第646話 炭焼き職人

統一歴九十九年五月七日、夜 - グナエウス峠山中/アルトリウシア



 辺鄙へんぴな山林の中にポッカリと開いた空き地は七~十ピルム(約十三~十八メートル半)ほどの広さがあった。何故、人っ子一人も住んでいない山の中にこんな場所があるかと言うと、もちろん人力で切り開いたからである。何のために?……炭を焼くためだ。


 山林の中から薪となる木材をかき集め、山のように積み上げる。これに上から土を被せて、わずかに空けた空気穴から火を点け、被せた土の下で数日かけてゆっくりと蒸し焼きにしていく。無蓋製炭法むがいせいたんほうの一つで、別名として「伏炭法ふくたんほう」とか「伏焼法ふくしょうほう」などとも呼ばれる炭焼き法だ。

 炭焼き窯で焼くのと違って比較的品質の低い木炭しか作れないが、安く効率的に作ることができる。何せ炭焼き窯が要らない。しかも重たい薪を炭焼き窯まで輸送する手間が無く、木材の供給源である山林でそのまま製炭せいたんし、薪のままの状態に比べればはるかに軽くなった木炭を市場に運べばよいのだから、最も手間がかからないのである。

 もちろん問題が無いわけではない。まず第一に既に書いたことだが品質の悪い木炭しか作れない。和炭にこずみと言って火力が弱く、炎が立つ木炭しか作れないのだ。そして、屋外なので天候の影響を受けやすい。雨の少ないライムント地方なら面倒が無いが、雨の多いアルトリウシアでは途中で雨に降られることも珍しくなく、場合によっては薪に被せた土の上に、更に雨除けのためにシートを被せねばならないこともザラである。


 とまれ、この世界ヴァーチャリアで燃料として消費される木炭の多くがこのような方法で焼かれており、ここグナエウス峠の山中でも同じことが行われていた。

 アルビオンニア属州の西山地ヴェストリヒバーグ、そのアルトリウシア側での炭焼きは毎年春から秋にかけて行われ、本来ならば四月いっぱいで作業を終了する。五月に入ればいつ雪が降り始めるかわからず、おまけに豪雪地帯であるアルトリウシアの山岳部では一度振り始めると一晩で三ぺス(約九十センチ)ほども積もることもあるため、一度の作業で十日以上はかかる炭焼きを五月に入ってからやったのでは、急な積雪によって遭難する危険性が高いからである。

 だが今年は例年とはちょっと事情が違う。西山地ヴェストリヒバーグのアルトリウシア側でも、今年は五月に入ってからも炭焼き職人たちは仕事をあえて続けていた。理由は木炭の価格高騰である。


 木炭の消費量は冬が最も多くなる。理由はもちろん暖房だ。冬の寒さを凌ぐためには火を焚く必要があり、屋内で火を焚くのであれば煙の少ない木炭が都合が良い。だが、アルトリウシアでは冬は木炭が作れない。アルトリウシアで生産される木炭の供給源たる西山地ヴェストリヒバーグが豪雪で閉ざされてしまうからだ。だから炭焼き職人や木炭商人たちは春から秋にかけて木炭を作り貯めておき、冬に売るのである。


 ところが今年はその作り貯めていた木炭の少なからぬ量をハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱によって燃やされてしまい、アルトリウシアの冬の需要を賄えないレベルまで備蓄量が減ってしまったのだ。

 おかげで木炭がいつになく高騰している。アルトリウシアでは建築資材と保存食を中心にあらゆる物の価格が高騰しはじめているが、最も顕著なのが燃料である木炭なのだ。本格的な冬の到来を目前にした今の時点で例年の五倍もの価格で取引されている。


 これは多少無理をしてでも炭を焼くしかない!!


 アルトリウシアの炭焼き職人たちの考えることは一緒だった。同じ手間でいつもの五倍稼げる機会なんて滅多にあるものではない。たしかに突然の豪雪によって遭難する危険性はあるが、五月の上旬ならまだその可能性は低い。多分、一回くらいは問題なく炭を焼けるはずだ。街道からさほど離れていなければ、炭焼きの途中で雪が降り始めても早々に諦めて逃げ帰れば中継基地スタティオで軍に保護してもらえるだろう。

 それに木炭の価格は多分今の価格がピークになるであろうことが予想されていた。木炭の高騰を嗅ぎつけたサウマンディアやチューア、そして南蛮の商人たちが木炭をアルトリウシアに売り込もうと仕入れ始めたという噂が既に流れ始めているのだ。もしも、それら領外からの輸入木炭が本格的に入って来れば、木炭価格は確実に下落する。つまり、一番稼げるのは今だけなのだ。


「よぉーし、これでイケそうだな。」


 炭焼き職人の親方は疲労をにじませながらも満足そうな声で言った。彼の前には見上げるような土の山が築かれ、その山頂からはモヤモヤと白い煙が上がっている。山を覆う土の下には大量の薪が積み上げられ、蒸し焼きにされているのだ。

 そしてその山は煙を吐き出し続けている山頂部を開けるように、数本の柱と船の帆を思わせるような巨大な帆布はんぷによって作られた天幕が被せられていた。雨が降って来ても炭焼きに支障が出ないようにするための工夫である。他所の地域の炭焼き職人たちはこんな真似まずやらないが、雨の多いアルトリウシアではあえてこういう工夫をする炭焼き職人が何組かいる。彼らもそうした職人の一組だった。


「まったく、何やらせんだか……ホントに一度に二か所で同時に炭を焼くなんて正気の沙汰さたじゃねぇや。」


 近くの樹に天幕の張り綱を結び終えたホブゴブリンの職人の一人がボヤキながら帰って来ると、へこたれるかのようにその場にどっかと腰を下ろす。


「ハッハッハァ、だが出来たじゃねぇかアーヴァル!

 これで一年分の稼ぎだぜぇ!?

 おう、お前ももういいぞシーロー!」


「へい、親方ドミヌス


 親方であるロホスに言われ、コボルトの職人が張り終えた天幕の柱の調整を止めて戻って来る。


 炭焼きはだいたい一度に十日から半月ほどの日数を要する。アルトリウシアでは冬の間は豪雪のため作業が出来ないから、炭が焼けるのは春から秋の八~九カ月間だけだ。十六~二十七回は炭を焼ける計算になるが、実際は炭を街まで運ぶ必要もあるし、天候の影響もあるから一組のチームが焼けるのは年に十四~十八回といったところである。しかも需要の低い夏場は木炭の値がどうしても下がる。

 ところが今の木炭価格は例年の五倍だ。一年の中で木炭の価格が高まる冬を前にした今の水準で五倍の値段。それで更に彼らは一度に二か所で同時に木炭を焼いていた。一か所で薪を積み、土を被せて火を点け、職人の二人に火の番をさせながら別の場所で薪を積み、土を被せて火を点けたのである。

 二か所とも炭が焼きあがれば、そしてそれらを全部、実際に金に換えることが出来れば、ロホスが言うように炭焼き十回分……つまり一年分に匹敵する収入が得られるのだ。ロホスに言われたことが現実のものになるのを想像すると、彼らの泥と汗で汚れた顔も自然とほころんで来る。


「まさか本当に出来るとはなぁ……」


 腰を下ろしたまま背後に両手を突いた状態で、目の前で煙を上げる山を見上げながら、アーヴァルが感慨深げに言う。その顔にはどこか恍惚こうこつとしたような満足感に満ちた微笑みが浮かんでいた。


「まだ終わりじゃねぇぜ、アーヴァル?

 これから三、四日……火が消えるまで寝ずの番だからよ。

 おうシーロー、御苦労さん!

 お前がいてくれたから出来たようなもんだぜ!

 いやさっすがコボルトだぁ頼りになるぜ!


 おう、お前ぇらもご苦労さん、ご苦労さん!!」


 ロホスは嬉しそうに戻ってきたシーローを称え、シーローに続いて戻ってきた職人たちに労いの声をかける。シーローは素直に嬉しそうに顔をほころばせながら頭を掻いた。


「いやあ、そんな……」


「照れんなよ!

 実際、お前以上に働ける奴ぁいねぇぜ?」

「待ったくだ。やっぱお前にゃあかなわねぇ。」


 シーローはこの中では唯一のコボルトであり、一番体力がある。ホブゴブリンはヒトに倍する筋力を誇っているが、コボルトは更にその上を行く。しかもホブゴブリンがヒトに比べてスタミナで劣るのに対し、コボルトはスタミナでも引けを取らない。こういう力仕事には無類の強さを発揮する存在だった。実際、彼はロホスら他の職人たちの数人分の働きを一人でしている。シーローがいたから出来たというロホスの言葉は決して「御世辞」や「おだて」などではなく、ロホスの心からの実感だった。もしシーローがいなかったら、ロホスは一度に二か所で同時に炭を焼くなど、思いついても実行はしなかっただろう。

 だがシーローは他人から褒められることにあまり慣れていなかった。しきりに照れながらも、どうしていいか分からず、居心地悪そうにモジモジし始める。


「あ、ありがと、ごぜやす、親方。

 じゃ、じゃあオレ、アッチに行きやすんで……」


 そう言いながらシーローはペコリと頭を下げ、自分の荷物の方へ頭を掻いたまま歩き始める。「アッチ」とはもちろん、もう一方の炭を焼いている現場の方のことだ。こっちでも炭を焼くために、アッチの現場では通常は三~四人で後退しながらする火の番を二人でやっていた。シーローはそっちへ戻って二人の火の番に加わろうと言うのである。

 ロホスたちは驚き、シーローを止めようとした。


「ええ!アッチって、アッチか!?

 いいよ、もう日は暮れてんだぞ!?」

「そうだぞ、今日はここで寝て、アッチには明日陽が昇ってから行きゃあいいからよぅ」


「い、いや、でで、でも、アッチ、二人だけだし……」


 シーローは親方のロホスや先輩職人のアーヴァルが止めるのも聞かず自分の荷物をそそくさとまとめていく。


「火の番くれぇ二人いりゃあ何とかなる。

 今無理してお前が行くこたぁ無ぇよ!」

「そうだ、夜だし危ねぇぞ!?」

「そうっすよシーローさん、オオカミとか出るかも知んねぇっすよ!?」

「暗いし、道に迷うかも!」


 見習いの職人たちも一緒になって止め始めた。だが、シーローは止まらなかった。自分の荷物をまとめて担ぐと、手に持った熊除けの鐘付きの杖を見せながら笑ってみせる。


「オ、オレぁオオカミくれぇならへっちゃらだ。

 ッコがありゃあ、追っ払える。

 熊はホレ、この“熊除け”がありゃあ寄ってこねぇし……

 この辺は庭みてぇなもんだから、目ぇつむってたって歩けまさぁ。

 だいたい、アッチに二人っきりって方がよっぽど危ねぇですよ。」


「そ、そうかもしんねぇけどよぉ!」

「シーロー、考え直せ、な?」

親方ドミヌスの言う通りっすよシーローさん」

「明日、明日オレと一緒に行きましょうシーローさん!」


 職人たちは引き留めた。だが、シーローは「すいやせん、んじゃ行って来やす」と言い残し、笑顔のまま山林の中へ消えてしまったのだった。

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