第446話 緊急撤収

統一歴九十九年五月四日、午前 - アルトリウシア平野セヴェリ川付近/アルトリウシア



「しっかり!シュロハ、しっかりしろ!!」

「プチェン!!シュロハがやられた!

 ポーションを出せ!!ありったけだ!!

 あと、骨をやられている!添え木と、包帯を用意しろ!!」


 ドナートとディンクルは二人で負傷した部下を抱えながら前進拠点へ戻って来るなり、留守番をしていた部下へ指示を飛ばす。指示を受けたゴブリン騎兵のプチェンは大慌てで行李こうりを開け、ポーションを探し始める。


 まったく予想外の出来事だった。

 北岸から定期的に繰り返されるダイアウルフの遠吠え。そしてそれに対してこちらからも遠吠えを返す。それはこちらにダイアウルフが居るぞと敵にあえて知らせ、それによって敵を怯えさせるための一種の示威じい行為であった。当初はこちらから遠吠えを返しても敵側には何の効果も及ぼしていないと考えられていたが、昨日一日観察しているとどうやらそうでもないらしいことは確認できた。


 目的は不明だが敵は河川敷の除草作業をしたいらしい。しかし、こちらからダイアウルフの遠吠えを返すとその作業を中断してしまうことが分かった。ある程度経って再び遠吠えを行い、こちらから遠吠えを返さないでいると除草作業を再開し、こちらから遠吠えを返すと再び除草作業を中断する。つまり、あの遠吠えはどうやら除草作業をするためにこちら側にダイアウルフが居ないのを確認するための者だったわけだ。

 もちろん、ドナートの任務はアルトリウシア側にダイアウルフの脅威を感じさせ、ハン支援軍アウクシリア・ハンにアルトリウシア平野でのダイアウルフ捜索活動を認めさせることにある。除草作業を中断させたぐらいでは全然足らない。しかし、まったく効果が無いわけでもない。ならば、ダイアウルフを対岸に突っ込ませることは流石に出来ないけれど、いっそ声だけじゃなく姿を見せたらどうだろう?


 それでダイアウルフを一頭だけ、藪の中から河川敷に姿を現させてみた。

 もちろん、安全については十分に考えてある。セヴェリ川の川幅はおおよそ百ピルム(約百八十五メートル)はあり、レーマ軍が配備している短小銃マスケートゥムの有効射程外だから、仮に威嚇射撃してきたとしても命中する可能性は低い。その上、霧雨が降ったりやんだりしていて、ただでさえ不発率の高いフリントロック式の短小銃は天幕の下からであっても発砲しにくい状況だった。そんな中で対岸から聞こえて来た遠吠え。


 絶好のチャンスだ!


 ドナートは乗り手のいないダイアウルフを藪から河川敷へ出してみた。ところがどうだ、敵の中から三十数名の軍団兵レギオナリイがぞろぞろと小走りに現れて河川敷で並び始める。そして彼らの持っていたまるで槍のように長い銃を見てドナートは慌てた。


 ヤバい!あれは南蛮の鉄砲だ!!やつらあんなものを!?


 ドナートも幾度かの南蛮との戦闘経験がある。その中で彼は何度かそれを目にしたことがあった。恐ろしく長い射程を持ち、信じられない距離で当てて来る火縄銃。南蛮人はそれを城攻めの時や、籠城戦の時によく使っていた。それを何故かレーマ軍が野戦で使おうとしている事にドナートは驚いた。


「引け!ダイアウルフを戻せ!撤収!撤収!!」


 ドナートは慌てて撤収の指示を出した。今まさに河川敷で気持ちよさそうに遠吠えをする態勢に入りかけていたダイアウルフは、背後から急に「来い!」の命令を出され、一瞬戸惑う。その後もしつこく繰り返し「来い」の命令を出されて仕方なくすごすごと藪へ戻ってきた。対岸からの銃声が鳴り響いたのはその直後だった。


 ポンッポポポポポポンッポポンッ


 ドナートは対岸を監視するため少し離れた場所にいたので大丈夫だったが、これだけ距離が開いているにも拘わらず銃弾はビュンと風を切り裂く獰猛な音を立てながら飛来し、ダイアウルフがいた辺りにビシバシと降り注いだ。

 射撃する直前に目標であるダイアウルフが藪の中に隠れてしまったため、弾は周囲に広くばらけてしまったが、楕円形の弾頭に尾翼の付いた独特の形状で、レーマ軍が使う真ん丸の弾丸よりも重く減速しにくい弾丸はこの距離でも全くと言っていいほど威力を失っていない。幸い、ダイアウルフには命中しなかったものの、ダイアウルフを藪の中で出迎え、前進拠点へ連れ帰ろうとした騎兵シュロハの上腕に一発が命中、その骨を打ち砕いてしまったのだった。


 その場で昏倒してしまったシュロハはドナートとディンクルに抱えられて前進拠点へと運ばれ、昨夜寝床にしていた乾燥した地面に横たえられた。心配したダイアウルフたちが寄って来て悲しそうに鼻を鳴らすのをドナートが片手で追い散らす。


「お前らはアッチ行け、“待て!”“伏せ!”」

「シュロハ、ほらポーションだ!まずはコレを飲め!」

「ディンクル!敵の様子を見てこい!

 こっちに渡って来るようなら撤収しなければならん!」

「了解!!」


 シュロハは血の気を失った真っ青な顔に脂汗を大量に浮かべながら、戦友の差し出したポーションを口の端からこぼしながらも飲み干した。


「た、隊長…オレ、オレは…」


「黙ってろシュロハ!

 お前は絶対連れ帰る!たとえ死んでも連れて帰る!

 ほら、コイツを咥えてろ!!

 プチェン、出血がひどい、先に腕を縛れ!キツくだ!!」


 ドナートは近くに落ちていたあしの茎を口枷くちかせがわりに咥えさせた。アルトリウシア平野に生える葦は成長しきると太さ一インチ(約二センチ半)ほどにもなるが、切断すると切断面から真水を摂ることができるため、ドナートたちが飲料水を得るために何本か切った物が転がっていたのだ。


「隊長、脱がせないんですか!?」

「革鎧着てんだぞ!?そんな面倒なことしてられるか!

 怪我してんのは腕なんだから服なんか切ってしまえ!」


 彼らが着ているハン族の騎兵用の革鎧は胴体と前腕しか防護していない。重たい装備を身に着ければダイアウルフの負担になってしまうため、最低限の防具しか身に着けないのだ。そして怪我をしている上腕は鎧下ジャックの袖で覆われているだけである。普通、レーマ軍で鎧下は麻布を二十七~三十二枚程度重ねて間に適度に綿を詰めた物だったが、ハン支援軍の騎兵用のそれは麻布十五枚を重ねただけの薄い代物で防御力も重さも半分ぐらいしかない。革鎧を脱がせ、その下の鎧下も脱がせるくらいなら、袖の部分だけ切ってしまった方が早いというドナートの判断は当然のものだろう。

 ドナートは言うが早いか自ら腰に下げていたナイフを引き抜いて袖の傷の部分を切り開き始める。


「ふぐっ、ふぐうううぅぅーーーっ!!!」


 激痛でシュロハが悲鳴を上げる。それを見てたまらなくなった彼のダイアウルフが立ち上がり駆け寄って来る。


「ダメだ!アッチ行け!!

 “待て!”“待て!”だ!!

 おいもっとポーションだ!もっと飲ませろ!!

 全部飲ませちまってもいい!!」

「分かりました!」


 ドナートは心配して駆け寄ってきたダイアウルフを圧しとどめ、戻らせながらプチェンにポーションを飲ませるように指示を出す。

 ポーションには麻薬成分が含まれていて飲ませ過ぎると中毒の危険性があるが、今はそんなこと言ってられない。今は麻薬成分がもたらす鎮痛効果の方が重要だ。


「んばぁっ!!あ゛っあ゛あ゛っ」

「ホラ飲めシュロハ!たらふく飲め!!」


 口枷を外され、息をつくシュロハの口にプチェンがポーションを流し込む。シュロハは口からポーションを、目から涙を溢れさせながらそれを飲み込んだ。そこへ敵情を確認しに行っていたディンクルが大慌てで戻って来た。


「隊長!!不味いです!!

 敵の軽装歩兵が河川敷に集まり始めた!今並んでる!!」


「何!?」


「多分、渡って来るつもりです。

 奴ら全員が鉄砲か槍と盾を持ってる。」


 セヴェリ川は浅い。一番深いところでホブゴブリンの首くらいの深さだろう。さすがにそこまで深いところはいくら流れが緩やかとは言え泳げないホブゴブリンは溺れてしまう危険性があるし、なにより装備(特に銃や爆弾)が濡れてしまうからそんな深いところを強引に渡って来はしないだろう。だが、ルートを選べば腰か股ぐらいの深さまでしか浸からずに渡れるはずだ。仮に、そんな安全に渡れるルートを敵が予め知っているとすれば、ここまで十分ぐらいで到着してしまうかもしれない。

 ドナートは撤収を命じるしかなかった。プチェンの方を振り返って状況を確認する。


「止血は!?」


「終わってます!!」


「よし、いったん撤収するぞ!!

 プチェンはそのまま添え木だけしてやれ!

 ディンクル!行李をまとめるのを手伝え!!

 荷物を一切残すな!!」

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