのは不可能ではない。大グナエウシア自身にそんな計算をするだけの軍事的知見は無いが、それでも何となくは理解できる。

 しかし、転移魔法などという既に御伽噺おとぎばなしの世界でしか見られなくなっている魔法によって、エーベルハルトの計算は根底からくつがえされてしまった。


 ムセイオンの使節は半年どころか、数日のうちにアルトリウシアへ着いてしまう!?


 だとしたら、それまでに叛乱軍を秘密裏に始末するなどということは出来ないはずだ。マメルクスが既に命令を出していたとしても、野戦軍コミターテンセスが実際に動き出すにはそれなりに準備期間を要する。それからサウマンディウムへ移動し、船でアルビオンニアへ渡って逃亡したハン支援軍を捜索・追撃するとなればどれだけ早くてもやはり三か月以上はかかるだろう。間に合うわけがない。

 なのにマメルクスは平然とした様子でこの状況を大グナエウシアに説明して見せている。


 どういうこと!?

 叛乱はもう解決しているということ?

 まさか!だって、逃げた叛乱軍は行方不明なんでしょ!?

 これから探さなきゃいけないはずなのに……解決なんてしてるはずが無いわ。

 解決する気が無いわけでもないはずだし……

 ひょっとして陛下インペラートルは御存知ないとか?

 いいえ、あり得ないわ!

 どうしよう!

 確かめなきゃいけないけど……私は知らないフリをしなきゃいけないし……


 大グナエウシアがどれだけ頭をフル回転させても、答は出てこなかった。そもそも、叛乱事件のことを知らないフリをしながら叛乱事件について聞き出せという指示が無理難題以外の何物でもない。

 悩む大グナエウシアを余所に、聖堂サクラリウムの窓が内側から光を発しているのがマメルクスの視界の端に映った。気づいたマメルクスが安堵したような声を漏らす。


「おお、ようやくお戻りになられたようだな。」

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