第824話 子離れできぬ母

統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ 『黄金宮ドムス・アウレア』/レーマ



 大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフはフフッと小さく笑った。


「あの子ったらいつもイイ子にしてくれているけど、本当はもう何でも自分で出来るって思ってるのよ?

 たしかに、ムセイオンの中やダンジョンうちの中じゃあ、あの子に出来ない事なんてほとんどないかもしれないわね。ムセイオンにいる子たちの中では実力も一番ですもの。

 でも外の世界に出ればいくら魔力があったってどうしようもないことなんていくらでもあるの。あの子はスクワラに降られて初めてそれを知るのよ。」


 フローリアの顔は息子ルード・ミルフ二世を嘲笑あざわらうかのようでもあり、憐れむようでもあり、複雑である。テーブルメンサに投げ出された視線は、しかしテーブルを通り越したさらに先で焦点を結んでいるようで何も見てはいないようだ。


「その……よろしいのですか?」


 レーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールは躊躇ためらいがちに尋ねた。

 彼からすると雨程度で大袈裟おおげさなとしか思えない。そもそも百歳オーバーでようやく初めてのお使いというだけでも十分呆れるほどなのだ。出来て当然、雨に降られたからと言ってそれぐらいでめげられても困る。彼にはいち早くアルトリウシアまで行ってもらい、半月以内に『転移門ゲート』を開けるようにしてもらわなければならないのだ。


「ええっ、あの子には良い薬になるでしょう。

 雨に降られて『ディメンジョン・ウォーク』も使えないままずぶ濡れになって、自分の思い上がりに気づけばいいんだわ。」


 何か吹っ切れたかのようにフローリアは言うが、マメルクスからすればそんなものは一人の母親の個人的な感情の問題でしかない。


「余はミルフ殿ならば役目を果たしてくれると期待して、彼の此度こたびのサウマンディア行に協力しております。

 もしも雨ごときで役目に支障が出るようでは困るのですが?」


「あら、それはさすがに大丈夫ですよ陛下インペラートル!」


 やんわりと釘を刺すマメルクスにフローリアは心外だと言わんばかりに反発する。


「ルーディはちゃんとサウマンディウムまで行ってくれますよ?

 それは私が保障しますわ。

 でも、ルーディはそれ以上のことをやってみせようとしてましたの。」


「それ以上?」


「サウマンディウムまでなら一週間程度で着いてくれればいい……私、あの子にそう言いましたのよ?

 でもあの子ったら半分の三日でたどり着くつもりでいましたの!」


「三日!?」


 マメルクスはあえて驚いた様子を見せた。もちろん、レーマの誇る郵便システムタベラーリウスから比べれば一週間でも十分に驚異の速度なのだが、ルードは最初その日のうちに着けるかもしれないなどと言っていたのから比べれば、三日でも十分に現実的感覚に近づいてくれたような気がマメルクスはしている。転移魔法というとんでもない手段を持つこの母子にとって、クィンティリアからサウマンディウムまで三日という数字が早いのか遅いのかなんて、正直言ってマメルクスには到底理解できない。実を言うとマメルクスはフローリア母子の感覚についていくことは既に諦めていた。


「あの子ったら私が言った以上に早くサウマンディウムに行って、自分の実力を認めさせたいのよ。

 私があの子の実力を低く見ていると思ってるんだわ。

 でも逆よ。

 私に言わせれば、あの子が世間を知らなすぎるんです。世の中をなめてるんだわ。」


 フローリアの口調は怒っているという風ではなく、困っているという風だった。


「それで実際に早く着いてくれるなら余としてはむしろありがたいのですが?」


「それは、そうでしょうけど……」


 どうやらフローリアはマメルクスが自分に同情してくれると思っていたらしい。だが逆のことを言われ、フローリアは小さなショックを受けたように身体を起こし、口を尖らせる。


「でもそれで万事がうまく行きすぎて、あの子に調子に乗られても困るんです。」

 

「ですが遅れられるのはもっと困ります。

 そうではありませんか、大聖母グランディス・マグナ・マテル?」


「それは大丈夫ですよ!

 私、陛下インペラートルがつけてくださった奴隷たちに訊きましたのよ?

 スクワラはオリエネシアでは降るけど、サウマンディアじゃ滅多にないそうじゃありませんか。」


 目を背けて拗ねるように苛立ちを見せるフローリアにマメルクスが窘めると、フローリアは今度はマメルクスに向き直り、「何を馬鹿なことを」とでも言わんばかりに胸を張った。……もう、成功してほしいんだか失敗してほしいんだか分からない。マメルクスとしては呆れるほかはない。


「それなら、良いのですがね……」


 マメルクスはため息交じりにそう答えた。

 一応、マメルクスはマメルクスで報告を受け取ったこと、そして支援はするので降臨者の接遇をしっかりするようにという指示を伝える手紙を早馬タベラーリウスで出している。ルードを信用しないわけではないが、万が一にも失敗した場合でも現地との連絡は維持できるよう打てる手は打っておくのは当然であろう。そもそも通信手段は二重三重にして、一つの通信手段が何らかの事情で遮断されても確実に相手に伝わる様にしておくのはこの世界ヴァーチャリアの通信事情では常識となっている。

 それでも、噂と言う形で降臨が起きたという事実がムセイオンの聖貴族コンセクラトゥムに伝わる前に現地との通信手段を確立する方法がルード以外に存在しないのはここに居る誰も否定しえない事実だ。《暗黒騎士親の仇》が降臨したと噂で勘違いした聖貴族たちが暴走し、一斉にアルトリウシアへ向かうのを阻止するためにもルードには是が非でも成功してもらわなければならない。


「それはそうと陛下インペラートル


 マメルクスの態度が面白くないフローリアはマメルクスをジトッとした目で睨みながら言った。


「こうなればサウマンディアの様子も聞かせていただきたいものね。

 道のりだけならあの奴隷でも良くても、あの奴隷はサウマンディアの事情は知らないようでしたもの。」


 役目を果たさねばならないのは自分たちだけではない……そう釘を刺すようにフローリアはマメルクスに要求する。それに対するマメルクスの答えはかんばしいものでは無かった。


「もちろんです。

 が、そうは言ってもオリエネシアより南はレーマにとっても辺境でしてな。

 大聖母グランディス・マグナ・マテル様に説明できるほど現地の事情を知る上級貴族パトリキは限られているのです。

 ちょうど属州領主ドミヌス・プロウィンキアエの息子がレーマの兵学校に留学中なのですが、兵学校は今ちょうど修学旅行中でしてね。」


「別に領主貴族パトリキでなくてもかまわなくてよ?」


下級貴族ノビレスにしたところで同じですよ。

 此度こたびのこと、大聖母グランディス・マグナ・マテル様のことを口外せぬよう口止めが利いたうえで、現地の事情に精通している者などそれほど多くはありません。」


 このマメルクスの説明に大グナエウシアグナエウシア・マイヨルはギクリと後ろめたいものを感じるのを禁じ得なかった。彼女は今朝、ここへ来る前に昨日のここでの出来事の一切合切いっさいがっさいをエーベルハルト・キュッテルに話してしまったばかりだったからだ。

 が、同時に現在自分にし掛かっている責任を回避する可能性を求めて口を開いた。


「あっ、あのっ、失礼いたします!」

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