静かな変化

第444話 新しい手

統一歴九十九年五月四日、朝 - アルトリウシア平野セヴェリ川/アルトリウシア



 ドナートたちがアルトリウシア襲撃の指示を受け、アルトリウシア平野へ到着してから二回目の夜が明けた。セヴェリ川北岸の警戒態勢は相変わらず厳重なままで、復旧復興作業に人員を取られてまともな軍事行動はとれないというイェルナクのもたらした情報に疑問を呈したくなるような状況が続いていた。

 河岸には数か所に屋根だけのタープテントが貼られ、昼も夜も絶えず軍団兵レギオナリウス十人隊コントウベルニウム単位で待機している。雨が降ってもそこからいつでも銃を撃てるという寸法だ。そしてそれとは別に定期的に歩哨ほしょうが巡回し、日が没している間は河岸に沿って篝火かがりびや焚火が煌々こうこうと焚かれてまったく隙が無い。


 その背後では相変わらず繁みを刈ったり燃やしたりという作業を繰り返しているが、それが何を意味するのかはドナートたちには未だに良く分からなかった。おそらく、セヴェリ川を渡って来るドナートを迎撃しやすいように、射撃の邪魔になる草を取り除いているのであろうということは予想がつくのだが、それにしたところで予想の域を出ない。

 だいたい除草して射界を確保するのは、十分な防御火力が配置されて初めて意味があるものなのだ。セヴェリ川河口まで二マイル(約三・七キロ)以上あり、そんな広範囲に銃兵を配置することなど現実的ではない。アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアは現状で実質四個大隊コホルス相当となる約二千人程度の戦力しか有しない筈であり、その全員を投入しても薄い横隊でカバーできるかどうかといったところだ。兵士だって疲労はするのだから交代して休憩させる必要があることも考えればとても現実的とは思えない。


 そしてドナートたちが隠れている南岸からは見えない場所から聞こえてくるダイアウルフの遠吠え・・・あれもドナートたちには不可解なものの一つだった。

 ダイアウルフはハン族の限られた勇者にしか従わない。それはハン族にとっての常識である。だが、遠吠えを聞く限り対岸にはダイアウルフが少なくとも二頭はいるようだった。


 捕虜になったゴブリン兵が居るのかもしれない…それくらいはドナートも想像がつく。あの日戦死したと思われている部下のうち何人かが生き残っていたとしても不思議ではない。全員の死体を確認したわけではないのだ。

 だが、ゴブリン騎兵なら捕虜になったとしてもダイアウルフの脚力を頼りに脱走を試みるだろう。誇り高いゴブリン騎兵が敵の軍門に降り、あまつさえその言うことを聞いているというのは納得のいく話ではない。

 それにこちらから遠吠えを返させているにも拘わらず、向こうのダイアウルフは一度も姿を見せていない。ダイアウルフの遠吠えは人間や他の畜獣に真似できるものではないから、ダイアウルフが居ることは間違いないはずなのだが、こちらから遠吠えが聞こえても姿を見せないと言うのは、ダイアウルフの性質を考えると理解に苦しむ。


 捕虜になったゴブリン騎兵が率先して協力している…そうでなければこのようなことにはなり得ない。


 考えたくない可能性だった。ハン支援軍アウクシリア・ハンにはレーマ貴族と懇意にしている王族も居るのだが、ゴブリン兵は一般にレーマ人から不当に見下され、差別的な扱いすらされる存在だ。その中でゴブリン騎兵はハン族のエリート兵であり、気位が高い者が多い。エリート意識が強いにも拘わらず、王族からならともかく普通のレーマ人からも他のゴブリン兵と同じように粗末な扱いを受けるため、ゴブリン騎兵は他のゴブリン兵よりもずっとレーマ人の事を嫌っていた。率先してレーマ人と付き合おうとする者など、ドナートの知る限り存在しない。

 にもかかわらず、今アルトリウシアでレーマ人に協力している者がいるとすれば、それはもう最初から裏切っていた可能性を考えねばならなくなる。


「ふぅぅーーーーっ」


 ドナートは何度目になるか分からないため息をついた。


「隊長、手が止まってますぜ?」


「あ!?…ああ…」


 いつの間にか朝食を口に運ぶ手が止まっていたようだ。副官のディンクルが気を遣って声をかける。


「ひとまずこのまま様子を見るしか無いんじゃないですかね?

 あいつ等、どうやらあそこの草を刈りたいみてぇだ。

 でも、どうやらこっちから遠吠えが返ってくると作業を中断しちまう。

 敵の兵隊どもはダイアウルフを恐れてねぇみたいだが、草刈りしてる奴らはそうでもないみたいだ。

 今のまま遠吠え返し続けて作業を遅らせ続ければ、そのうち中々草刈りが進まなくて、連中しびれを切らしちまうんじゃないですかね?」


 ディンクルは酢水ポスカ軍用パンパニス・ミリタリスを浸しながらそう慰めた。


 ディンクルがそう予想するのにはもちろんちゃんとした根拠がある。

 最初の二回の遠吠えはいずれも彼らがまだアルトリウシア平野内陸部にいた時だったので、遠吠えが返ってきた際の対岸の様子は確認できていなかった。しかし昨日の日中、河岸の藪の中から見ている時に初めて遠吠えを返したのだが、アルトリウシア側では遠吠えを返した途端に草を刈ったり焼いたりしていた連中が急に作業を止めて引っ込んでいく様子を確認することが出来た。

 その後しばらくして再び遠吠えが聞こえ、こちらがあえて遠吠えを返さない様にしていると、作業員が戻って来て草を刈ったり焼いたりといった作業を再開し始めるのだった。


「そうかもしれん…が、それではいつ敵がしびれを切らしてくれるかわからんし、しびれを切らした敵がどう動くかも予想がつかん。

 いっそ、こっち側へ渡って来てくれればやりようもあるんだが…それは無いだろう。むしろ、こっちのしびれが先に切れるだろうよ。」


「そんなに急がにゃならん理由でもあるんですか?」


 ドナートと違って作戦を立案したディンキジクのやや焦りを滲ませた様子を目の当たりにしていないディンクルには、この作戦で急いで成果を出さねばならないという緊張感が無い。


「忘れたのか?

 エッケ島とアルトリウシア平野の間に歩いて渡れるルートを開拓しなきゃいけないのを…」


「あっ!」


「そっちも冬になる前にやらねば春まで出来なくなってしまう。

 ディンキジク様は前回の偵察作戦失敗をイェルナク様に助けていただいたので、その借りをお返しになりたいのだ。せっかくイェルナク様が我々の失敗を補ってくだすったのに、敵にダイアウルフ捜索を認めさせられなければそれも無駄になってしまう。

 だからディンキジク様はなるべく早く…できればサウマンディアへ渡られたイェルナク様が御帰りになられる前に、敵にダイアウルフ捜索を認めさせたいのだ。

 そうすれば、こっちの偵察は下っ端の奴らでも出来るし、俺たちは安心してエッケ島とアルトリウシア平野のルート探索に専念できるようになるだろう?」


「ん~~~、やっぱオレらじゃ偉い人にゃ考えがおよばねぇや。」

「確かに言われてみりゃそうだ。

 敵がオレらにアルトリウシア平野でダイアウルフを探して良いって言や、こっちはオレらじゃなくても、未熟者でも来れるようになっちまう。」

「見つかっても文句言われねぇんなら、誰でもいいもんなぁ」


 部下たちは作戦を急がねばならない理由に納得するとしきりに感心して見せた。


「でも、だからってダイアウルフを突っ込ませるわけにはいかねえですよ。

 突っ込ませることも出来ないのに遠吠え聞かせて足らねぇって言うんなら、もう姿を見せるくらいしかねぇ。」

「姿なんか見せたら撃たれっちまうぜ?」

「川のこっち側で姿を見せるのさ。

 セヴェリ川は幅が百ピルム(約百八十五メートル)はあるんだ。撃たれたって短小銃マスケートゥムじゃ弾は届かねぇ。」

「こっち側で姿を見せて遠吠えさせてみせるのか?」

、勝手にアッチに渡っちまうんじゃねぇか?」


 ディンクルがアイディアを出すと部下たちがああでもないこうでもないと話し合いを始める。姿を見せるダイアウルフは、アイゼンファウストへ突入させるために連れて来た騎手無しのダイアウルフだ。どういうわけかどの騎手も乗せないダイアウルフは常に一定数おり、繁殖以外に使い途が無い。どうせ敵地に突っ込ませるなら騎手を乗せてくれるダイアウルフよりは・・・ということで連れて来られた奴だった。

 当然だが、そういうダイアウルフはゴブリン兵とのコミュニケーション能力がやや劣るため、予想外の行動をしでかしたりする。実際、彼らの制止も聞かずに勝手に遠吠えを返してしまった実績もあった。である以上、彼らが姿を隠してダイアウルフだけを川沿いに出させたとき、アイゼンファウストに居るであろうダイアウルフと遠吠えを交わせば、彼らの制止を無視してセヴェリ川を渡ってしまう危険性は確かにある。


「いや、だからと言って他に手もないだろう。

 よしっ!それを試してみよう!!」


 ドナートはそう言うと手に持っていたチーズを一気に口に放り込んだ。

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