第55話 《酉ノ門》閉塞
統一歴九十九年四月十日、午前 - 《酉ノ門》・《陶片》地区/アルトリウシア
《
東北東、
真東、マニウス街道までの最短ルートであり子爵公子妃のために造営中の屋敷前に続く道路に設置された《
南東、
そして西方面、
その四つのうちのいずれかを通らなければ《陶片》の街には出入りする事が出来ない。そしてそれらの門は基本的にすべて日の出から開放され、日没後は人通りが途絶え次第閉められる。
深夜までは柵の内側にある門近くの小屋に門番が詰めており、言えばその都度開けて通してもらえるが、深夜を過ぎれば翌朝まで
四つの門が設置された道路はいずれも
それらの
基本的に通過する荷馬車以外の馬車の乗り入れは禁じられており、侯爵家や子爵家といった
このため日常的に乗り入れる馬車はほぼ皆無であり、門を通行するのは基本的に人間だけである。
そしてその交通量もかなり西に偏っていて、東側の門を通る者は三つ門を合わせても西の《酉ノ門》の交通量に及ばない。《卯ノ門》に至っては通る者はほとんどおらず、一日中数えてみたとしてもせいぜい片手で数えられるほどだろう。
そこまで交通量が西に偏るのは、やはり食料や輸入品類の大部分が港から供給されるからだ。
別に海軍基地が貿易港の役割を果たしているわけではないが、海軍基地前を南北に縦断する軍用街道を通って川二本越えれば『アルトリウシアの台所』と
だから、《陶片》の西口 《酉ノ門》はいつも人と荷物が多く通り、日のあるうちに静寂が訪れることは無い。
しかし今、《酉ノ門》は普段の賑わいとは次元の違う人混みでごった返していた。ブッカを中心とした海軍基地
「おぅおぅ、どうなってんだこりゃあ!?
これじゃあ出れねぇじゃねぇか。」
手勢を連れて海軍基地城下町方面へ出ようとしていたリクハルドは予想してたより早く殺到した避難民のせいで通れなくなった《酉ノ門》の状態を目の当たりにして頭を抱えていた。
幅三ピルム(約五メートル半)ほどの道路は人で溢れ返り、《酉ノ門》は《陶片》の中へ逃げ込もうとする人々が詰まって身動きできない状態だ。柵も門柱も先ほどからミシミシと音を立てんばかりに圧迫されており、とてもじゃないが中から手勢で押し出すことなどできそうもない。
声を大にして落ち着かせようにも、悲鳴と怒号の鳴りやまぬ群衆相手では声の届く範囲などたかが知れている。そして声の届く範囲の群衆は、声の届かないところにいる群衆たちからギュウギュウと押され続けており、仮に声張り上げて近場の群衆をいくら落ち着かせることができたところでこの惨状は解決しようがなかった。
「
「馬鹿言え!混乱が増して余計にひでぇことになっちまうぞ」
群衆が暴徒と化して暴れまわっているような状況なら、何発か銃声を聞かせてやれば我に返って一瞬なりとも落ち着かせることくらいできるだろう。そして群衆は生き残るために逃げ散るなどするだろう。
だが、今目の前にいる連中は違う。
生き残るため、銃声から逃れるために必死になってる群衆だ。
そんな連中に銃声を聞かせれば状況に拍車をかけるだけだ。元々生き残るために周囲が見えなくなってる連中に銃声を聞かせれば、生き残るための行動・・・すなわち今やってることにより一層傾倒することになる。
状況を悪くすることはあっても改善させることなどあり得ない。
リクハルドは馬鹿な提案をしてきた手下の頭に拳骨を食らわせた。
「痛っ!・・・すいやせん」
「くそ、こんなはずじゃなかったんだがなぁ」
避難民を誘導しつつ、たまに門で引っかかって入れなくなる避難民が出ればそいつを内側に引っ張り込む作業を続ける門番たちを、邪魔にならない所から眺めながらリクハルドは自嘲気味に溜め息を漏らした。
リクハルドはもちろん事前に
ハン族のゴブリン兵達はティグリスの治めるアンブースティアに入り浸っていたが、ハン族の王族やハン支援軍の指揮官以上のゴブリンたちは《陶片》に入り浸っていたのだ・・・というより、入り浸らせていた。
酒を奢り、御馳走を食べさせ、女をあてがい、愚痴を聞いてやった。
ハン族のゴブリン将校やホブゴブリン(王族はホブ化している)たちは完全にリクハルドに気を許していた。チョロい連中だった。
ハン族およびハン支援軍の内情は全て筒抜けだった。だから今回の蜂起のことは全部知っていた。
一人の人物からは肝心な部分はあえて聞こうとしなかった。全てを聞けば、リクハルドは共犯になってしまうからだ。
他のゴブリンから聞いた断片を繋ぎ合わせればすべてが分かるように、ちょっとずつ聞き、すべてを打ち明けようとするゴブリンには同情する振りをして「わかってる、皆まで言うな」とあえて黙らせた。
彼らは誰一人としてすべてを話してはいない。だが、彼ら全員は全てを話してしまっていた。彼らはリクハルドを理解者だと思い込み、話を聞いてくれたことに感謝さえした。
・・・冗談じゃねえや。
リクハルドはハン族が大嫌いだった。腹の底から軽蔑していた。利用できるから利用していただけだった。
奴らは問題ばかりを起こす。それも自らの幼稚さゆえの問題ばかりだった。
そうした問題を「まぁまぁ」と調停することでリクハルドは方々に貸しを作り、アルトリウシアでの有形無形の利益に繋げていった。時に、彼らを誘導して問題を起こさせ、それを利用する事すらあった。
まあ、収支は黒字だったと言って良いだろう。
ただ、そろそろそれも限界に来ていたのも確かだ。
別に採算が悪くなっていたという訳ではない。ただ、ティグリスやメルヒオールといった他の
それに、マッチポンプというのはあんまり繰り返すと効き目が悪くなってくるものだ。リクハルド自身、ハン族というマッチに飽きて来てもいた。
だから処分することにした。
やつら自身がアルトリウシアから出ていきたいというのだから、利害は一致している。最後だからチョイと派手にしてやるだけだ。
ついでにそれを手柄に出来れば一石二鳥ってもんだ。
リクハルドは思い切って手勢五百人を用意した(ちなみに、半数以上が戦闘経験のない素人でその内四割の約百二十人は女だった)。
《陶片》の各門の守備に四十ずつ、予備として四十、そして海軍基地城下町から逃げてきた避難民の世話役に百。残りの二百をリクハルドが率いて海軍基地を攻めてハン族を殲滅する・・・つもりだった。
ハン族はアンブースティア、アイゼンファウスト、ティトゥス要塞城下町、マニウス要塞城下町へ大規模な陽動部隊を出し、別動隊で海軍基地城下町のブッカたちの女子供を人質兼労働力兼兵士の嫁として
どうせ攻撃するなら陽動部隊が出払って海軍基地が一番手薄になったタイミングを狙うのが良い。
そこで陽動部隊が出撃した直後に突撃し、まず別動隊を
リクハルド本隊は《陶片》で待機しつつ基地の前に見張りを二人置き、陽動部隊が出撃したら《陶片》へ合図を送るようにした。
ところがその見張りからの合図が来なかった。
とっくに予定の時間を過ぎ、あたりが明るくなってもゴブリン兵は海軍基地から出撃しなかった。リクハルドは心配になって《陶片》から見張りの二人に伝令を出したほどだ。
伝令に催促された見張りが基地の様子を覗いたらゴブリンたちは汗みずくになって船に荷物を積み込んでる真っ最中だった。陽動部隊に加わるはずのダイアウルフたちはまだ出撃準備さえしていない。
偵察結果を伝令を介して報告した見張りの二人は基地前の
見張りの二人がのんびり朝食を平らげてもなお、海軍基地から陽動部隊が出撃する気配はなかった。
見張りの二人は便所に行った。そして仲良く二人そろって大きい方を捻り出してる間に、陽動部隊が出撃してしまった。
表が何やらうるさい事に気付いた二人が慌てて便所から出てきた時には、陽動部隊の後から出撃した別動の人狩り部隊が既に海軍基地城下町を襲い始めていた。
二人が食事をとった店、そして便所を借りた店は海軍基地の真ん前にあり、水兵たちが朝食で良く利用する店だった。人狩り部隊は先ず水兵たちが組織的に抵抗しないよう、水兵たちの集まっている場所を真っ先に襲った。
そして人狩り部隊のゴブリン兵が店に放り込んだ
リクハルドが手勢を引き連れて颯爽と《陶片》から出撃する前に、その出撃口となるべき《酉ノ門》に避難民が殺到してしまったのはそういう理由だった。
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