第53話 《陶片》の伏兵

統一歴九十九年四月十日、午前 - リクハルドヘイム/アルビオンニア



 アルトリウシア湾に流れ込む四本の河川のうち、内側を流れるウオレヴィ川とヤルマリ川に挟まれた地域・・・リクハルドヘイム地区を治める郷士ドゥーチェはコボルトの父とブッカの母を持つという元海賊のリクハルド・ヘリアンソンである。

 本人は自分はブッカだと主張するが、見た目にブッカらしいところが無くコボルトそのもので体格にいたってはアルトリウスより更に大きい巨漢だった。

 全身の体毛が灰色がかっている事から、『灰色のリクハルド』の二つ名で知られる。


 ティグリスやメルヒオールと同様、グナエウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵の海賊退治に協力して戦功を上げ、騎士エクィテスの称号と郷士の地位をたまわった。

 海賊ではあったが、船を失ったとかで海賊退治に参加する前から海賊業は廃業しており、手下を引き連れて流れ着いたアルビオンニウムでは裏社会を金と暴力を駆使して弱小ギャングを糾合しつつ急成長を遂げ、ティグリスやメルヒオールなどはもちろん元々アルビオンニウムにいたギャングたちが注目していた男だった。

 その実力は折り紙付きで、海賊退治に参加した三大傭兵部隊の中では最小規模であったにもかかわらず上げた戦果は最大・・・郷士に任じられた際も任地をヨルク川とウオレヴィ川の間の北地区(現アンブースティア地区)、ウオレヴィ川とヤルマリ川の中地区(現リクハルドヘイム地区)、ヤルマリ川とヨルク川の南地区(現アイゼンファウスト地区)の三つの中から戦功順で一番に選ばせてもらった。


「ここにリクハルドをつくるのよ。」


 そうして彼が選び、リクハルドヘイム(ヘイム【heim】は家の意)と名付けた中地区の地勢は決して良いとは言えなかった。

 海に近い平野部は既に海軍基地カストルム・ナヴァリアとその城下町カバナエの建設が決まっていて、その部分は郷士の領分から外されることが決まっていたし、平野部と丘陵地帯の中間部分は湧き水が豊富に湧き出ていて海抜がある程度高くて河川からも離れているにもかかわらず湿地のようになっていた。

 おかげで農作物も根腐れを起こして育たないし、地盤が柔弱だから集合住宅インスラのような高層建築物は建てられないし、なによりも蚊も発生しやすいのでそもそも居住に向いていない。

 選べと言われた三つの地区の中で一番の地区だった。

 戦功順三位だったティグリスなどは、どうせ自分がココになるんだろうなと腐ったものだった。


「おぇら、どうせ北か南が欲しいんだろぅ?」


 地区を選ぶ時、リクハルドは不敵に笑いながらティグリスとメルヒオールに訊いた。調子に乗って嫌味でも言ってやがるとでも受け取ったのだろう、ティグリスもメルヒオールも何を当然なことをと鼻で笑って答えたものだったが、リクハルドはその二人の前で中地区を選んだ。


「俺がここの郷士になってやらぁ・・・そんかしその代わりぇら、融通してもらいてぇもんがあんだけどよぉ」


 リクハルドは二人の郷士に対して手に入るだけのテラコッタの欠片を全部タダで寄越せと要求した。



 レーマではテラコッタは未だに大量に使われている。この世界ヴァーチャリアでは鉄が高価で生産量が少ないため、鉄製のたがを使う木製の樽はどうしても割高になってしまうし、銅製の箍を使った樽もあるがこちらもコストや耐久性に問題があった。

 このため未だにテラコッタ製の容器の方が普及しており、テラコッタ製で問題ない用途にはテラコッタが使われる。

 なので、割れてしまったテラコッタの破片なんかはいくらでも大量に手に入る。手に入れたくなくても、自然にゴミとして出来てしまうくらいの代物だった。



 ティグリスもメルヒオールも了承した。

 良い場所が手に入るなら、タダ同然のテラコッタの破片廃棄物くらい安いものだ。いくらだって用意してやる。

 リクハルド自身もアルビオンニウムやサウマンディウムで手に入れたテラコッタの破片をせっせとアルトリウシアへ運びこんだ。


 大量のテラコッタの欠片を集める一方で、リクハルドは湧き水が溢れ出る土地に簡単な水路を掘ると、その水路上に立坑のようにも煙突のようにも見える円筒状の塔をいくつか作りあげていた。

 しかし、テラコッタの欠片が集まってくると、その円投上の塔以外の部分は全て水路ごと大量のテラコッタの欠片で埋めてしまった。


 人々は何をしてるんだと呆れたものだ。


 人々の呆れをよそにリクハルドはその工事を続けた。

 埋め立てたテラコッタの層が半ピルム(約九十三センチ)ほどになると、その上に火山灰を平らになるように被せ、藁や歯朶シダなどを混ぜて版築はんちくの要領で突き固めた。


 やったのは地盤改良だった。


 湧き出た地下水はテラコッタの層を流れ、火山灰の層より上には上がってこない。コンクリートのように固まった火山灰は雨水を下のテラコッタの層へ通さない。テラコッタの層と火山灰の層を作る前に水路上に作っておいた円筒状の塔はそのまま井戸になった。

 リクハルドは火山灰の上に再びテラコッタの層を作り、その上に土を被せ、突き固め・・・そうして造成した土地の上にようやく街を作り始めた。


 最初に区画割を決め、排水溝と道路を敷設。その後で建物を建てていった。

 レンガやコンクリートの重たい高層建築物は不安があったが、木造の二階建て程度の家屋を作る分には何の問題も無い。


 なお、土地や建物は分譲せず、すべて貸し出している。これが安定した財源確保と治安の維持に貢献した。

 家賃が払えそうにない者は最初から街に住み着こうとすら思わない。街の周囲は湿地同然の泥濘ぬかるみだったし、常に地盤改良工事中でバラック組んで貧民が勝手に住み着く余地がない。


 町全体を柵で囲ってあるので、主要な道路に設けられた門を通らねば入れない。

 歓楽街の料金もあえて高めに設定されていたので、他所から来る客たちも最低でも軍団兵レギオナリウス以上の収入のある者に限られた。


 治安悪化の原因になりやすい貧民が進入しにくく、ほとんど定住もしないためそもそも治安が悪化しにくく、犯罪が起きても犯人が貧民街スラムに紛れ込んで行方がわからなくなるというようなことが起きなかった。

 

 建物の建築が始まったのはティグリスやメルヒオールたちからだいぶ遅れてしまったが、今になってみれば治安、利便性、衛生環境の面ではアンブースティア地区やアイゼンファウスト地区より優れた街ができあがりつつあった。

 今も地盤改良工事の範囲は拡大し続けている。

 大量のテラコッタの欠片を埋めて作った町であることから、人々はいつしかその町を《陶片テスタチェウス》と呼ぶようになった。



 その《陶片》地区に向けてマニウス街道から駆けて来る騎兵エクィテスの一団があった。マニウス要塞カストルム・マニから帰還中のハン支援軍アウクシリア・ハンゴブリン騎兵十騎である。


 出撃した時は十四騎いたはずの一団は先刻のマニウス要塞城下町での戦闘で三分の一にあたる四騎の損害を出してしまっていた。

 任務は一応達成した。しばらくの間、マニウス要塞の軍団兵ホブゴブリンどもは出てこれない筈だ。

 しかし、損害が大きすぎる。


 こんな損害を出すような任務じゃなかったはずなのに・・・。

 事実上の敗走と言っていいだろう。帰還したら族長エラクに怒られるかもしれない。


 そんなことを考え、苦悶の表情を浮かべながら疾走するドナートの前方には《陶片》地区の街並みが迫っていた。右前方約半マイル(約九百二十六メートル)ほど先にはティトゥス要塞からの別の道を通って《陶片》地区へ向けて走るゴブリン騎兵十三騎が見えている。


 あっちは無事だったようだな。


 仲間の無事は嬉しいが、同時にますます自分たちの失態が苦々しく思えてくる。

 しかし、いつまでも悔やんではいられない。ドナートは頭を切り替え前方を見据えた。


 あそこを突っ切り、街中の・・・適当な、人気ひとけの少なそうな場所に投擲爆弾グラナートゥムを投げ込んで、あとはまっすぐ帰る。

 だが、別動隊が通過した後に突破する事になる。街路で混乱が生じていれば面倒になるかもしれない。最悪の場合は、屋根の上を進むか・・・。 



 狼の跳躍力は凄まじい。普通の狼でも本気になれば一ピルム(約百八十五センチ)の高さの塀を飛び越える事が出来る。騎手にかかる着地の衝撃が大きすぎるので実戦でそんな高さをジャンプさせることはまずないが、ゴブリン兵が駆るダイアウルフはそれ以上に跳べる。何か踏み台でもあればゴブリン騎兵を乗せたままでも屋根の上に跳びあがることぐらいはわけなくできる。そして《陶片》は街のあちこちに消火用の水を溜めたデカいドリウムが置いてあるのだ。

 ドナート率いるマニウス要塞襲撃隊はティトゥス要塞襲撃隊が通過して混乱している《陶片》の街を突破しなければならなくなるから、ダイアウルフの跳躍力に頼んでいっそ屋根の上を突っ走るのは魅力的なアイディアに思えた。


 《陶片》の突破方法を考えていたドナートだったが、ふと目の前の異変に気付いた。


「なんだ!?・・・何故、門が閉まってる?」


 《陶片》地区を囲う柵のうち、街の出入り口に設けられた門は通常毎朝日の出と共に開かれ、日没後は人通りが途絶え次第締められる。一応、深夜までは門番がいて、言えば通してもらえることになっている。

 今の時間はもう開放されていなければおかしい。


 どうする?柵を飛び越えるか?いや、飛び越えられるか?それとも迂回するか?


 考えている間にも《陶片》までの距離はどんどんせばまっていく。

 ドナートはダイアウルフの速度を下げた。



 ドナートは二十代半ば・・・ヒトよりも平均寿命の短いゴブリンとしてはもうすぐ中年で、もしも平和な世界ならばまさに働き盛りといった年頃だが、アルビオンニアに派遣されて以来わずか数年で兵力を十分の一以下にまで討ち減らしてしまったハン支援軍アウクシリア・ハンの中では最古参兵に属する戦歴を持っている。

 別にそれだけ多く戦ったというわけではない。彼と同年代、あるいは古参の兵たちはわずか数度の戦いでほとんど皆死んでしまい、彼だけが生き残った・・・それが彼が若くして最古参になってしまった理由だ。

 生き残れたのは彼自身の勘の良さゆえだろう。小さな違和感から危機を察し、死を逃れ、生存への道を見つけだす勘に彼は長けていた。彼自身は幸運だっただけだと思っていたが・・・。



「どうした、ドナート!?」

「・・・何か、様子がおかしい・・・」


 背後のゴブリン兵からの問いに答えたその時、視界の右端に映っていた《陶片》を囲う柵から無数の白煙が一斉に噴き出した。

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