第1174話 魔力欠乏の罠

統一歴九十九年五月十日、晩 ‐ グナエウス峠/アルビオンニウム



「オ、オブゥエエエエエエエエッ……」


 ビチャビチャという水音とともにえた臭いが周囲に広がる。ひんやりと冷たい、森林特有の清浄な空気ももはや台無しである。


 な、なんだコレ……

 頭が……痛い……ガンガンする……


 グラグラと世界が回るような酩酊感めいていかん、そして全身に走るゾクゾクするような悪寒……ペイトウィン・ホエールキングは久しぶりに体験する急性魔力欠乏の症状に見舞われていた。


 クソ、だからグルグリウスあいつ、俺を一人で残していったんだ……


 森の中に一人残された理由を、身をもって体験することでようやく理解したペイトウィンが力の入らない顎で歯噛みする。


 十分ほど前になるだろうか、ペイトウィンを護送中だったグルグリウスはペイトウィンを残して飛び去った。理由の一つはペイトウィンを届ける先であるグナエウス砦の下見、もう一つはペイトウィンの食事の調達だった。


「ここでしばらくお待ちいただきます。」


 ほぼ丸一日、山の中を結構な速度で走り続けたグルグリウスは、陽が落ち暗くなった森の中で突然立ち止まると、息を切らすような様子も見せずにそう言った。


「何だ、俺をルクレティアスパルタカシアの許へ連れて行くんじゃなかったのか?」


 馬型の《藤人形ウィッカーマン》の胴体に閉じ込められたペイトウィンがねたように言ったものだ。今朝、目覚めてから一度はやり込められたペイトウィンだったが、その後もいくつかグルグリウスと会話を重ねるうちに、結局グルグリウスはペイトウィンのことを殺すことはもちろん、傷つけることも無いだろうと確信を得、以前の横柄な態度を取り戻していた。


「もちろんそのつもりですとも。

 ただ、この先は皆様方『勇者団』ブレーブスのことなど知らない無関係な人々の目についてしまう可能性があります。

 人目を避けるため、下見をしておく必要があるのですよ。

 あと、貴方様をどう引き渡すかの打ち合わせもありますね。」


「フンッ、段取りの悪い奴だ。」


 ペイトウィンの嫌味などグルグリウスは最早イチイチ気にしたりしない。それに構うことがどれだけ無駄なのか知っていたし、ペイトウィンには嫌味を言うぐらいしか今は何もできないことも知っていたからだ。


「元よりこういう段取りだったのですよ。

 下手に細かく詰めてしまえば、予定は柔軟性を失って予想外の事態に対応できなくなります。」


「物は言いようだな。

 細かく詰めることができなかっただけなんじゃないのか?」


 箱入りおぼっちゃまは懲りるということを知らない。相手が言い返せないと見ると、そこを徹底的に突こうとする。ペイトウィンの悪い癖である。

 他人の失敗や欠点を責めるのは簡単だ。それが失敗しているという結論は出ているのだから言う方が間違いを犯してしまう可能性は限りなく低い。それでいて相手は言われなくても分かっていることなのだし反論もしにくい。故に、愚か者であっても他人の失敗を責めたてることは難しくないのだ。むしろ難しいのは責めすぎないことだろう。

 何かを失敗する時、実は当事者にしかわからない事情ゆえに致し方なく失敗してしまうことは多々ある。そしてそれを理解し、踏まえたうえでなければ真に正しい教訓も解決策も導き出せない。だが愚か者にはそれが分からない。失敗の原因を探り、責任者を追求する……その真の目的は教訓を導き出して二度と同じ過ちを繰り返さないように対策をたてることだ。ところが、愚か者はその目的を忘れ、責任者を責めて屈服させることを目指してしまう。責任者に責任を認めさせ、謝罪させ、反省させることに「勝利」を求めてしまうのだ。が、それが何の意味も無い、ただの自己満足にしかならないことは、実際に責任ある立場にたって責任を自覚し、なおかつその責任を全うしたことのある者でなければ理解できない。

 ペイトウィンにはそうした経験は無かった。何故か……高貴な身分ゆえに、周囲が彼を守り続けていたからである。万が一、何かの不祥事があってペイトウィンが責任を追及されることになり、地位を失陥したり社会的に抹殺されてしまうようなことになってはならない。彼は危険な聖遺物アイテムをいくつも相続しており、その全貌はムセイオンでも把握しきれていなかったからだ。もしも彼が聖貴族として失脚し、ムセイオンが把握していない魔導具マジック・アイテムを闇市場に放出するようなことになっては大変な混乱が起きてしまう。ゆえに、ペイトウィンは実質的な責任者という立場になったことは無かった。責任の無い名誉職に就くことはあっても、何か重大な責任を求められるような立場に立たされたことは無かったし、万々が一何か不祥事があれば、それが明るみになる前に他の誰かが身代わりで責任をとれるような采配が誰かによって為され、ペイトウィンは責任追及を受ける状況からは常に守られ続けてきたのである。

 結果、ペイトウィンはこのように他人の欠点や失敗の責任をあげつらい、追及することに何の疑問も抱かなくなってしまっていた。それどころか他人の欠点や失敗の原因を見抜き、それを指摘する自分の洞察力は優れているという勘違いさえしていた。正しさ……それを味方につけ、常に正しい立場から正しく物を言える自分の在り様を、自分の優秀性の現れだとさえ思っていたのである。

 当然、他人の失敗や欠点をあげつらうことに疑問など抱くはずもない。遠慮もしない。それを指摘するのは正しいことであり、それによって己の正しさを証明し、間違いを犯す人間よりも優位に立つことは正しい行いだと信じてさえいた。


 が、昨夜生まれたばかりにも関わらず数えきれないほどの生死含む経験を集合知によって先天的に獲得していたグルグリウスに、そうしたペイトウィンの態度は滑稽こっけいにしか思えない。いや、笑う価値すら無い。ペイトウィンの吐く戯言などどこ吹く風といった具合で軽く受け流して見せる。


「そもそも、そこまで細かく詰めてではありませんでしたからね。」


「な、何だと!?」


 ペイトウィンは耳を疑い、目をいた。


「俺を運ぶのが重要な仕事じゃないって言うのか!?」


 自分大好きで常にチヤホヤされて育った貴族は、このように粗略に扱われることに慣れていない。貴族の子弟は自分は常に大切に扱われて当然だと思い込んでいる。逆を言えば、粗略に扱われているということは貴族として扱われていないということ……すなわち、名誉をけがされていることであった。ありていに言えば、喧嘩を売られているのと同じなのである。

 それを分かっていてあえて挑発したグルグリウスは、いとも簡単に乗ってきたペイトウィンに呆れを隠さない。


「そうは言ってませんがね。」


「言ったじゃないか! 言ったぞ!?

 慎重にならなきゃいけない仕事じゃないって、確かに言った!!」


 自信を閉じ込める檻と化している《藤人形》のアバラにしがみつき、その隙間に顔を埋め込むようにしてペイトウィンはグルグリウスに詰め寄ろうとする。グルグリウスはペイトウィンの飛ばした唾がかかったのを払うような素振そぶりを見せつつ、いやそうに顔をしかめながら冷笑を浮かべて見せた。


「失敗する可能性のない、という意味ですよ。

 ペイトウィン・ホエールキング二世様?」


 ペイトウィンはグルグリウスを睨みながらギリギリと歯噛みする。ペイトウィンを捕えて引き立てるのは簡単だ……そう言っているようなものだったからだ。だがペイトウィンには何も言い返せない。ペイトウィンは実際に負けたからこうして捕まっているのだし、グルグリウスとの実力差は歴然……ペイトウィンにとっては耐え難い屈辱であっても、グルグリウスからすれば当然の結果でしかないからだ。


「ケッ!」


 ペイトウィンはそう短く吐き捨てると檻の中へ引っ込んだ。言い負かしたことを確認したグルグリウスが「では、吾輩わがはいが戻るまでお待ちください。」と言って立ち去ろうとすると、ペイトウィンが「オイ」と呼び止める。


「まだ、何か?」


「何かじゃない。

 腹が減ったぞ!

 俺は今日、まだ何も食べてない。

 俺を腹ペコのままルクレティアスパルタカシアのところへ連れて行く気か!?」


 聖貴族様の図々しさにはグルグリウスも目を丸くするほかない。


「俺は聖貴族だぞ!?

 ハーフエルフなんだ。

 その俺に食事も与えず粗略に扱った……そんなことになればレーマ貴族の面子はがた落ちだろうな。」


 貴族なら戦場で捕虜になっても、下手な抵抗さえしなければ礼節を持って遇しなければならない。貴族とはそういう存在なのだ。まして聖貴族となれば、そんな並みの貴族よりもずっと尊重しなければならない相手なのである。その聖貴族の中でも最上位に君臨するハーフエルフが、ペイトウィンが言うように食事すら与えられずに檻に入れられたまま運ばれたとなれば、それを命じた者の貴族としての評判は地に落ちるだろう。

 だが、グルグリウスにこの仕事を依頼したのはカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子であるが、その依頼を受けるように命じたのは《地の精霊アース・エレメンタル》であって人間の貴族ではない。レーマ貴族の評判など、正直言ってグルグリウスにとってはどうでもいい問題だ。が、彼の主人たる《地の精霊》はルクレティアに加護を与える《精霊の王プライマリー・エレメンタル》であるのだから、まかり間違ってルクレティアに何らかのダメージがいくとすれば、それは《地の精霊》の望むところではないだろう。

 グルグリウスは檻の中で不貞腐ふてくされている少年を見ながらしばし考え、そして答えた。


「いいでしょう。何か食べ物を持ってきます。

 ただ、状況が状況ですから、あまり期待はしないでいただきたいですな。」


「おい、まさか家畜の餌なんか持ってくるんじゃないだろうな!?

 俺は聖貴族だぞ!!

 貴族の口に相応しい物を用意しろ!」


「そのようなものはレーマ貴族に任せましょう。

 吾輩は貴族じゃありませんし、間食ぐらいしか用意するつもりはありません。」


 グルグリウスはそう言うと背中から羽根を生やして夜空へと舞い上がっていった。


「お、おい待て!!」


 ペイトウィンがそう呼び止めようとした時には既に、グルグリウスの姿は頭上を覆う樹々の枝葉の向こう側へと消えてしまっていた。


「チッ……」


 舌打ちしたのも束の間、ペイトウィンは顔をにやつかせた。


「ヘッ、何が簡単なお仕事だ。

 俺を一人で残して大人しくしてると思ったのか?

 見張りのグルグリウスお前がいなくなったのに、大人しくしてやるわけがないだろ。

 こんな木偶でく人形、俺の魔法をもってすれば簡単なんだよ。」


 で、脱出を企てたペイトウィンは《藤人形》の中で魔法を使おうとし、その結果今に至っている。

 《藤人形》は元々生贄いけにえを捕え、魔力を絞り出して奪うためのゴーレムだ。その檻の中は捕えた獲物から常に魔力を吸い出そうとし続けているため、魔力の密度がマイナスになっている。魔力を空気に例えるなら、真空になっているようなものだ。そんな場所で魔法を使おうと魔力を放出したりしたら……術者は自分が魔法行使のために放出しようとした以上の魔力を一気に吸い出されてしまうのである。一昨日の夜、スワッグがブルクトアドルフの森でやらかしたのと同じ失敗を、ペイトウィンもまたやらかしてしまったわけだ。ただ、さすがにハーフエルフだけあって魔力を搾り取られた後でも、スワッグの時とは比較にならない程度の魔力は残していたが、それでも保有魔力の半分ちかくを一気に吸い取られたショックは軽くは無かった。


 ク、クソッ……ううぅ、苦しい……


 ペイトウィンの苦しみはグルグリウスが舞い戻り、ペイトウィンの症状を確認して応急処置のために一時的に《藤人形》から解放してやるまで続いたのだった。

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