第820話 二人きりの茶会?

統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ 『黄金宮ドムス・アウレア』/レーマ



 大グナエウシアグナエウシア・マイヨルことグナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨル子爵令嬢はレーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールに連れられて見事な庭園ペリスティリウムを奥へ歩いていく。そちらには『黄金宮ドムス・アウレア』の最奥にある『聖堂サクラリウム』があり、特別な許可を得た者でなければ皇帝インペラートルの近習と言えども入れない。

 マメルクスが大グナエウシアをそちらへ連れて行くのは近習たちに降臨に関連する話を聞かれないようにするためだった。皇帝に仕え身の回りの世話をする近習たちの中でも特に貴族ノビリタスの子弟たちは、皇帝の傍に仕えながら皇帝の近況や意向を把握し、それを実家に伝え、あるいは逆に実家の意向にそって都合のいい情報を皇帝に伝えることに自らの存在意義を見出している。そんな彼らを一時的にとはいえ遠ざけることは簡単ではない。ただ、話を聞かせたくないというだけの理由で遠ざけると、しかもそれが数度に及ぶと彼らの間に確実に不満がくすぶり始めてしまう。それが募るとマメルクスは身近なところに不満分子を育むことになってしまうし、彼らの存在はマメルクスにとって都合の良い部分もあるのだから、簡単に切り捨てることもできないのだ。


 その点、今回はまだやりやすかった。

 降臨への対応はどうしたところでムセイオンとの連絡を密にせねばならず、その手段である『魔法の鏡スペクルム・マギクス』を使わざるを得ない。そしてその『魔法の鏡』が設置された聖堂は神官フラメンたちの領域であり、近習たちは普段から近づくことが許されていなかった。


 『魔法の鏡』を通じてムセイオンと交信する……そのように言われれば近習たちとて遠ざけられても納得せざるを得ない。いかなレーマ貴族と言えども、ムセイオンの権威には屈せざるを得ないからだ。

 ムセイオンの権威とは世界中から集積された《レアル》の恩寵おんちょうにあり、その中には降臨者の血を引く聖貴族たちの存在もある。そしてこの世界ヴァーチャリアのあらゆる権威は降臨者がもたらした《レアル》の叡智えいちと、降臨者ののこした高貴な血筋に集約できるのだ。レーマの上級貴族パトリキたちとて、歴史上先祖がそれらにかかわったからこそ、現在の地位があるのである。ゆえに、貴族たちは皇帝の権威には否定的になれてもムセイオンの権威は決して否定できない。

 だからマメルクスはムセイオンの権威を利用し、聖堂のエリアに入ることで近習たちを無理なく遠ざけることができるのだった。


 近習を遠ざける代わりに今度は聖堂付きの神官たちが一時的とはいえマメルクスの身の回りの世話をすることになるのだが、神官たちは聖堂の日常の手入れをするとともにいざという時に『魔法の鏡』を起動する役割も担うため、一部の聖貴族を除けば貴族とは無縁な平民プレブス出身者が大半であり、おまけに神官という立場上からもレーマ貴族などより神々や聖貴族らを貴ぶ傾向が強かった。下手すると神官たちはマメルクスの命令よりも大聖母グランディス・マグナ・マテルの意向の方を優先するかもしれない。そんな神官たちであるから、彼らの口から大聖母フローリア自身が伏せておきたいとの意向を明らかにしている今般の降臨の件について、レーマ貴族らに秘密が漏れる可能性はずっと低いと考えてよいだろう。


 大グナエウシアには生憎とそんなマメルクスの事情までは察せてはいなかった。彼女も領主貴族パトリキに連なる貴族ではあったし、身の回りには家臣・使用人たちが大勢いる点はマメルクスと大して変わらない。ただ、彼女の身の回りにいた使用人たちはそのほとんどがコボルト……つまり南蛮の出身者だったのである。彼らは母の実家、あるいは義姉の実家から送り込まれた者たちであり、やはり皇帝の近習たちと同様に彼らの実家との間で手紙のやり取りなどはしていたが、その相手が国境の向こう側にいて領国内には居なかったことから、大グナエウシアは使用人たちの前で話したことが簡単に外へ漏れてしまうことに対する危機感のようなものが、皇帝ほど切実ではなかった。もちろん、だからといって大グナエウシアが使用人たちを完全に信用しきって、私的なことも機密にすべきことも使用人たちの前でベラベラしゃべってしまうほど不用心なわけではない。


「さて、掛けるがよい。

 ここで大聖母グランディス・マグナ・マテル様たちを待つとしよう。」


 昨日と同じ、聖堂近くの庭園にしつらえられたテーブルセットのところまで来ると、マメルクスはそう言って大グナエウシアに椅子を勧め、同時に自らも椅子に腰かけた。椅子に座ったマメルクスが指を振る様に合図すると、それを見ていた神官がうやうやしくお辞儀し、お茶の用意を始める。

 大グナエウシアはそれを見ながら「失礼いたします」と言って勧められた椅子に腰かけた。席は昨日と違ってマメルクスの右隣りである。


「本日も、大聖母グランディス・マグナ・マテル様がいらっしゃるのですか?」


 二人の目の前で神官が香茶を淹れるのを眺めながら、大グナエウシアはマメルクスに尋ねた。マメルクスも香茶の方に目をやったまま何の気なしに答える。


「ん?

 ああ……いや、と言った方がいいかな?」


「『いらっしゃった』?

 今日でございますか?」


「うむ、来ておられたのだが、既にのだ。」


 てっきり、今日も昨日と同じ大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフとお目通りするのだと思っていた大グナエウシアはマメルクスの言葉に驚いた。


 ということは、もうここには居られないということ?

 では今日は、陛下インペラートルと二人だけでお話しをするということかしら?


 さすがにヒトのマメルクスとコボルトとホブゴブリンのハーフである大グナエウシアがということはあり得ないが、それでも大グナエウシアの期待は膨らむ。大グナエウシアは今朝、エーベルハルト・キュッテルからマメルクスがどういう意向なのか探る様に言われたばかりだったからだ。


 私と二人で話をするということは、降臨とは別件?

 だとするとアルトリウシアで起こったという叛乱のことかしら?

 こちらから聞かなくても陛下インペラートルからお話しくださるなら……


 自分が知らないことになっている事件についてマメルクスから話を聞きださねばならなかった大グナエウシアとしては、マメルクスの側から切り出してもらえるならこれ以上ありがたいことは無い。

 今朝からずっとわだかまり続けていた難問が自ずから氷塊しはじめてくれたかのような期待に大グナエウシアの頬が自然と緩み始める。だが、香茶を淹れる神官の手つきに視線を注ぎ続けていたマメルクスは大グナエウシアの表情の変化など気づけるわけも無く、そのままの調子で話を続ける。


「だが、間もなくお戻りになられるはずだ。

 其方そなたには悪いが、しばらく茶でも飲みながら待っていてもらう。」


 この時、晴れ渡った青い空が急に暗くなったように感じたのは大グナエウシアだけであっただろう。彼女の期待は残念ながら虚しいものとなってしまう。

 しかし、マメルクスのセリフに気になる点を見出した大グナエウシアは軽い貧血に見舞われたような感覚に襲われつつも、それについて問いかける。


「お戻りになられると申されますと、大聖母グランディス・マグナ・マテル様はどちらへ赴かれたのですか?」

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