第819話 些細な失敗
統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ 『
グナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨル子爵令嬢はあれから侍女のタネから教わった通りに馬車の中で姿勢を正し、目を閉じて深呼吸を繰り返してみたが、気持ちは多少楽になったものの結局どうすべきかと言う答は得られなかった。
もう、結局何も分からずじまいじゃない……
お嬢様はきっと大丈夫です。タネには分かっています……いつもの、根拠は分からないが強く確信していることだけは伝わってくるタネの言葉を背に受けながら、
昨日見たのと同じ、ひどく殺風景な部屋に見える
あ、ハウトゥニヤの花……そういえばそんな季節なんだ……
足元に目についた小さな白い花は割とどこにでも咲く雑草の一種だったが、こうして荘厳といって良い庭園の片隅にチョコンと咲いているのを見るとひどく場違いにも見えたし、同時にやけにかわいらしくも思えた。
そのまま目を移していくと植えられた草花の一つ一つが目に入って来る。昨日もたしかにそこにあったはずなのに、昨日は何故かまったくそれらの存在に気づくことも出来なかった。改めて見直してみると、随分たくさんの種類の花が植えられている。しかし、いずれも小さく可憐な花々ばかりであり、春の若葉の中に色彩をちりばめたかのように点在している。
わあ……こんなに咲いてたんだ……
庭園なんだから当たり前と言えば当たり前なのだが、そこに花が咲いているという事実に自分が気づけていなかったことに大グナエウシアは驚き、次いでその花の一輪一輪がまるで自分に挨拶してくれているかのような気がしてきて急にうれしくなってきた。自然と笑みがこぼれ、足取りが軽やかになってくる。
「来たようだな
昨日と同じように庭園の中ほどで待っていた皇帝マメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールは近づいてきた大グナエウシアに自ら声をかけた。
本来なら挨拶は臣下の方から先にすべきなのにマメルクスの方から先に挨拶をされたことで、間合いを見誤ったかと大グナエウシアは慌ててその場で
「御機嫌
アルトリウシア子爵家息女、グナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨル、
昨日はガチガチに緊張していた少女は今日は打って変わってすっかり打ち解けたかのようにリラックスしているようだった。まるで浮かれているかのようにすら見えたその様子に別人かと我が目を疑ったマメルクスだったが、マメルクスの声に驚き、目の前で身を固くして
「ああ……うむ、よく来た。
あぁ……うぅぅ……そこは遠い。もそっと近こう寄れ。」
思ったよりも遠くで跪かれたため距離を感じたマメルクスが少し、困った様子でそう呼びかける。本来なら近習の誰かがとりなすのだが、降臨に関することに関しては近習を遠ざけてあったためマメルクスは自分で直接声をかけるしかない。
マメルクスに近寄るよう命じられた大グナエウシアは「はい、失礼します」と
「今日は機嫌が良いようだな。
何か良いことがあったか?」
当初、無駄話などせずに大グナエウシアが来次第、直接
「いえ……その、花が、目に入ったものですから……」
「花?
そんなもの、昨日も咲いておったであろう?」
大グナエウシアは逡巡するように、小さく
「はい……ですが、昨日はその……目に入らなかったものですから……」
「ふむ……」
昨日は目に入らなかったが今日は気が付いた……昨日と今日の様子からして昨日は緊張しすぎて庭園の花など目に入らなかったのだろう。そして、今日はそれが目に入ったということは、昨日ほどは緊張していないということか……
こういうことは珍しくない。皇帝マメルクスへの謁見など
子供のころから『黄金宮』で過ごしてきたマメルクスにそうした感覚は分からない。分からないが人からそういった話はよく聞く機会があり、そういうものらしいということは知識として知っていた。
先ほどの浮かれようは昨日の反動といったところか?
「申し訳ございません!」
大グナエウシアを見下ろしながらマメルクスが黙って考えていると、突然大グナエウシアが謝罪の言葉を述べる。その声は彼女の普段の話し声よりも高く、
実際、大グナエウシアは自分が何であんなに気分を弛緩させてしまったのか、皇帝の前だと言うのにどうしてそれを忘れていたのか、頭の中で始まった自己批判が止まらず苦しんでいた。マメルクスに突然謝りだしたのだって、実は止むことの無い自己批判から逃れるために始めたようなものだったのである。
「
どうか、どうかお許しを!」
たかがそれくらい……と
突然の謝罪に一瞬たじろいだマメルクスだったが、一瞬遅れて謝罪の意味に気づくとフゥ~と息を吐きながら身体を弛緩させる。
「いや、良い。
昨日のように緊張されたのでは、話もままならぬと心配しておったのだが、今日は大丈夫そうなので安心したところだ。
気を楽にするがよい。」
マメルクスとていい大人である。たかが十四の小娘が多少の
「ですがっ!」
「良いと申しておる!」
こっちが良いと言ってるのにどうしてほしいんだ……
たまにこういう訳の分からないのに出くわす度に疑問に思うが、仮にこちらからどうしてほしいんだと問い詰めたところでまともな答えが返って来るわけでもない。
多分、自分を罰してやりたい気分なのだろうが、だからといってマメルクスにしても皇帝として罰を与えてやれるわけでもない。マメルクスは皇帝だが、相手も立派な貴族の一員なのだ。
「それよりも立つがよい。
わかるな?」
大グナエウシアはそれでようやく落ち着きを取り戻したのか、コクリと頷いた。
「では立つがよい。
そして付いて来るがよい。
行き先は、昨日と同じところだ。」
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