第821話 大聖母の行く先

統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ 『黄金宮ドムス・アウレア』/レーマ



 大聖母グランディス・マグナ・マテル様が……それは多分、大グナエウシアグナエウシア・マイヨルと同席するはずだったのに大グナエウシアの到着が遅くて行き違いになってしまったいうことなのだろう。しかし「だが、間もなくお戻りになられるはずだ。」とはどういうことなのだろうか?


 どこかへ行っかれたけどすぐに戻られるということは近い場所?


 だがそれにしては皇帝インペラートルマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールの言葉に感じた違和が拭えない。

 普通、客人が小用なり化粧直しなりで席を外すとしても「行ってしまわれた」などというような言い方はしないだろう。「今、席を外しておられます」とか「すぐに戻られます」とか、どこかへ行ったなどとは言わずにただ「(ここに来ているけど)この場にはいない」というニュアンスで話すはずだ。「便所へ行った」などというような無粋な言い回しは使わない。


 待って、そういえば大聖母グランディス・マグナ・マテル様たちはいったいいつレーマここへ来たんだろう?


 ケントルムからムセイオンの職員がレーマへ来ること自体は不思議でも何でもない。ムセイオンはこの世界ヴァーチャリア全体の秩序をつかさどる国際機関だ。レーマからも何らかの役目を負った大使や官吏が送り込まれているし、逆にレーマに常駐しているムセイオンの職員もいる。

 だが今回はそんなレベルの話ではない。相手はムセイオンの長、大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフだ。外国やムセイオンの大使や公式使節が派遣されてくるだけでもそれなりにニュースになるのが普通なのに、国家元首並みの地位にある人物がレーマに来ながら『黄金宮ドムス・アウレア』の外では誰も知られていない。


「私たち、本当はの、?」


 フローリアの言葉が脳裏によぎる。で来た……それは分る。だけど本当にそんなことがあり得るのか?

 フローリアはムセイオンの実質的な運営者であり、世界で最も高貴な聖貴族コンセクラータとして崇拝されている存在だ。が、同時に世界で最も警戒されている人物でもある。レーマ帝国出身でアンデッドでもある彼女は特に啓展宗教諸国連合側から根強い疑念を抱かれ続けており、その中立性に疑問を呈されることもたびたびあった。その彼女が誰にも知られずにお忍びでレーマの、それも『黄金宮』に来てレーマ皇帝インペラートル・レーマエと密会していたなどと知れたら、それだけで大問題になるはずである。


 ……ひょっとして、キュッテルエーベルハルトさんに全部しゃべったのって、失敗だったかしら?


 間抜けな話だが大グナエウシアは今更ながら不安になって来た。その大グナエウシアをマメルクスはジッと無表情のまま見返していたが、数秒後に何かを思い出したかのように「おおっ」と小さく声を漏らす。


「そういえば其方そなたに言ってなかったか?

 大聖母グランディス・マグナ・マテル様たちは今、クィンティリアに行っておられる。」


「クィン……ティリア!?」


 予想外の地名に大グナエウシアは呆気にとられる。大グナエウシアの知る限り、クィンティリアと呼ばれる地名は一つしかなく、そこはレーマから遥かに遠いところにあるはずだった。


「お、恐れ入りますが陛下インペラートル、私はその……クィンティリアという地名は一つしか存じません。

 それは……そこは私もレーマへ来る途中立ち寄りましたが、レーマからとても遠い街の名前です。」


「そこであっているとも子爵令嬢ウィケコミティス・フィリア

 余もクィンティリアという地名は一つしか知らぬ。」


 アワアワしながら尋ねた大グナエウシアだったが、マメルクスに冷静に答えられると今度は本格的に目を丸くして息を飲んだ。


 顔立ちは獣人のようなのに、この娘は本当に表情が分かりやすいな……


 普通、体毛で顔面まで覆われた獣人は表情が読みにくい。肌の色や表情筋の微妙な動きが体毛によって隠されるため、貴族ノビリタスらしくポーカーフェイスを使われると目の動きや息遣いぐらいしか感情を読み取る手がかりはなくなる。

 獣人ではないがコボルトの血を引く大グナエウシアも顔面が白く密生した体毛で覆われているため、本格的にポーカーフェイスを身に着けられれば非常に表情を読み取りにくい貴族になるだろう。だが、大グナエウシアはそこまで訓練が行き届いておらず、ちょっとしたことで感情を露わにしてしまう。獣人の貴族とも付き合いのあるマメルクスにとって、獣人のような顔立ちながらここまで表情豊かな大グナエウシアは呆れを通り越して新鮮にさえ見えた。


「オ、オリエネシアへ行かれたとおっしゃるのですか!?」


「そうだが?」


 だからそう言ってるじゃないか……マメルクスは怪訝けげんな表情を浮かべる。が、同時に大グナエウシアの反応が面白くて口元には笑みも浮かべていた。


「本当はアルトリウシアへ行こうとしておられたのだ。」


「アルト……!?

 でっ、では、降臨者様へのムセイオンからの使節って……」


 大聖母グランディス・マグナ・マテル様御本人!?……大グナエウシアはそう言いそうになって口元を手で押さえた。

 《暗黒騎士ダーク・ナイト》と同じ力を持つ親戚と伝えられている降臨者は当然、強力な力を持っているだろう。そんな降臨者が万が一にも暴れだした際に対抗できるのはフローリアを置いて他には居ないのだから、フローリア自身が行くのは理にかなっているように思える。

 だが、考えてみてほしい。帝国でも最も辺境と言われるアルビオンニア属州に突然世界で最も高貴とされる人物が訪れるのである。それを招きいれる現地領主たちにはそれ相応の準備が必要だ。ただでさえ降臨者を受け入れ、しかも現地では叛乱事件まで起きてしまっている。おそらく混乱を極めていることだろう。そんなところへさらに大聖母が公式に訪れるとなれば、名誉なことではあるが現地の混乱は計り知れない。

 しかしだからと言って大聖母の行幸ぎょうこうに対応できなかったとなれば、領主貴族パトリキの面子は丸つぶれである。アルトリウシア子爵家はもちろん、アルビオンニア侯爵家だってもう上級貴族パトリキとしての体面など保てなくなり、下手すると領主の地位を剥奪されて没落する可能性すら出てくる。

 しかしマメルクスは大グナエウシアがそこまで思考を飛躍させているとは露ほども思わず、ただフローリアが行くことになったと早合点したのだろうと考えて淡々とした調子で説明を続ける。


「いや、まだ正式には決まっていない。

 ただ、大聖母グランディス・マグナ・マテル様は大変急いでおられる。

 此度こたびは、言うなれば“下見”といったところだ。」


「下見……」


「うむ、大聖母グランディス・マグナ・マテル様たちは転移魔法をお使いになられるのだ。」


「転移魔法!?」


「だが、大聖母グランディス・マグナ・マテル様たちのお使いになられる転移魔法は過去に行かれたことのある場所か、あるいは目に見える範囲までしか行くことのできぬものらしい。

 つまりこのままではアルトリウシアへ行くことは叶わぬ。

 そこで、大聖母グランディス・マグナ・マテル様がかつて冒険者であらせられた頃に行かれたことのある最も南の地クィンティリアへまずおもむかれ、そこから転移魔法を繰り返すことで、最終的にアルトリウシアまで転移魔法で一気に行けるようにしようとなされておられるのだ。」

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