第648話 緊急招集、再び

統一歴九十九年五月七日、夕 - マニウス要塞司令部プリンキピア・カストラ・マニ/アルトリウシア



 昼間、リクハルドヘイムの郷士ドゥーチェリクハルド・ヘリアンソンとの会見を終えたアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子は早速ルクレティウス・スパルタカシウス宛に手紙を書くと領主代行としての職務をこなし、風呂で身を清めてからリュウイチとの晩餐ケーナのぞんだ。


 晩餐会ケーナ……それはレーマ貴族にとって非常に重要なものである。貴族の社交、その基本であり、もっともポピュラーなものが晩餐会であった。

 通常ならば晩餐ケーナの後で酒宴コミッサーティオへと雪崩れ込むのがレーマの貴族文化であり、貴族同士の親睦を深めるという意味ではむしろそちらの方がずっと重要なのだが、アルトリウシアの現状に配慮して遠慮しているのか、はたまたホントに嫌なのかは分からないが、リュウイチはあまりにも頻繁に酒宴コミッサーティオが開かれること好ましく思っていないようで、酒宴コミッサーティオは誰か特別な来客でもない限り開かれないように調整されつつある。

 このため余計に日々の晩餐ケーナが重要になってくるのだが、高貴極まる降臨者の晩餐ケーナに同席できるだけの上級貴族パトリキが幸か不幸かアルトリウスしかいなかった。


 エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人はティトゥス要塞カストルム・ティティに帰ってしまっているし、養父ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵は腰痛のためティトゥス要塞カストルム・ティティで療養中なのだ。

 ルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアは既にリュウイチの聖女サクラ……つまり身内であり「社交」の対象足り得ない。ルクレティアの父であるルクレティウス・スパルタカシウスは娘をリュウイチに捧げた身でありながら、下半身不随であるためティトゥス要塞カストルム・ティティから動けず、未だにリュウイチとの直接の対面すら果たしていない。

 エルネスティーネの実弟であるアロイス・キュッテルはカールの見舞いという名目で連日リュウイチの夕食ケーナに同席していたのだが、シュバルツゼーブルグでの盗賊団対応で出征してしまった。その兄で侯爵家の外戚であるグスタフ・キュッテルも同じ理由でアルトリウシアを離れている。もっとも、アロイスもグスタフもエルネスティーネの兄弟……つまり侯爵家の外戚だから普段上級貴族パトリキに準じた扱いを受けてはいるが、本来キュッテル家は下級貴族ノビレスである。この二人にリュウイチを歓待するホスト役を務めさせてよいかというと厳密には疑問を呈さざるを得ないだろう。

 アルトリウスの家族らはまだリュウイチの降臨について知らされていないし、ルキウスの妻アンティスティアはルキウスの看病でベッタリだ。そもそも、夫のある女が夫の同伴でもないのに他の男の晩餐ケーナに出席するなどあり得ない。


 アルトリウシアにいる上級貴族パトリキでリュウイチの晩餐ケーナに出席できる人物はやはりアルトリウス以外に一人も残っていない。そして最大限もてなすべき降臨者に、朝食イェンタークルムならまだしも夕食ケーナを一人で摂らせるなどということは、レーマ貴族の常識からすると考えられない事だった。誰かが同席しなければならないのである。

 降臨者は《レアル》からこの世界ヴァーチャリアへ来た客人……ならば、賓客としてもてなさねばならない。もてなすべき客人にボッチ飯を食わすなどというのは、どの時代、どの世界の貴族にとっても考えも及ばない無礼なのだ。


 というわけで、アルトリウスはルキウスが復帰するまで、あるいはアロイスが帰って来るまでの間、リュウイチの晩餐ケーナに出席し続けねばならなかったのである。おかげでますます家が遠のいていく。


 だが、今日くらい帰ってみよう……


 アルトリウスはそう考えていた。普通、貴族の晩餐会ケーナに出席したらそのまますぐに酒宴コミッサーティオに雪崩れ込んで深夜まで帰れないものなのだが、先述したようにリュウイチの晩餐ケーナの後で酒宴コミッサーティオは開かれない。だから割と早い時間に帰ることができる。

 とは言っても陽はとっくに沈んでいるのだから、そんな時間から妻と息子と妹の待つ家へ帰ったとしても、家人の多くは既に寝てしまっているだろう。それでも翌朝の朝食イェンタークルムくらいは一緒に過ごすことができる。


 愛妻コトが送ってきた花……その意味は結局わからなかったが、あれはきっと「帰って来てほしい」という意味だろう。


 リクハルドから「今日ぐれぇ帰っておやんなさい」と言われたこともあって、アルトリウスはリュウイチの前を辞した後、家令のマルシスに命じて馬車を用意させた。既に陽は没したが雲の切れ目からは覗く空はまだ茜色を残していた。今から帰れば、息子や妹は寝ているだろうが、妻のコトくらいはまだ起きているうちに着けるかもしれない。


 だが、今日もアルトリウスの乗った馬車は彼の家族の元へ彼を運ぶことは無かった。すぐに早馬が追いかけてきて急報を告げたのだ。


「閣下!大至急に要塞カストルムへお戻りください。

 御方おかたが《地の精霊アース・エレメンタル》様よりお告げをお受けになられたそうでございます。」


「お告げだと!?」


「ハッ、ネロ殿の報告によると、ブルグトアドルフにて、戦が始まったようだとのことであります。」


 マニウス街道の途中で追いついた連絡将校テッセラリウスは馬車の窓越しにアルトリウスにそう報告した。アルトリウスは自分の脳裏に愛する妻と息子と妹の顔が浮かんだが、それをすぐに振り払い、馬車の御者に命じる。


「行先変更だ!

 要塞カストルムへ戻るぞ!!」


 馬車はそのまま街道上でUターンすると、つい今しがた通り過ぎたばかりの城下町カナバエの街中を通って要塞カストルムへ駆け戻った。

 要塞司令部プリンキピア玄関ホールウェスティーブルムに入ると、普段なら既に人も空いて警衛以外ほとんど残っていない筈なのにバタバタとあちこちで物音がし、ロウソクを灯した燭台を手にしたまま人が動き回っているのであろう、壁や天井を光や影が踊るように動き回る。


アルトリウシア軍団長レガトゥス・レギオニス・アルトリウシアアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子閣下、御成~り~っ!!」


 名告げ人ノーメンクラートルの声が響き渡ると壁や天井を蠢いていた光と影が反応し、そのうち何人か人が出て来る。


「閣下!!」


ガローニウスラーウス、ここだ!」


 吹き抜けになっている二階の廊下から姿を現し、燭台を掲げた近習を伴って階段を小走りに駆け下りてきたのは筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスのラーウス・ガローニウス・コルウスであった。

 階段を駆け下りたラーウスはそのまま脚を緩めることなくアルトリウスの前まで来ると右腕を掲げて敬礼する。


「閣下、お戻りで!」


「また戦だと聞いたぞ!?」


 アルトリウスが答礼を返すと、ラーウスはその場で口早に説明を始めた。それによるとアルトリウスがリュウイチの前を辞してしばらく後、日没の少し前あたりにリュウイチがルクレティアに付けた《地の精霊アース・エレメンタル》から再び念話が来たとのことであった。それをネロが特務大隊コホルス・エクシミウム大隊長ピルス・プリオルクィントゥス・カッシウス・アレティウスに報告し、クィントゥスがアルトリウスを始め軍団幕僚たちトリブニ・ミリトゥムに一斉に早馬を出したのだそうだ。本来、大隊長に軍団幕僚を招集するような権限などあるわけないのだが、先日のアルビオンニウムでの戦闘の実況中継の後、もし再びこういう事があればと即座に軍団幕僚を招集するようクィントゥスには言い含めてあったのだ。


「既にみんな集まっているのか?」


「ハッ、幕僚トリブヌスカエソーニウスゴティクスが既に来ていて現在、ブルグトアドルフ周辺の地図と関連資料を集めさせています。

 私とルッススは来たばかりで……」


 ラーウスは来ている幕僚の名を挙げたが、名前が挙げられなかったテルティウス・ウルピウス・ウェントゥスはサウマンディウムへ出張中だし、セプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスはアルビオンニウムへ赴任中。アシナ・バエビウス・カエピオはアルトリウシアにはいるが、トゥーレスタッドに建設を予定している砲台についての打ち合わせでティトゥス要塞カストルム・ティティへ行っており、まだ早馬も着いていないだろうから来るはずもない。

 要するに幕僚トリブヌス以上ではアルトリウスが最後ということだ。


「わかった。すぐに行けるのか?」


「ハッ。

 資料集めの方はまだ少しかかりそうですが、我々だけでよろしければ……」


「よし、資料はひとまず今ある分だけでいい。

 どうせ詳細の検討は事が済んだ後の作業だ。

 今は状況を記録するのに必要な分だけあれば足りるだろう。」


 かくして、彼らはリュウイチの待つ陣営本部プラエトーリウムへ通じる裏口通路ポスティクムへと急いだのだった。

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