第647話 惨劇の夜

統一歴九十九年五月七日、深夜 - グナエウス峠山中/アルトリウシア



 コッ……ガッ……バキッ!!


 聞いたことのない音でパッと目が覚めた。が、辺りは暗く、真っ暗である。一昨日は満月であったはずだが、空はいつの間にか厚い雲に覆われ、星どころか月明かりさえ差し込まない。唯一の光源は、火の番をしている誰かが灯りと暖をとるために焚きっぱなしにしている焚火の光のみ。だがそれもどうやら消えそうになっているらしい。天幕の一部と背景がわずかにだいだい色に照らされてはいるが、灯りとしてはかなり心細い光量しかない。まるで誰かが遠くで掲げている松明たいまつのような頼りない明るさ。


 ブフーーーーッ!ハッ!ハッ!ハフッ!フゥーーーッ!フゥーーーーッ!


 風が吹いているわけでもないが、何やら荒い呼吸音の様なものが聞こえる。そして時折、ピチャピチャという何か水っぽい音も……


 雨でも降ったのか?


 そう言えば顔が冷たく濡れているようだ。いや、何もかもが濡れている。やはり雨が降ったのだろう。手で顔を拭うと顔も冷たく濡れていたし、被っていた毛布も外側が濡れていた。


 ロホスが言ったとおり、無理して天幕を張って正解だったな。

 それにしても、この暗さは何だ?

 何で焚火を保っておかない?

 こんなに暗いんじゃあ、炭焼きの方の火加減も見れねぇじゃねえか……


 炭焼き職人は薪を山のように積み上げ、上から土を被せて巨大な塚を築き、その状態で薪に火を点けて蒸し焼きにして炭を作る。その間中、炭焼き職人は塚から立ち昇る煙の量や色を見て、塚の麓付近に空気穴を開けたり、逆に閉じたりしながら火の調整をしなければならないのだ。そのためには煙が見えてなきゃいけない。だから夜の間はずっと焚火を絶やさず、塚から立ち昇る煙を照らさねばならないのだ。そして、たまに松明を持って塚の周りを一周し、煙の出方を確認する。


 なのに今、その焚火が消えかかっている。多分、雨で火が弱まったのだ。起きて煙を見てなきゃいけない筈の当番者が、居眠りでもしてしまったに違いない。


 ブフーーーゥ!ブフッ!ブフッ!ハフッ!フッ!……コッ!……カッ!


 さっきから何なんだこの音は?


 アーヴァルはむっくりと目をこすりつつ身体を起こした。

 被っていた毛布を除けて身体を起こすと、さっきまでは天幕ぐらいしか見えてなかったのが、視界を遮っていた物が亡くなったおかげで地面近くまで見えるようになった。


「おい!火ぃ消えかかってんぞ!?

 火ぃほったらかして何やってんだ!?」


 ほとんど何も見えないほどのこの明るさでも、慣れてくると次第に何かが動いているのが見えて来る。そこには何か巨大な毛むくじゃらの獣のようなものがおり、何かに群がって蠢いている。そしてそれはアーヴァルの声に反応し、一斉に顔をあげてアーヴァルの方を見た。暗闇の中で八つの目がアーヴァルに向けられる。


「!?」


 アーヴァルは一瞬、固まってしまった。


 何だ……コイツ等!?


 オオカミ!?


 オオカミにしちゃ……デカすぎねぇか!?


 てかウッツ!!


 ウッツの奴ぁ何してやがったんだ!?

 こんな奴ら近寄らせちゃダメだろ!

 そのための焚火でもあんだぞ!?

 なんでコイツ等が来てるのにウッツの奴……ウッツ……


 アーヴァルの混乱する頭の中でとめどなく駆けめぐっていた思考が急速に納まっていく。今、火の当番をしているはずの見習い炭焼き職人の姿を探し続けていた彼の目が、ちょうど獣たちが群がっていたものに留まったからだ。そこには、おそらくついさっきまでが転がっていた。白い息をフーフーと吐く獣たちの口元からは、赤い雫が垂れ落ちている。


 ウッツ……ウッツ!?


 それがかつての同僚の変わり果てた姿であることに気付いたアーヴァルの頭の中で思考が止まり、代わりにどこからともなく何かが急激に湧きあがって来る。だが、いつの間にか金縛りにあったように硬直していた身体は動きもしないし、声を出そうにも声が出ない。


「はぁっ?……ぁ……ぁ……ぁ…………ぁぁぁぁあああああああっ!!?」


 声を出そう、声を出そうと一生懸命繰り返し、何度目かでやっと声が出た。そして、声が出るのと同時に金縛りが解け、アーヴァルの身体は二歩、三歩と後ろへよろけてドッと尻もちをついてしまった。


「んんん~……なんだアーヴァル、何かあったかぁ?」


 物音に気付いたロホスが目をこすりながら身体を起こした。


 ロホス!?

 そうか、他!

 俺以外誰か生きてんのか!?


 アーヴァルは尻もちをついたまま、目覚めたばかりのロホスに向かって叫ぶ。


「ロ、ロホース!!

 起きろ!みんな起きろ!!

 オオカミだ!ウッツが食われちまったぁ!!

 コッスス!!コッスス起きろぉ!!」


 必死の叫び声に寝ぼけ眼だったロホスはハッと一瞬で覚醒して飛び起き、もう一人の若手職人コッススも起きた。ただ、こっちはまだ寝ぼけたような様子で、やたらとモタモタした動きだったが……

 しかし、アーヴァルの声に反応したのは炭焼き職人たちだけではない。彼らが寝ている間に、唯一火の番のために起きていた同僚を食ってしまった獣たちもまた、反応しはじめていた。食べている途中のウッツの遺体から離れ、牙を剥き、唸り声をあげながら左右に広がっていく。


 獣たちの敵意がこちらに向いたことに気付いたアーヴァルは立ち上がろうとするが、腰が抜けてしまったらしく、地面から浮かせはしたものの立ち上がることができず、そのまま再び尻もちを繰り返す。


「ヒッ!?くっ、来るな……来るなぁ!!」


 アーヴァルは枕元に置いていた杖を手に取り、獣に向かって突き出した。杖にくくりつけられた熊除けの小さい金がガラガラと派手な音を立てる。

 そこへやはり同じような鐘付きの杖を手にしたロルフが駆け付けた。


「アーヴァル!無事か!?

 立てるか!?」


「ああ、無事だ……だけどウッツが……ウッツが奴らに食われちまった……」


 駆け付けたロルフは獣の方を警戒しながらアーヴァルに手を貸し、立ち上がらせる。アーヴァルはロルフに助けられながらも、何とか立ち上がることが出来た。だが、情けないことに膝が笑い、脚に力が全然入らない。


「ひっ!?

 な、何すかこれ!?

 親方ドミヌス親方ドミヌスーっ!!」


 そうしている間にも、彼らから離れたところでもう一人の職人、コッススの悲鳴が聞こえる。見れば獣の内の一頭がコッススに襲い掛かろうとしてた。しかし、ロルフたちも助けに行けない。何故ならロルフたちの前には獣三頭が立ち塞がっていたからだ。しかも、そのうち一頭は他のやつより明らかに図体が一回りデカい。


「動くなコッスス!

 杖持って身構えて、そいつの目ん玉よく見てろ!

 多分、オオカミだ!

 オオカミなら睨み合ってる間ぁ襲ってこねぇ!!」


 コッススにそう助言すると、ロルフは改めて周囲を見回した。


 どうやら獣は四頭だけだ。

 こっちで生きているのは自分とアーヴァル、それとコッススの三人……

 アーヴァルはウッツは食われたって言ってた。つまり三対四だ。

 不利な状況だが、相手が四頭っきりならまだ何とかなる。

 まず三人、集まるんだ。

 そうだ、三人集まれば、集まって力を合わせれば隙が無くなる。

 コイツ等だって襲いにくくなるはずだ。


 必死で考えを纏めるロルフに、隣からアーヴァルが情けない声をあげる。


「オ、オオカミか?

 なぁ、オオカミにしちゃ、デカすぎねぇかロルフ?」

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