第445話 ダイアウルフ要撃

統一歴九十九年五月四日、午前 - アイゼンファウストブルグ/アルトリウシア



「では、配置は完了したんだな?」


 アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムゴティクス・カエソーニウス・カトゥスは問題に一区切りつけられそうな手応えを得てわずかに安堵したような表情を滲ませた。


「はい、しかし本当に構わんのですか?

 これではアルトリウシア軍団はアイゼンファウスト復興作業から完全に手を引くことになってしまいます。

 まあ、兵どもレギオナリイは銃が撃てると喜んでおりますが・・・」


 筆頭百人隊長プリムス・ピルスのウェスパシアヌス・カッシウス・ペティクスは怪訝けげんそうな表情で何度目か分からない確認を繰り返した。実際、彼の言っていることは本当で、今回ゴティクスの出した配置変更の指示によりアイゼンファウストで復興作業に従事していた第一大隊コホルス・プリマ軍団兵レギオナリウスは復興作業から引き揚げてしまっている。救援に駆け付けてくれたサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア軍団兵らレギオナリイはアイゼンファウストの復興作業に専念していると言うのに、地元の軍団レギオーである自分たちが作業から離れることにウェスパシアヌスは釈然としないモノを抱えていたのだった。

 ゴティクスは自分より一回り年上の老兵ウェスパシアヌスを宥めるように説明する。これも幾度となく繰り返してきたことだったが…


「これはダイアウルフ対応を迫られた当初から想定していたことだ。

 このブルグスが機能するようになれば、貴様らはこの任務から解放される。なに、あと一週間もかからないさ。」


「その一週間、アイゼンファウストの住民感情はどうでしょうか?」


 住民たちの間では密かに軍団に対する不信感のようなものが醸成されているのは確かだった。あの日、軍団はハン支援軍アウクシリア・ハンの蜂起を防げなあった。そして住民たちを守り叛乱軍を追い払ったのは軍団兵ではなく、各地区の郷士ドゥーチェとその私兵たちだったのだ。

 そのうえ復旧復興事業にいの一番に率先して携わるべき軍団は他所から駆け付けてくれた他の軍団に復旧復興作業を任せ、自分たちは戦争ごっこをしている。それでいてセヴェリ川の向こう側でウロチョロしているダイアウルフを追い払ってもくれない…そうした不満は未だ目立つほどではなかったが、徐々に蓄積されつつある。ウェスパシアヌスはそれを気にしているのだ。

 だが、ウェスパシアヌスに対するゴティクスの反応は実にあっけらかんとしたものだった。


「アイゼンファウスト卿のおっしゃり様は貴様も見ていただろう?

 彼のあの要求はまさしく住民感情を代表していると思うよ。

 つまり、アイゼンファウストの住民たちは復旧復興も大事だが、それ以上にダイアウルフをどうにかしてほしいと思っているのさ。そして我々はその期待に応えるわけだ。住民感情が悪くなるわけはないだろう?」


「だといいのですが…」


 ゴティクスからすればウェスパシアヌスを安心させるためにあえて能天気な態度を示したわけだが、ウェスパシアヌスからすると「話が通じない人」という印象しか持てなかった。所詮、貴族ノビリタスには平民プレブスの苦労なんて分からんのかもしれん…そういう諦観のようなものがウェスパシアヌスの心中を満たしていく。

 だが、ウェスパシアヌスも入隊した平民が一兵卒から到達可能な最高位である筆頭百人隊長にまで昇り詰めた男である。ゴティクスの前でため息をついてしまうほど不用心でも愚かでもなかった。


「他人事のようだが、そうなるかどうかは貴様らの働きにかかっておるのだぞ?

 より厳密にはだが…いけるんだろうな?」


 ゴティクスに視線の先の河川敷にはヤケに長い鉄砲を担いだウェスパシアヌスの部下たちがいた。他にも、彼の第一大隊から分離独立した特務大隊コホルス・エクシミウスから借りて来た兵士も混ざっている。

 ウェスパシアヌスは胸を張って答えた。部下たちの名誉と誇りを守るのは指揮官の責務であることをウェスパシアヌスは承知している。


「兵どもの士気は十分であります。無論、練度れんども。

 それは保証しますよ。銃の性能も問題ありません。」


 彼らがここへ持ち込んできたのは長小銃オーハザマ…アルトリウスの妻コトが有力南蛮氏族アリスイ家から嫁いでくる際にアリスイ氏から送られた婚礼の贈り物の一つである。一ピルム(約百八十五センチ)を超える長大な鋼鉄の鍛造銃身を持つ火縄銃アーキバスで、有効射程は二百ピルム(約三百七十メートル)にも達する。その大きさゆえに一人では扱えず、二人で担いで射撃する必要があるミニ大砲だ。それが現在の第一大隊と特務大隊の両隊が保有する十六門すべてがここに集結していた。


「ならいけるだろう。

 このまま、ワン公どもに邪魔されたんじゃたまらん。

 ダイアウルフが逃げたとかいうイェルナクの話がウソじゃないなら、この一撃で話は終わるはずだ…お、時間みたいだぞ?」


 ゴティクスたちが居る場所から少し離れたところで、赤い頭巾を被ったブッカの少女が、お座りさせたダイアウルフ二頭の前に立って楽団の指揮者のように手を振り、可愛らしく自ら遠吠えの真似をして見せる。


あうううう~~~~~


「もしウソだったら?」


「それは相手の出方次第だな。

 このまま突撃して来てくれれば終わらせることもできるだろうが、さすがにそこまで馬鹿じゃあるまい。」


ォオオオオオオオオオーーーーーーーーーーッ

ァオオオオオオオオオーーーーーーーーーーッ


 ゴティクスがウェスパシアヌスの疑問に答えきる前に、二頭のダイアウルフの遠吠えが鳴り響く。一マイル(約一・九キロ)先まで届く遠吠えは間近で聞くと耳を覆いたくなるほどやかましい。ダイアウルフの真ん前で遠吠えをさせていた少女は実際に両耳を手で押さえていた。


「さあ、どうだ?」


 遠吠えが終わり、周囲の軍人たちが耳を澄ませる。ゴティクスが今日出した指示は、もし昨日のように遠吠えが返ってきたら今日はそのまま何度か遠吠えを繰り返し、だいたいの位置を割り出してそこへ向かって長小銃を撃ち込み、遠吠えを返してくるダイアウルフを仕留める作戦だった。まあ、実際に遠い対岸の藪に隠れたダイアウルフを声だけを頼りに撃ったところで当てることはできないだろう。だが近くに着弾すれば、驚ろかして追い払うくらいはできるに違いない。


 本来、こちらでダイアウルフに遠吠えをさせるのは、対岸にダイアウルフが居ないことを確認して除草作業を推進するためのものだった。ところが、一昨日からずっとダイアウルフは対岸に居座っているらしく、日に何度も遠吠えを返してくる。これでは住民たちに作業に協力するように言うことはできない。いつ、ダイアウルフが襲い掛かって来るか分からない状況では安心して働くことなどできないからだ。

 それどころか住民たちの間では、ダイアウルフに遠吠えなんかさせたから、逆にダイアウルフを呼び寄せちまったというような噂まで広がり始め、その怒りの矛先が協力してくれたファンニやダイアウルフたちに向けられている。


 冗談ではない。これでは逆効果ではないか・・・


 そこで、ゴティクスは大砲には及ばないが短小銃マスケートゥムよりずっと射程が長く、セヴェリ川の対岸まで十分届かせることのできる長小銃に目を付けた。あれでダイアウルフがいるであろう部位に銃撃を加え、ダイアウルフを驚かせて追い払ってしまえば、ダイアウルフを呼び寄せたのではなくおびき寄せたのだと言うことができるだろう。

 成功すれば、これに協力してくれたファンニとダイアウルフたちに向けられた住民たちの憎悪ヘイトも大きく改善するはずだ。


 だが、期待していた遠吠えは返ってこず、代わりに河川敷に居た兵士たちが騒ぎ始める。


「おい、あれを見ろ!!」

「出た!!出たぞ!?」

百人隊長ケントゥリオ!!

 出た!ダイアウルフだ!!」


「何だと!?」

「まさか!!」


 兵士たちが指さす先には一頭のダイアウルフがその巨体を晒していた。対岸に広がる晩秋の葦原あしはらはあらゆる草木が枯れ果てて茶色に染まり、根元の方は黒ずんでさえいる。その草原を背景にダイアウルフの明灰色の毛色は浮き上がるかのように目立って見えた。まるで、俺はここに居るぞと気高く高らかに宣言でもするかのように。

 しかし、それを見つけた者たちは実戦経験もある歴戦の勇士たちである。我を忘れてその姿に見とれ、絶好の機会を逸するほど間抜けではなかった。長小銃を装備した四つの十人隊コントウベルニア十人隊長デクリオたちの号令が矢継ぎ早に響き渡る。


戦闘用意パラトゥス・アド・プロエリウム!ボヤボヤするな!!」

「弾は込めてあるな!?火縄を確認しろ!!」

整列オルディナートス・コンシスト!!横隊リーネア横隊リーネア!!」

構えーっパラトゥース!!狙えーっディスティーノ!!撃てぇイグニオーーっ!!」

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