第649話 ブルグトアドルフの戦況(1)

統一歴九十九年五月七日、夜 - マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストラ・マニ/アルトリウシア



 リュウイチのいる陣営本部プラエトーリウムにアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子がアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア幕僚団トリブニを率いて訪れた時、ブルグトアドルフの戦闘は既に終了していた。いつもの食堂トリクリニウムの前にはリュウイチの奴隷のロムルスが立ち、アルトリウスらが近づいてくるのに気づいて室内にいたネロへ報告すると、ネロが名告げ人ノーメンクラートルのように来客を告げる。


旦那様ドミヌス、アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子閣下がお見えになられました。」


『ああ、入ってもらって。』


 リュウイチの答えを聞いたネロが扉を開けると、ちょうどアルトリウスらが入口に辿り着いたところだった。


旦那様ドミヌスがお待ちです。

 どうぞお入りください、閣下」


「失礼します。」


 アルトリウスが部下と共に入室した時、中ではリュウイチが腰掛け、特務大隊コホルス・エクシミウム大隊長ピルス・プリオルクィントゥス・カッシウス・アレティウスがリュウイチから話を聞きながら、その内容を書字板タブラに書き留めていたようだった。クィントゥスがアルトリウスを迎えるためにサッと起立し、それにやや遅れてリュウイチも立ち上がる。


「遅くなってしまい申し訳ございません。

 ブルグトアドルフでまた戦と伺いましたが?」


『はい、実は戦闘自体はもう終わったようなのですが、また例のハーフエルフたちが絡んでいるようです。』


 アルトリウスの挨拶に答えながらリュウイチはアルトリウスに長椅子クビレを手で指し示し、着席を促す。クィントゥスはその前に書字板を手に持ったまま、そこからサッと横へ避け、アルトリウスと幕僚たちトリブニに席を譲っていたので、アルトリウスはそのまま先ほどまでクィントゥスが尻で温めていた椅子に「失礼します」と小さく言いながら腰掛けた。


「それでは、小官がこれまでにお伺いした経緯をご説明いたします。」


 リュウイチも腰掛け、他の幕僚たちも順次腰掛けると、立ち上がったクィントゥスが書字板を近くの燭台の灯りにかざして見ながら説明を始めた。

 それによると盗賊団の生き残りがブルグトアドルフで待ち伏せを行い、ルクレティアの一行よりも先行していた“ヒトの軍勢”(おそらくサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア)がその攻撃を受けたらしい。

 その時、“西の川”(おそらくシュバルツァー川)から複数のハーフエルフがルクレティア一行に攻撃を仕掛けようとしていたため、それを《地の精霊アース・エレメンタル》がストーン・ゴーレムで迎撃、魔法で拘束する。時をほぼ同じくして南方から別の“ヒトの軍勢”(おそらくアロイス・キュッテル率いるアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア)がブルグトアドルフの街へ突入し、盗賊団を追い払った。

 そのすぐ後、《地の精霊》と対峙していたハーフエルフの一人が自分たちが囮であることをバラし、南の森から別動隊が捕虜を奪還したと語ったことから《地の精霊》はハーフエルフをその場に放置して南の森へ移動し、その別動隊の存在を確認。《地の精霊》はその別動隊を一時的に捕獲しようとしたがルクレティアに呼び出されてしまう。仕方なく《地の精霊》は《森の精霊ドライアド》を作って眷属とし、敵別働隊への対処を命じると自身はルクレティアの元へ帰還、ルクレティアは《地の精霊》や護衛に守られながらブルグトアドルフへ進入し、アロイスと思しき人物と合流。その後、町の中の“一番大きな建物”(おそらくブルグトアドルフの礼拝堂)で待ち伏せ攻撃を受けた“ヒトの軍団”の負傷者の治癒に当たったらしい。


「……その後、ブルグトアドルフから逃亡を図った盗賊たちの殆どは“南から来たヒトの軍団”によって大部分が捕縛された模様です。逃げ延びた盗賊は、待ち伏せていたうちの『半分の半分』とのことですので、多く見積もっても三十人に満たないでしょう。

 また、《地の精霊アース・エレメンタル》様が御作りになられた《森の精霊ドライアド》様がハーフエルフの仲間を一人捕縛、ルクレティア様にお引き渡しになられたとのことです。これはハーフエルフではなくヒトだそうですが、魔道具マジック・アイテムを装備していたそうですので、ムセイオンから脱走して来た聖貴族コンセクラトゥムの御一人であると推察いたします。

 ブルグトアドルフの火災は戦闘終結後、《地の精霊》様の魔法での御支援により速やかに鎮火したようですが、ブルグトアドルフの住民は宿駅マンシオーの方へ収容したようです。

 現在、分かっていることは以上であります。」


 軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムの一人ゴティクス・カエソーニウス・カトゥスがテーブルメンサに広げたブルグトアドルフ近郊の地図を睨みながら話を聞いていたアルトリウスたちは、クィントゥスの説明が終わると一斉に唸るように溜息をついた。

 相変わらず、戦況は非常によくわかる。それが遠く西山地ヴェストリヒバーグを挟んだ向こう側でつい今さっき起きた出来事であることを想えば、それだけ詳細に知ることができているという事自体が非常に奇妙ですらあった。普通であればこれだけ詳細を知ろうと思えば現地の人間が報告書をまとめ、それを早馬に託して届くまで丸一日以上はかかってしまう。いや、途中の中継基地スタティオが潰されていて通信網が通常の機能を果たせないことを考えれば、移動だけで一日半~二日はかかってしまうであろう。しかもこれだけ詳細な報告書をまとめる時間も考えれば、三日で届けば「驚異的速度」と評してよいほどである。

 たしかに、報告者である《地の精霊》が“数”という概念を理解していない上に人間に対する関心の無さゆえに兵数や戦果、損害、そして各部隊の指揮官といった情報は相変わらず分からない。そうした詳細は現地から届く報告を待たねばどうしようもないだろう。

 だが、《地の精霊》は個々の“数”や関係者の個人名などは伝えてこないが、おそらく現地の指揮官でも把握できていないであろう“敵情”についても味方のと同程度の情報を伝えてくれている。戦争を遂行する実務者が最も気になる“敵情”をこれだけ早くこれだけ詳細に、そしておそらく正確に、伝えてくれる……それだけでも精霊エレメンタルもたらしてくれる影響は計り知れない。


「んんん~~」


 アルトリウスは呻きながら頭を掻いた。


『何か、ご不明な点はありますか?

 いや、私も分からないことだらけなんですが……』


「いや、すみません。

 たしかにわからないことだらけで、ある程度は推測できるのですが‥‥‥」


 やはり個人名が分からない点などは最たるものだが、情報の欠落というのはどうしても気になる。それ以外の部分が知れているというだけでも十分凄いことなのだが、やはり足らない要素があるというのはどうしても不満の種にならざるを得ない。それがつい表情に出てしまったようだ。アルトリウスは顔をあげ、小難し気な愛想笑いを浮かべながら答えた。


「リュウイチ様のおかげで何が起きたかは理解できました。

 つい今しがた、早馬でも一日かかる遠方で起き出来事をこれほど早く、これほど詳細に知ることができるのは大変すばらしいことだと思います。

 ただ……」


『ただ?』


「ええ、何が起きたかは理解できますが、何故こうなったのかが推測しきれません。」


 アルトリウスはそう言いながら地図を指し示した。その指先はブルグトアドルフの街に侵入し、そして待ち伏せにあったという先行部隊の歩いたであろう経路をなぞっている。


「一番分からないのは、このルクレティア様の御一行に先行してブルグトアドルフに進入し、盗賊団の待ち伏せを受けてしまった“ヒトの部隊”です。

 おそらくサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアであろうということはわかるのですが、何故彼らがアルビオンニウムを離れてブルグトアドルフまで来ているのか‥‥‥」

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