第823話 スクワラ

統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ 『黄金宮ドムス・アウレア』/レーマ




 昨日見たのと全く同じ姿の大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフをレーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールとグナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨル子爵令嬢は席を立って迎えた。フローリアの後ろには鮮やかなオレンジ色のドレスを身にまとったロックス・ネックビアード嬢が付き添うように従っている。

 ロックスのドレスを見た大グナエウシアグナエウシア・マイヨルは少し気まずい思いをしていた。昨日、同じ赤い衣装で被ってしまったため、大グナエウシアは今日はオレンジの長衣ストラを選んだのに、また被ってしまったからだ。どうやらそれは向こうも同じだったようでわずかに身を固くして一瞬立ち止まり、少し大きく見開いた目を上下させて大グナエウシアの衣装を観察してる。


「あら、いらしてたのね子爵令嬢ウィケコミティス・フィリア?」


「御機嫌うるわしゅう、大聖母グランディス・マグナ・マテル様」


 フローリアの声で我に返った大グナエウシアはサッと跪いて挨拶する。


ごきげんようサルウェー子爵令嬢ウィケコミティス・フィリア

 彼女がこうしてここに居らっしゃるということは、彼女にはもうお話しになられたのかしら、陛下インペラートル?」


「ええ、大まかなところは……

 それにしても、すぐに戻られるかと思いましたが、随分かかられましたな?」


 大グナエウシアに挨拶を返し、そのまま状況を確認しようとするフローリアの質問に答えると、マメルクスはやんわりと待たされた不平を訴える。するとフローリアは苦笑いを浮かべた。


「それが前回クィンティリアに行ったのがまだ戦争してた頃ですもの。

 もう百年も昔でしょう?

 随分と景色が変わっちゃって、場所を確認するのに少し時間が要ったのよ。」


 そう言うとコロコロと笑い出す。


「樹は全部大きくなってるし、街の見た目も全然違うんですもの。

 あの子に『母上マテル、ここ何処?』って訊かれても答えられなかったわよ。

 変わらないのは空の青さと川の水の茶色い色だけだったわ。」


「街に直接行かれたのではなかったのですか?」


 おかしそうに話すフローリアにマメルクスが怪訝な表情を浮かべて尋ねると、フローリアは笑ったまま首を振った。


「まさか!そんなことしたら大騒ぎになっちゃうでしょ?

 冒険者はだいたい、街から少し離れた場所にポータルを設けるものなのよ。」


「ポータル?」


「ああ!……ポータルというのは『転移門ゲート』を開くための場所のことよ?

 魔石ルーンに記録した座標のことをポータルって呼ぶの。」


 分かったような分からないような説明にマメルクスは眉をひそめながらフローリアをジッと無言のまま見つめ、何かを振り払うようにフルフルと小さく頭を振ると質問を変えた。


「その、では何でわざわざ街から離れたところに?

 街の中に設けた方が便利なのでは?」


 マメルクスの素朴な質問にフローリアの顔から笑みが消え、少し驚いたように目と口が丸くなった。それから少し考え込むように背後のロックスを振り返り、再びマメルクスに向き直って説明を始める。


「それは安全のためよ。」


「安全のため?」


「冒険者は敵も多かったの。

 だから多くの冒険者はポータルの場所を他人に知られないようにしていたわ。

 そりゃ、街の中にポータルがあれば便利だけど、街の中じゃ人目につきやすいでしょう?

 するとアイツのポータルはここだから、いずれここに現れるって悪い人たちにバレて待ち伏せされたり罠を仕掛けられたりするの。

 そういうのを防ぐために、人目につきにくい場所をポータルに選ぶのよ。

 その街に自分の家があれば、家の中にポータルを作るくらいはしてましたたけどね、そうではないなら街の外に作った方がポータルの場所を他人に知られずにすむでしょう?

 まあ、中には神殿の祭壇にポータルを作って遊んでる人もいましたけどね。」


 そこまで説明するとフローリアは何か思い出したのか手で口を押えてコロコロと笑った。マメルクスは片眉を持ち上げ、同時にもう片眉をしかめて苦笑いを浮かべる。

 神殿の祭壇が突如まばゆい光を発し、気が付けばそこにゲイマーガメルが立っている……ゲイマーが好みそうなドラマチックな演出ではあるが、その神殿にまつられた神を信仰する信者の立場からすれば悪趣味以外の何物でもないだろう。しかも相手がゲイマーとなれば怒ることもやめさせることも難しい。苦言を呈することすらできたかどうか怪しいものだ。その神殿の神官フラメンには同情を禁じ得ない。


「続きはあちらで話しましょう?

 子爵令嬢ウィケコミティス・フィリアもさあ、お立ちになって?」


 ひとしきり笑ったフローリアの呼びかけにより、四人は昨日と同じテーブルセットに座った。神官たちが四人分の香茶を淹れる間、気を取り直すようにマメルクスが話を切り出す。


「それで、現地はいかがでしたか?」


「まだ夕方ではありませんでしたわ。

 レーマとの時差は二~三時間といったところではないかしら?

 うまく行けば今日中に、その……ウァレリア?」


「ウァレリアです。」


 地名が思い出せずに確認を求めるフローリアにマメルクスが相槌を打つように補足すると、フローリアは眉毛をヒョイと持ち上げて首を傾げるようにしてから説明を再開した。


「そのウァレリアに着く予定です。

 少なくともルーディはそのつもりよ?

 でも、私の見たところウァレリアに着くのは早くて明日か明後日でしょうね。」


 フローリアはフフンと笑いながら目の前に出された茶碗ポクルムを手に取った。


「いくら転移魔法があるからと言っても、あのジャングルを抜けるのは簡単ではないわ。それに、あの地域にはスクワラがあるの。

 御存知?」


「スクワラ?」


 俯くように香茶の香りを味わいながら、悪戯っぽく笑うフローリアが上目遣いで同席する三人を見渡す。だがマメルクスとてレーマ帝国のすべての地域に精通しているわけではない。残念ながら三人の中でスコールを知っていたのは大グナエウシアだけだった。


「雨……ですよね?」


大グナエウシアが恐る恐る答えると、フローリアは身体を起こしてニンマリ笑った。予想していなかった答えにマメルクスとロックスは訝しむように大グナエウシアとフローリアの顔を見比べる。


「雨?」


「そう、アナタは経験したのね?」


 フローリアの言葉に正解を確信した大グナエウシアはパァッと表情を明るくする。


「ハイっ!初めてスカワラを見た時はビックリしました。」


「雨?

 雨がどうかしたのですか?」


 二人の間で進み始めた話についていけないマメルクスが尋ねると、フローリアは勝ち誇るかのように笑みを浮かべ、マメルクスを見下ろすように背を伸ばす。


「雨は雨でも物凄い大雨よ。

 嵐と言った方が良いかもしれないわね。」


「滝のように降るんです!

 晴れていたのに急に風が吹いて、空が暗くなったと思ったら、いきなり……

 でもすぐに止むんです。」


 フローリアが自慢げに話すのに対し、大グナエウシアの方は目をキラキラさせながら訴えかけるように身を乗り出す。だが、話に聞く限りではそれほど珍しい現象には思えない。


「それは……精霊エレメンタル悪戯いたずらのようなものなのですか?」


 この世界ヴァーチャリアで起こる超自然的な現象の多くは、精霊が関わっていることが確認されている。精霊の存在を認知し、対話し、時に操ることも出来る人間が実在するため、精霊の存在感というものはかなり具体的かつ現実的なものだった。ゆえに、このように自然現象ではあるけど他とは一線を画すような現象の話を聞いた時に精霊の仕業ではないかと疑う者は珍しくないのだ。

 しかし、珍しい自然現象のすべてが精霊の仕業ではないのも事実である。スクワラについても同じことが言えた。


「んん~……たぶん違うわね。

 確かに《風の精霊ウインド・エレメンタル》の気配を感じるけど、《風の精霊ウインド・エレメンタル》がそうしているというより、そうなっているところへ《風の精霊ウインド・エレメンタル》が集まってるっていう感じだわ。

 きっと純粋に、自然現象なのよ。」


 苦笑いを浮かべながらフローリアが答えると、マメルクスはガッカリしたように上体から力を抜いた。

 この世界では精霊が存在する。このため、超自然的な現象についても割と多くの人が簡単に納得し、意外なほどすんなり受け入れる傾向にある。それと同時に、精霊の関わっていない純・自然現象については無意識に過小評価してしまう悪弊あくへい蔓延まんえんしていた。


「ただの自然現象がミルフ殿の旅の障害になるとは思いにくいですが……

 それとも、既にその、スクワラという雨が降っていたのですか?」


 天気が良かったのに急に曇って雨が降る……そんな話は砂漠地帯を除いて割とどこでも聞ける話だ。そして「滝のような激しい雨」なんて話も特段珍しくはない。吟遊詩人や作家たちは誇張した表現を用いたがるものだからだ。今回の話もそうした類の誇張された話だろう……マメルクスはそのように理解していた。

 たしかにルードは転移魔法『ディメンジョン・ウォーク』について、視界の届く範囲にしか行けないと言っていた。だから夜中や雨や霧などでは移動できる範囲が狭くなるとも……話に聞くような滝のような雨が降れば、それは確かに移動範囲は狭くなることだろう。しかし、雨なんて降る日もあれば降らない日だってあるのだし、降ったとしてもすぐに止むそうではないか……なら、ルードの行程に影響を及ぼすことなんて無いんじゃないのか?……マメルクスはそう、楽観視していた。

 だがフローリアはそうしたマメルクスの心を見透かしたようにフフンと笑う。


「それが、毎日一回は必ず降るとしても?」

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