第650話 ブルグトアドルフの戦況(2)

統一歴九十九年五月七日、夜 - マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストラ・マニ/アルトリウシア


 アルビオンニウムからの帰路の途上、ブルグトアドルフを訪れたルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアの一行がハーフエルフ率いる盗賊団による待ち伏せを受けた……その過程はリュウイチがルクレティアに付けた《地の精霊アース・エレメンタル》によって念話でリュウイチへ報告され、更にリュウイチの口から語られて特務大隊コホルス・エクシミウムのクィントゥス・カッシウス・アレティウスによって書き留められた。そこに記された内容は例によって個々の人物名や兵力数などといった部分が欠落してはいたものの、ブルグトアドルフで何が起きたかを知るには十分すぎる程度に詳細なものだった。


 クィントゥスが書き留めた内容を整理し、掻い摘んで話した報告によれば、ルクレティアの一行に先行してブルグトアドルフへ進入し、盗賊団の待ち伏せ攻撃を受けてしまった“ヒトの部隊”は元々アルビオンニウムにいたのがルクレティアに付いて来ていたとのことなので、その正体はサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアでほぼ間違いないだろう。だが、それを率いているのは“偉そうな奴”としか伝えられていない。

 その人物はアルビオンニウムでの戦闘を実況中継してもらった時にも登場した人物で間違いなく、その時はサウマンディアから派遣された第八大隊コホルス・オクタウァ大隊長ピルス・プリオルピクトル・ペドーかと思っていたのだが、彼に与えられた役割からすると派遣先であるアルビオンニウムを離れるわけが無かった。


 第八大隊コホルス・オクタウァはティトゥス街道再開通工事のために派遣されたのであって、派遣にあたっては戦闘任務を想定していない。おそらく、戦闘の準備もろくに整えていない筈なのである。ましてや一昨夜の戦闘で弾薬等も消費しているはずなのに、アルビオンニウムから南下した。

 戦闘の準備を整えていなかった部隊が想定外の戦闘を経て弾薬を消耗し、そのまま再び戦闘がおこるかもしれないのに任地を離れて他人の領土を移動するなどあり得ない。

 だが、ルクレティアの一行と同行しているということは、間違いなくルクレティアも護衛隊長のセルウィウス・カウデクスも、そしてアルビオンニウムへ派遣された幕僚のセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスも承知したうえでの移動であるはずだ。


 まさかセプティミウスやセルウィウスがルクレティアの護衛の増援を頼んだとは思えないし、仮に向こう側がそれを申し出て来たしてもセプティミウスがそれを認めたとも思えない。彼にその権限は無いからだ。

 セプティミウスはあくまでもアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの幕僚であり、ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵の家臣である。アルトリウシア子爵領の外のことに関しては本来何の権能も持っていない。今回はサウマンディア軍団がアルビオンニウムで復興工事に携わるための調整役としてエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人の承認をもって派遣されており、彼がサウマンディア軍団の行動について何らかの許諾を与えることができるのはアルビオンニウム以北のティトゥス街道再開通工事に関してだけなのだ。

 本来、侯爵家の家臣が担うべき役目を子爵家の家臣が担っている‥‥それだけでもすでに十分すぎるほどアクロバティックな人事であり、そこから更にセプティミウスがサウマンディア軍団のアルビオンニア侯爵の領内での行動を承認するわけなどないのである。


 考えられる可能性はこのルクレティアと同行している部隊がメルクリウス騒動の対応のために派遣されている部隊であることだ。それであれば事前の取り決めでサウマンディア軍団は一個大隊コホルスまでの兵力をアルビオンニア属州の領域で活動させることができることになっていた。


 となると……このサウマンディア軍団の部隊を率いているのはペドーピクトルではない、別の人物ということか?

 サウマンディア軍団の幕僚以上の人物が来ている?


 ケレース神殿テンプルム・ケレースの調査のために来ていた二個百人隊長ケントゥリオ……おそらく彼らがルクレティアに同行しているのだろう。だが、それでも任地であるアルビオンニウムを離れて独自の行動をとる理由がわからない。そのような権限が与えられているわけはないからだ……だとすれば、そういう決断を出来る権能を持った人物が来ていて指揮を執っているということになる。リュウイチが《地の精霊》から伝え聞いた“偉そうな奴”がそうなのだろう。


『それは……すみません。今から訊いてみますか?』


「はい、おねが……いえっ!それには及びません!!」


 アルトリウスの至極当然な疑問に対するリュウイチのごく当たり前な対応に、アルトリウスは一瞬「お願いします」と言いそうになり、慌てて打ち消した。


『え?たぶん、すぐにわかりますよ?

 人物名とかは確かに伝わってこないでしょうけど……』


「いえ、そうではなく……その……」


『ああ!』


 言い淀んでいるアルトリウスの態度を見てその理由に気付いたリュウイチは思わず声をあげた。


 《レアル》の恩寵おんちょう独占の禁止‥‥‥《レアル》からもたらされた知識や聖遺物アイテムを糧に文明を発展させてきたこの世界ヴァーチャリアでは、かつての大戦争の惨禍を繰り返さないためにこれ以上の降臨を阻止することが大協約という国際法が定められている。そして降臨を防ぐ代わりに、降臨者の齎した叡智えいち聖遺物アイテムは「《レアル》の恩寵」と位置付けられ、これを世界の共有財産とすることが定められていた。降臨者の力もまた「《レアル》の恩寵」の最たるものであり、今ここでアルトリウスがリュウイチに頼んでその能力を行使してもらうことは、明確に「《レアル》の恩寵独占の禁止」に抵触してしまう。


 本来なら今のような実況中継のようなことだって「恩寵独占の禁止」に抵触する可能性が高いのだ。ただ、前回と今回はまだなんとか言い逃れができると考えられている。

 事件にはリュウイチの聖女サクラたるルクレティアが関っており、アルトリウスたちアルトリウシア軍団はルクレティアの警護を担っているからだ。ルクレティアの身辺に異常が生じ、警護を担当しているアルトリウスらに対して「現地でルクレティアの身辺にこれこれこういうことが起こっているけどどうなってんの?」とリュウイチが諮問しもんしている……という体裁を保つことで、アルトリウスらが降臨者リュウイチの力を利用したという指摘に反論することができるようになる。だが、アルトリウスの側から自分の知りたい疑問を口にしてしまった以上、リュウイチがそれに応えればアルトリウスが自分の知りたい情報を得るために降臨者リュウイチの力を利用したという指摘に対して言い訳が利かなくなってしまう。

 アルトリウスは子爵公子パトリキである。公子である以上、その発言は対外的には子爵本人の発言と取られるものであるし、まして今の彼は病床に臥せっている養父ルキウスに替わる領主代行としての立場があった。軽々にリュウイチに何かを頼んでよい立場にはない。


「先ほど私が口にしてしまった疑問については、どうかお忘れください。

 どうせ、明日には早馬が届きますし、キュッテルアロイス閣下が大隊コホルスを率いて現地で合流した以上、これ以上悪いことは起きないでしょう。

 聖女サクラルクレティア様の安全は確保されておりますので、どうか御平おたいらに‥‥‥」


『ああ……あ‥‥はい……』


 もし、リュウイチが自分の家族ルクレティアの身の安全に関してアルトリウスに諮問するという体裁を保つ形で向こうの状況を教えれば何とかなったかもしれなかった。しかし、アルトリウスはここのところリュウイチと現地の《地の精霊》との念話を好い様に利用しすぎているという自覚もあってか、その一言で自らその可能性を閉ざしてしまったのだった。

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