第825話 呼ばれてなかった裏事情

統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ 『黄金宮ドムス・アウレア』/レーマ



 グナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨル子爵令嬢本人以外三人の視線が一斉に大グナエウシアグナエウシア・マイヨルへ向けられる。


「そのっ、現地の御様子をお聞きになられるのであれば、キルシュネライト伯爵やウァレリウス・レマヌス伯爵を御召になられてはいかがでしょうか?

 私などのような女子供より、よほど適切かと存じますが……」


 誰なの?と、フローリア・ロリコンベイト・ミルフとロックス・ネックビアードの視線がそのまま皇帝インペラートルマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールへ向けられた。

 キルシュネライト伯爵とはオットマー・フォン・キルシュネライト伯爵のことであり、キルシュネライト伯爵家は代々ランツクネヒト族の代表として元老院議員セナートルを務め続けてきた家系である。現・当主であるオットマーはアルビオンニアの属州領主ドミナ・プロウィンキアエエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人とは義理の兄妹の関係であり、現在アルビオンニア属州の代表という立場で元老院セナートスで議員活動をしている人物だ。エーベルハルト・キュッテルが御用商人として仕える主人でもある。

 ウァレリウス・レマヌス伯爵も同じく元老院議員であり、こちらはサウマンディア属州の代表と言う立場だ。サウマンディア属州領主プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵とは同じウァレリウス氏族の親戚である。

 どちらも属州代表という立場の元老院議員であり、元老院でそれぞれの属州の利益を守るのが仕事だ。当然、それぞれの属州のことについてそれなりに精通しているはずであり、政治家でもあることからこうした役目には大グナエウシアなどよりずっと適任のように思える。しかし、マメルクスは首を振った。


「いや、余も一応彼らのことは事前に調べたのだ。

 彼らは属州代表の元老院議員セナートルだが、どちらもレーマ生まれのレーマ育ちであり、一度も現地を訪れたことが無い。キルシュネライト伯に至ってはレーマから出たことすら無い有様でな。

 ゆえに、此度こたびは彼らを呼ぶのはやめておいたのだ。」


 さすがに大グナエウシアが思いつくことはマメルクスも思いついたのだろう。立場的には適任の筈の彼らを呼ばないのはそれなりに理由があってのことだったのだ。

 しかしだからと言って彼らをこのまま無視していて良いようにも思えない。大グナエウシアは追いすがる様に続ける。


「ですが、属州を代表する元老院議員セナートルが在りながら呼ばれず、代わりに女で子供の私が呼ばれたとあっては、陛下インペラートルが彼らを、元老院セナートスをないがしろにしたと言われかねません。」


「そうねぇ……その伯爵コメスには貴女あなたが出しゃばったと思われるかもしれないわねぇ?」


 大グナエウシアの立場をおもんぱかったのか、すかさずフローリアも口を添える。

 フローリア自身は自身の実力と共に大聖母グランディス・マグナ・マテルなどという称号も持っているだけあってさほどその弊害を受けることは無いが、それでもレーマ帝国で生まれ育った以上はレーマの男尊女卑だんそんじょひ文化を知らぬわけではない。男たちを従える女領主、女主人といった者たちが存在しないわけではないが、そうした者たちは全体から見ればごく少数であり、女性が表社会で活躍するには想像を絶する障害がいくつも存在しているのが実情だ。

 そんなレーマで降臨という一大事に際し、密接にかかわるべき立場の貴族が皇帝から召されることなく、代わりに年端もいかぬ貴族令嬢が召し出されたとなれば、呼ばれなかった貴族の面目はほぼ丸つぶれになってしまう。せめて大グナエウシアがマメルクスと同じヒトであれば、たまたま見初みそめられた令嬢が召されたのとタイミングが重なっただけと言う言い訳も通用したかもしれないが、大グナエウシアがヒトではなくホブゴブリン……それもコボルトとのハーフとなればそのような言い訳など通用するはずもない。

 面目の潰された貴族たちの批判は、男尊女卑社会であるレーマでは召喚した皇帝マメルクスではなく、召し出された子爵令嬢ウィケコミティス・フィリアの方へ向けられる。体面というものを偏重する貴族たちの嫉妬は建前によって捻じ曲げられ、そして合理性を失って最も弱いところへと向けられるのだ。そこに公正や平等などと言ったものは存在しない。理性が介入する余地など無いのだ。


「いえ、それは……大丈夫だと、思いますけど……」


 大グナエウシアはその大柄な身をちぢこませながら消え入りそうな声で言った。

 せっかくのフローリアの口添えを否定することなど出来はしないが、かといって彼女はオットマーの顔も立てねばならない立場にある。オットマーが大グナエウシアに嫉妬するなどというフローリアの予測を受け入れることも出来ないのだ。

 だがフローリアが言ったことを完全に否定することも出来ない。貴族社会において上位の貴族が体面を傷つけられるようなことがあれば、たとえ本人が許していてもその貴族におもねる周囲の者たちが過剰に反応することはよくあることだった。オットマーに気に入られようとする者、あるいはオットマー本人以外のキルシュネライト伯爵家の者たちが大グナエウシアに良からぬ感情を抱く可能性までは、誰も否定出来はしないのである。


「あぁ……」


 大グナエウシアにとって気まずい沈黙の時間が数秒、流れた後でマメルクスが何かを思い出したように声を上げる。


「誤解があるようだが、彼らを召喚しておらんわけではないのだ。」


 今朝のエーベルハルトの話からてっきりオットマーには話が行っていないものと思い込んでいた大グナエウシアは驚いてマメルクスに視線を向ける。


「召喚するのを止めたというのは、と言う話だ。

 帝国として今般の降臨に対応するにあたり、彼らの協力はもちろん無くてはならんものだ。だから彼らは召喚しておる。ウァレリウス・レマヌス伯爵に、関係する者たちと共に参内するようにとな。

 キルシュネライト伯爵には、ウァレリウス・レマヌス伯爵を通じて参内が命じられるはずだ。」


「あぁ……」


 今度は大グナエウシアの方が小さく声を漏らした。エーベルハルトはキルシュネライト伯爵家には参内の命も何の連絡も無いようなことを言っていたが、ウァレリウス・レマヌス伯爵家を中継するためにおそらく行き違いになっているのであろう。

 キルシュネライト伯爵家に直接来ずにウァレリウス・レマヌス伯爵家を中継するのは、ウァレリウス・レマヌス伯爵家が南部属州代表たちの取りまとめ役になっていること、そして今年の二月から生じていたメルクリウス騒動の責任者がプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵であり、ウァレリウス・レマヌス伯爵家はレーマにおけるその代理人であることなどが理由であろうことは大グナエウシアでも想像がついた。

 大グナエウシアの反応からおそらく状況を推察したのであろうことはマメルクスも気づいたが、それでもマメルクスの説明はまだ終わったわけではなかった。


「ただ、先ほど兵学校が修学旅行中だと申したであろう?

 ウァレリウス・レマヌス伯爵はそれに随行しておるので、レーマを留守にしておるのだ。」


「ああぁぁぁ……」


 兵学校といっても就学期間はたったの一年である。学ぶのは帝国で軍を率いるにあたって共通して認識しておかねばならない法的な知識と、基本的な戦術だけだ。通うのは貴族の子弟だけであるため、より実践的な詳細は家庭教師や卒業後に入隊する軍団内での教育に委ねられている。ただ、軍事を学ぶ上で野外での地形の読み方や行軍の基本など最低限の実習は避けては通れないため、就学期間の最後に半月から一か月を投じて旅行に出かけ、集中的に野外実習を行うのが慣例となっていた。要は参謀旅行とか参謀演習旅行とかの真似事である。

 マグヌス・ウァレリウス・レマヌス伯爵……政治家にはありがちなことだが彼は様々な名誉職を兼務しており、レーマ帝国兵学校の理事もまた彼が兼務する役職の一つだった。そして彼は親戚であるプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵の次男デキムスの修学旅行の引率教員たちに交じってついて行ってしまっていたのだ。


 お嬢様をデキムス様に嫁がせようとしてるって噂だったけど、そこまでするの!?


 おかげでオットマーへの召喚の通知が遅れ、まるで大グナエウシア以外が無視されているような形になって大グナエウシアだけが浮いてしまっている。今のこの状況を内心でかなり気にしていた彼女にとっては拍子が抜けた思いだった。


早馬タベラーリウスで連絡は出してあるので、ウァレリウス・レマヌス伯爵はおそらく急いで帰って来るであろう。

 しかし、伯がレーマに戻るのは早くても明日だ。

 参内するのは明後日以降であろうな。

 その時はキルシュネライト伯爵もウァレリウス・サウマンディウス伯爵令息も共に参内するであろう。」

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