第818話 困難な役割
統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ フォルム・レマヌム/レーマ
ともかく
こっちが叛乱のことを知らないフリを続けながら、
全く無理な注文である。しかもそんな無理な注文を十四の小娘にするのだから全くロクでもない。社交界で支配者のごとく振る舞う女帝のごとき貴婦人ならともかく、レーマ貴族の社交界にデビューして半年にも満たない
そも、大グナエウシアは皇帝に謁見するのは昨日が初めて、今日が二回目なのである。『
でもキュッテルさんが言ってきたってことはキルシュネライト伯爵の御意向よね?さすがにキルシュネライト伯爵の御意向ではお断りすることなんて出来っこないし……
具体的にどうすればよいか……結局はエーベルハルト自身も教えてはくれなかった。皇帝からの迎えが到着してしまったため、エーベルハルトとの会話はそのまま切り上げざるを得なかったのである。
もっとも、実を言うとエーベルハルト自身もその答えを持っているわけではなかった。彼は
そんな彼からすれば曲がりなりにも『黄金宮』へ召喚され、皇帝との謁見を果たしたのみならず直言まで許され、言葉を交わした大グナエウシアは皇帝の意向を直接知ることのできる唯一の
名誉なことなのは分かってるけど、でも無理よ。重すぎるわ。
たった一度や二度の謁見で
「ハァ……」
今日、既に何度目になるかわからない溜息が口を突いて漏れ出る。もしこの姿を間近で見るホブゴブリン男性が居たら、惹きつけられずにはいられなかったであろう。だが、今同じ馬車で揺られているのは侍女のタネ一人だった。
「お嬢様、そのようにため息ばかりついていてはいけません。
ため息は一つつくと、幸せが一つ逃げていくんですよ?」
見かねたタネが
「ああっ、タネ!
もう言わないで。
アナタだって分かってるでしょう?
今日の私は本当に大変なの!」
「大変な時ほど、気持ちを落ち着かせなければいけません。
思い悩んでいては気持ちが内向きになって、せっかくの好機を見逃してしまいます。」
「そうかもしれないけど、考えなきゃいけないことがたくさんあるのよ。」
「考えることと悩むことは別です、お嬢様。
お嬢様は悩んでおいでです。」
もうっ!ああ言えばこう言う!
大グナエウシアは思わず恨めし気にタネを睨みつけた。
タネはハッキリ言ってラテン語が下手だ。言葉も実はあまりよく覚えておらず、間違えることも珍しくない。大グナエウシアより知らないこと、分かっていないこともいっぱいある。だが、何故かこういう時のタネはいつだって迷うような様子を見せない。どっしりと構えて、自信たっぷりといった感じで落ち着いた様子を崩すことがない。今も主人であるはずの大グナエウシアの不況を買ったであろうことに全く動揺していない。
「何がどう違うのよ!?」
「考えるのは頭を働かせます。分からないことを解き明かします。
悩むのは考えるのと違います。頭を使うのは同じですが、気持ちが迷っていて分からないことがもっと分からなくなります。
気持ちが考えるのを邪魔するんです。」
「気持ちは答えを求めてるわよ!
答えが分からないんだから、気持ちだって迷って当たり前じゃないの!?」
「気持ちは欲です。
気持ちが求めているのは正しい答ではなく、おいしい答です。」
「おいしい答え?」
大グナエウシアは眉を
「そうです。
気持ちが良くなる答です。」
「気持ちが良くなる答なら良い答じゃないの!?」
「違いますお嬢様。
人の心はたくさんの気持ちがあります。
楽したい気持ち、怠けたい気持ち、悪い気持ちがいっぱいです。
悪い気持ちがいい気持ちになる答は、良い答ではありません。
勉強したくない気持ちがいい気持ちになる答を選び続けたら、ちっとも偉くなれません。」
「今、私の気持ちは良い答を求めているわ。
楽したいとか、怠けたいなんて思ってないもん。」
大グナエウシアはタネが自分が怠けたいと思っていると思われていることに少しショックを受け、口を尖らせた。
「どれだけ正しい気持ちでいても、悪い気持ちは気づかれないようにこっそり動くものです。
正しい答が見えそうになっても、それが苦そうなら気持ちは邪魔するんです。
だから気持ちが迷ってるときは、正しい答は見つかりません。
悩んでいて答が出ないのはそういうことです。」
「自分の気持ちが邪魔するんじゃ、どうしようも出来ないじゃない!」
「だから気持ちを静めるんです。
何も考えないで、静かに息をするんです。
ほら、こうやって……」
そういうとタネは座席に座ったまま姿勢を正し、目を閉じてスゥ~~ハァ~~と深呼吸を始めた。
「考えなきゃ答えなんか見つかるわけないじゃない!」
タネに呆れた大グナエウシアはそう言って背もたれに背中を預けた。するとタネは姿勢はそのままに目を薄く開ける。
「いいえお嬢様。正しい答えは心が見つけてくれます。
悩んでいる時の考えは、正しい答を見つける邪魔にしかなりません。
だからこうやって何も考えずに、気持ちを静かにするんです。」
さあ、やって……そう言うようにタネは再び目を閉じて深呼吸を再開した。
確かにタネは悩んでいる様子を見せたことは無い。少なくとも大グナエウシアの前では、タネはいつも落ち着いている。慌てることはあっても、それでも思い悩んだり迷ったりする様子は見せない。そんなタネが言うんだから、もしかしてその通りなのかもと大グナエウシアも思いたくなる。だがすぐに否定した。
「そんなの、できるわけないわ。」
そう言ってプイッと窓の外へ視線を向ける。馬車はフォルム・レマヌムを通り抜けようとしていた。馬車の外からは相変わらず群衆の上げる歓声が聞こえている。
この人たちは飽きることが無いんだろうか?
ふと、そんな疑問が頭に浮かぶ。意識がそっちへ行きかけた大グナエウシアに、タネは再び話しかけてきた。
「大丈夫ですお嬢様。
お嬢様はきっとできます。
タネには分かっています。
お嬢様の心はいつだって、正しい答を見つけることができるんです。」
それは残念ながら、大グナエウシアには空虚な励ましにしか聞こえなかった。
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