皇帝の対応

第817話 ルードの出発

統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ 『黄金宮ドムス・アウレア』/レーマ



「本当にその恰好で、行かれるのですかミルフ殿?」


 レーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールが慎重に尋ねた。


 ルード・ミルフ二世は昨日約束した通り再び転移魔法を使って『黄金宮ドムス・アウレア』に現れた。母である大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフとロックス・ネックビアードに付き添われてである。一応、外国の国家元首たる皇帝の宮殿『黄金宮』を経由しなければならないし最初の一日目でもあることもあって、フローリアはマメルクスへの挨拶を兼ねて見送りに来たのだ。


 今日、ルードはマメルクスが用意した護衛兼案内役の奴隷を伴ってオリエネシア属州の州都クィンティリアまで転移魔法『ゲート』で移動することになっていた。そこからサウマンディア州都サウマンディウムを目指して転移魔法『次元歩行ディメンジョン・ウォーク』を繰り返し使いながら急速に南下し、本来一か月半以上はかかる距離を数日で踏破する計画である。

 ルードは一日で行けるだろうと思っていたが、『次元歩行』は目に見える範囲しか移動できず、天候や地形等の影響で視界が遮られるとそれだけ一度で移動可能な範囲が狭まってしまう。もちろん夜、暗くなって遠くが見えなくなってもやはり移動距離は制限されることになってしまう。そしてオリエネシアはレーマ本国よりだいぶ東にあるはずだった。

 レーマとの時差がどれくらいあるか、正確な所は分っていない。レーマ帝国の広大すぎる版図の測量はまだ半分も進んでいない状態で、ましてやオリエネシアは昔から未開の地として知られ、測量は都市部や鉱山地帯といった人が既に住み込んでいるごく限られた地域でしか行われていなかったからだ。クィンティリアの経度など誰も測ったことが無かったのである。

 ともかく、第一目標であるクィンティリアはレーマよりだいぶ東にあるはずだと言う程度のことしか分かっていないが、レーマより東にあるということはムセイオンのあるケントルムとの時差はかなり大きいはず。半日は無いだろうと思われているが、ムセイオンを早朝に発ったルードが『ゲート』でレーマに来た時、既にレーマは昼近かったのだからクィンティリアは間違いなく既に午後になっているはずで、下手したら夕方に近い時間帯かもしれなかった。だとしたら日没まで数時間しか時間的余裕はない。

 夜中になると移動可能な範囲が狭まってしまう『次元歩行』での長距離移動は一気に効率の悪いものになってしまうだろう。ルードの一日で踏破できるかもしれないという観測はそうした現地との時差を全く考えていないものであり、かなり楽観的としか言えなかった。かといって、ムセイオンでの仕事もしなければならないルードは今以上に早く出てくることなど出来ない。まだムセイオンにいる聖貴族たちには降臨について隠しておかねばならないのだから、ルードはいつもと同じ生活を繰り返しているように装う必要がある。である以上一日二時間程度しか移動できないかもしれないという前提で、サウマンディウムまでの移動に最大一週間程の日数を想定していた。


 当然、その間は現地で人の目に触れることになる。ルードはそれを配慮していつもと違った格好をしてきていた。


「ええ、これなら商人っぽく見えるでしょう?」


 そう言い、自分の着ている服を両手で引っ張って広げて見せる。ルードの感覚からすればそれは確かに商人っぽい恰好なのかもしれない。ケントルムの商人たちは実際にそういう格好をしているのだろう。だが、ルードの知るケントルムの商人というのはムセイオンに出入りしている商人だけだ。そしてムセイオンへの出入りが許されているのは所謂いわゆる御用商人オフィシャル・マーチャント』と呼ばれる人たちだけであり、一般の商人とは一線を画す存在だった。それは商人の中の貴族であり、時に一国の命運さえ左右するほどの力を持つ豪商のみなのである。当然、その服装は豪華かつド派手であった。


 ジャケット、ベスト、そしてズボン……上質なウールでできたそれらはまったく同一の色で染め上げられたセットの衣装だ。身体の線を強調するように肩回りや尻から太腿にかけては大きく張り出すように膨らませ、逆に腰回りや膝はキュッと絞っているそのデザインは、シンプルな貫頭衣トゥニカを基本とするレーマ帝国には無い服装だろう。それだけでも衆目を集めることは請け合いである。

 なるべく目立たないようにとの配慮から黒い生地を選んだようだが、シミもシワも無くつややかなそれは決して地味ではない。それどころか、ジャケットの襟元えりもとと肩から袖の横、そしてズボンの裾の横にかけては縦に銀糸の派手な刺繍が帯状に施されており、遠目にもその異様な派手さは明らかだ。腰に巻いた幅二インチはありそうなベルトには規則正しく等間隔で銀のリベットがビッシリと打たれ、腰丈のジャケットの裾の下からギラギラと光を放っている。おまけに隠そうと思ったら両手で覆わなければ隠し切れないであろうほど大きなバックルは緻密な銀細工で出来ているだけでなく、指先よりも大きそうな宝石が埋め込まれているから遠くからでも人目を惹きつけてしまうだろう。

 真っ白なシャツはそれを着ているだけでその人が只者ではないことが誰にでも分かってしまうほど真っ白に輝いているが、その首元には真っ赤なスカーフネクタイが大輪の薔薇の花弁を思わせるほどのボリュームを持って結ばれており、彼が着ているド派手な衣装のどの要素にも負けないほどの存在感を主張している。

 そして頭にはスーツと全く同じ色、同じ刺繍の施されたルードの肩幅ほどもある広いツバの帽子が乗せられていた。その黒いツバを背景にするせいで彼の長く伸びる白い耳がやけに目立って見えてしまい、自分がハーフエルフであることを出会う人すべてに印象付けようとしているかのように思えてしまってならない。一番地味なのは履いているブーツだが、艶やかに輝く革のブーツの爪先は鋭く尖り、踵には何故か銀色に輝く拍車が付けられていて、それが歩くたびにカシャカシャと金属音を立て周囲の人の注意を惹きつける。


 もしも《レアル》の人間が彼を見たら、マリアッチを思い浮かべることだろう。実際、着ている服はメキシコ民族衣装『チャロ』をより豪華にしただけであり、腰に下げた細剣レイピアを弦楽器に替えて付け髭でもつければ、今にもハラベ・タパティオを歌いだしそうだ。もっとも、この場に《レアル》世界のマリアッチやハラベ・タパティオなどに精通しているものなど居なかったのだが‥‥


「いや、言いにくいが余の知る限り、レーマにそのような格好をしている商人などおりはしますまい。」


 さすがにマメルクスは忠告する。その表情には噛み殺された呆れの残滓がわずかに滲み出ている。朝、実は母フローリアにも言われたしロックスもあまり良い顔してなかったのだが、マメルクスにまで同じように言われてルードもようやく気にし始めたようだ。


「そうは言われましても……」


 自分の服装を改めて眺めまわすルードだったが、なんだかんだ言ってこの衣装が気に入っていたらしく少し困ったような表情を浮かべる。


「どうするの?

 やっぱり着替えて行く!?」


 もし、マメルクスがそのままやんわりと着替えることを勧めていたらルードも大人しく着替えたかもしれない。しかし、腕組みしたフローリアがやや険のある口調で言ったことでルードは検討し始めた「着替える」という選択肢を永久に放棄した。


「いえ、やっぱりこのまま行きます!」


 そら見なさい言わんこっちゃない……と母に言われて素直に受け入れられる息子など、なかなかいるものでは無い。ましてやファッションについてルードはそれほど致命的な失敗などしたことが無かったのだから猶更なおさらである。

 それはそうだろう。世界で最も高貴な存在……その頂点に位置付けられ続けた彼である。多少奇抜な格好をしたところで笑い者にする者など居はしない。むしろ積極的にそれを真似て、新しい流行にしてしまうのが彼を取り巻く周囲の大人たちの反応だったのだ。そんな環境で育った彼がファッションについて母から何か忠告を受けたところで素直に受け入れられるわけがない。

 フローリアは思わず目を剥いたし、他の者たちも驚きと呆れとを溜息とともに吐き出したがルードは意に介さなかった。それどころか開き直る。


「大丈夫ですよ。

 どうせ隠蔽魔法も使うから目立つことはありません。

 ただ、恰好から後になって『そういえばアレはルード・ミルフ二世だった』と思い出されることが無ければいいのです。

 だから普段の僕と違う格好でありさえすれば問題はありません!」


 そう言い切られれば周囲の者はそれ以上何も言えない。たしかに隠蔽魔法は最初から使う予定だったし、隠蔽魔法を使っていればよほどのことでもない限りその時その場で正体に気づかれることはまずない。ルードの隠蔽魔法は姿を消したりするものではなく、周囲の人間に対してゲシュタルト崩壊を起こさせて自分に対する意識を散漫にさせる魔法なので、むしろ派手な格好をしていた方がその要素要素に意識が散らばりやすくなって自分の正体が突き止められる可能性は低くなるくらいなのだ。

 だが、派手な格好をすればそれだけ存在自体が目立ってしまうことに変わりはない。だったら普通の恰好でもいいだろうに……まあ、なんだかんだ言ってルードも「初めてのお使い」に気分が高揚しているのだろう。


「そうだ、今のうちに渡しておかなきゃ。

 えっと……カクラウスとスケレストゥス?」


 それでも周囲の不快そうな空気は気になったらしい。ルードは御供にあてがわれた二人を呼んだ。


「「はい!」」


 人気剣闘士グラディエータらしく派手目な筋肉鎧ロリカ・ムスクラタに身を包んで武装した二人が姿を現す。ハーフエルフらしい細身のルードとこうして並んで比べると二人の体格は圧倒的である。体重だって倍近く違うだろう。

 その二人にルードは手を差し出した。その手のひらには指輪が二つ乗せられている。


「これを着けるんだ。」


 二人はおずおずとそれを手に取った。


「これは?」


「これは魔道具マジック・アイテムだ。

 僕は正体がバレて大騒ぎにならないよう隠蔽魔法を使う。

 そのせいで君たちが僕を見失わないようにするための指輪だ。

 これを着けていると隠蔽魔法を使っていても僕のことがわかるんだ。」

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