第54話 ヤルマリ川の消耗戦
統一歴九十九年四月十日、午前 - ヤルマリ橋/アルトリウシア
メルヒオールとその手下たちは最初の反撃を開始してから半時間もかからない内にアイゼンファウスト地区から
もっとも、ゴブリン兵は貧民街に火災と混乱を巻き起こす事だけが目的だったのだから、仮にメルヒオールが反撃しなくても勝手に撤収しただろう。メルヒオールたちの反撃を食らったのはタイミングを逸して撤収し損ねていた者たちが食らいつかれてしまっただけのことでしかない。
逃げる予定だった者たちの尻を追い立てているにすぎないのだから、メルヒオールたちの快進撃も当然と言えば当然のことだった。
しかし、その快進撃もハン支援軍の撤収計画にあった範囲までだった。
アルトリウシア湾へ注ぐ四本の川のうちリクハルドヘイム地区とアイゼンファウスト地区を隔てるヤルマリ川は川幅十四
ハン支援軍はヤルマリ川を反撃を食い止める天然の防壁として利用すべく、北岸にバリケードを築いて銃兵を配置し、反攻をもくろむメルヒオールの手勢を阻んでいた。
南岸のアイゼンファウスト地区は既にあらゆるものが焼け落ちて一面焼け野原と化していたが、北岸のリクハルドヘイム地区は放火されなかったので多くの器物が残っている。ゴブリン兵たちは木箱、戸板、
あれから手下たちと合流を果たして頭数は八十人を数えるほどになっていたにもかかわらず、メルヒオールが半数に満たないゴブリン兵たちとの川を挟んでの銃撃戦で優位に立つこともできずに攻めあぐねているのはそのためである。
ヤルマリ川にかかっている橋は最も河口に近いこのヤルマリ橋以外周囲にはなく、迂回しようと思ったらマニウス街道まで三マイル(約五キロ半)ほども
別動隊を組んで迂回させるには遠すぎるし、別動隊を組織できるほど兵力に余裕はない。何といっても、守るべき街はまだ燃えているのだ。
手下たちの大部分を住民の避難誘導と消火活動に投入せざるを得ない中で、反撃にこれ以上の人員を投入することなど出来るわけも無かった。
かといってこの場を放棄して現在戦闘中の手下たちを丸ごと迂回させることも、火災対応に全力投入する事もできない。
そんなことをすればゴブリン兵が再び攻めて来るかも知れなかったし、何より先ほどから対岸のゴブリン兵に怪しい動きもみられていた。
「
左手にいた手下が報告した通り、ゴブリン兵たちがまた一つ大きな樽を転がしてきていた。ゴブリン兵たちは先ほどから樽を転がしてきては川岸へ降ろし、橋脚の根元へ運ぼうとしていた。既に二つの樽が橋脚の根元に置かれている。
その樽に何が入っているかなど調べるまでもなく、火薬である。
鉄が貴重な
その事実が、メルヒオールたちをこの場に釘づけにしていた。
橋を爆破されたら港までの交通が遮断されてしまい、地区の復興にも経済活動にも大きな支障になってしまう。何としても阻止せねばならなかった。
「また来たぞ!次撃つ時はまた樽を運んでる奴らを狙え!!」
メルヒオールは弾を込めている手下たちに大声で命じる。手下たちも今回の戦でだいぶ弾を込めるのが早くなってきていた。
状況を知った避難民たちが焼け跡からかき集めてきてくれた木箱やテーブルなどで作ったバリケードに身を隠しながら手を休めることなく「おう」と応え、次々と装填作業を完了する。
バリケードは住民たちのおかげで徐々に拡充してきており、それに伴い銃撃戦の状況は好転しつつあったが、
手下たちがあらかた装填作業を終えたのを見たメルヒオールはバリケードから顔を出して敵情を視察する。
発砲するたびに大量の白煙が発生する以上、バラバラに撃っていたのではせっかく装填したのに煙で視界を塞がれて敵を狙えない者が出てくるため、面倒に思えても指揮官統制のもとで全員が一斉に発砲しなければ火力を効果的に発揮できない。
火薬樽搬入阻止のためには射撃はタイミングを見計らって効率よく行う必要があった。
火薬樽を転がすゴブリンはちょうどバリケードを抜けて河川敷への降り口へ差し掛かったところだった。
「
全員が一斉にバリケードから飛び出して銃を構える。それに合わせて対岸でも「構え―」の号令が発せられ、バリケードのあちこちから銃身が突き出された。
樽を転がしていたゴブリンは一旦戻ろうとするが、そんなことをメルヒオールが許すわけも無かった。
「
火薬樽が目に入っていた者は火薬樽と火薬樽を転がすゴブリンを、それ以外の者は対岸のバリケードに隠れている敵兵を狙い、号令一下一斉に引き金を引いた。
パパパパパパッ!!
南北両岸から一斉に銃声が鳴り響き、川岸を白煙が覆う。
メルヒオールの手下は先ほどの銃撃で三人が被弾し倒れた。対岸側はバリケードに隠れながら撃ってくるので何人に命中したのかはわからないが、火薬樽の周辺には三十発以上が着弾し、火薬樽を転がしていたゴブリン兵三人は全員が
支える者のいなくなった火薬樽はそのままスロープを河川敷に向かって転がっていき、その勢いのまま川へ飛び込んだ。
川に飛び込んだ火薬樽はそのまま水面上にわずかに姿を見せたり沈んだりを繰り返しながら川下へと流されていった。
「
号令と共に手下たちは再びバリケードの背後に隠れ、再装填作業を始める。
倒れた手下は隠れていた住民たちの手で後方へ引きずられていき、生きていれば手当てを受け、死んでいれば安全な物陰に安置された。
引っ込められた手下たちの武器と弾薬は有志の住民が取り上げるとそのままバリケード裏に持って来た。多くの場合、その有志住民はそのまま倒れた手下の代わりに戦列に加わることになる。
弾の込め方、狙い方、撃ち方などは軍歴がある者なら大丈夫だが、素人たちはほぼ見よう見真似だ。誰も親切丁寧に教えてやるような暇など持っていない。
このため、前線に立つ兵士の頭数は全く減っていないが、タダでさえ低い練度は時間の経過と共に更に低下してきている。この練度の低下は一度の射撃命令で発砲される銃の数に、そして命中率に、確実に影響を及ぼしていた。
搬入阻止に成功した火薬樽はこれで三つ目だ。河川敷には先ほどのも含め火薬樽搬入作業に就いていたゴブリン兵の死体が八つ転がっていた。
北岸のバリケードの向こう側の様子はわからないが、ゴブリン兵の数だって無限じゃない。火薬樽搬入作業に当たっていた兵士の損耗率はかなり高い筈で、ただでさえ兵数を大きく減らして総兵力で一個
両陣営は気づかない内に消耗戦へ突入していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます