第443話 面会の申し込み

統一歴九十九年五月三日、午後 - ティトゥス要塞司令部プリンキピア・カストリ・ティティ/アルトリウシア



「ではスパルタカシウスルクレティウス様は納得してくださったのね?」


 アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子はルクレティウス・スパルタカシウスの元を辞してからその足でエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人の執務室ビューローを訪れていた。スパルタカシウス邸は同じティトゥス要塞の敷地内にあるため、歩いてすぐである。アルトリウスはエルネスティーネに養父ルキウスの様子と子爵としての業務を一時的に引き継いだこと、そしてルクレティウスと面会したことを報告した。


「事情は御理解いただけたようです。」


「それは良かったわ。

 昨日、私がルクレティアの事を御報せしたら少し気が動転しておられたご様子だったから…」


「一人娘の事ですから無理もありません。まして、スパルタカシウス様はまだリュウイチ様にお会いしておりませんし、娘が会ったこともない男と結ばれたと知って落ち着いていられる父親などおりますまい。」


「あら、親心がお分かりになるようになられたのね。

 でもアナタのお子さんは男の子じゃなかったかしら?」


 心配事が一つ消えたことで安心したのか、エルネスティーネがアルトリウスを揶揄からかうように笑いかけると、アルトリウスも笑いながら返した。


「そうですね、私に娘はおりませんが、一応妹が二人おりますので。」


「父親代わりというところかしら。

 そう言えばマイヨルの方はお元気かしら?」


 マイヨルとはアルトリウスの二人の妹の内、上の方…グナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨルの事だ。アルトリウスの二人の妹は伝統にしたがい、父親の名前を女性形にしたグナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシアが付けられていたため、名前の最後に姉の方をマイヨル(大きいという意)、妹の方をミノール(小さいという意)を付け、普段はグナエウシア・マイヨル/グナエウシア・ミノールと呼びわけられていた。

 グナエウシア・マイヨルは現在レーマの神学校へ留学中であった。


「時折手紙は来ております。

 やはり、レーマの暑さには随分参っていたようですね。冬になってようやく普通に過ごせるようになったと書かれていました。」


「そう、そう言えばアナタも大変苦労なされたそうね。」


 最近届いた手紙の内容を思い出し、アルトリウスは笑いながら答えた。レーマから出された手紙がアルトリウシアに届くのにだいたい三か月ほどかかるため、アルトリウスが読んだ手紙は今年の一月かそこらに書かれたものだった。レーマは北半球、アルトリウシアは南半球であるため季節は真逆である。

 夏にアルトリウシアを発ったらおおむね三か月ぐらいかけて赤道を越えて北上し、レーマにたどり着くのは初夏である。だからアルビオンニアからレーマへ行くと、冬を過ごすことなく夏から夏へ渡り歩くことにになる。

 アルトリウスも妹たちもどちらもハーフコボルトであるため、寒さには強いが暑さには滅法弱い。辛い夏を乗り切る前に赤道直下の灼熱を体験し、そのまま過ごしやすい冬を体験することなくレーマの夏へ突入することになるのだ。しかもレーマはアルトリウシアとは比べ物にならないほど暑く、冬でもアルトリウシアの春や秋ぐらいの気温にしかならないため、アルトリウスも留学中はかなり苦しんでいた。


「ええ、この世の地獄かと思いました。

 ですが私は男なので裸になれますから出かけた先でも水浴びできましたが、アイツは女ですから、夏の間はほとんど浴場バルネウムのある屋敷ドムスに引きこもってしょっちゅう水浴びしていたようです。」


「あらあら、大変ね。

 せっかくレーマに行ったのに、せめて涼しい間に満喫できればいいけど。」


 エルネスティーネはコロコロと笑った。

 男尊女卑社会であるレーマ帝国で女性が勉学を積む必要性はあまり認められていない。神官としての素質…すなわち魔力があるか、あるいは金によほど余裕があって本人も勉学を積みたいと望んでいる場合だけだろう。一応、女性でも跡継ぎになる可能性が高い場合は無理して勉学を積ませることもあるが、そんなのはごく一部の例外である。

 グナエウシア・マイヨルについて言えばそれらのどれでもない。ヒトではない以上、降臨者の血など引いているはずもないので魔力の素質なんて無いし、アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵家は上級貴族パトリキではあるが捨てるほど金があるわけではない。ましてやグナエウシア・マイヨルが入学年齢に達してレーマへ行ったのは去年の話でフライターク山噴火の後のことである。侯爵家も子爵家も御隣の伯爵家も財政が火の車になっていた頃のことだ。ルキウスは子爵家当主になっていてアルトリウスもいた以上、グナエウシア・マイヨルが跡取りになる可能性は限りなくゼロに近いため、勉学をさせる必要は全くない。にもかかわらず無理してグナエウシア・マイヨルをレーマへ留学させたのは、ある意味人質を出したようなものだった。


 アヴァロニウス氏族はかつてレーマ帝国と敵対していたアヴァロンニアの名門貴族である。レーマに敗れて軍門に降り、故郷を負われてアヴァロンニア支援軍アウクシリア・アヴァロンニアとしてアルビオンニア属州へ流れつき、十九年前にようやく子爵に叙爵され貴族として復権した一族だった。復権するまで半世紀以上は経っているが、しかしレーマにはいまだにアヴァロニウス氏族を警戒している有力貴族たちが存在しているのである。

 そうした貴族らの警戒を解き、安心させるためにアヴァロニウス氏族の宗家たるアルトリウシウス家は子弟をレーマへ留学させる必要があったのだ。同時に、レーマ本国の貴族たちとのコネクションを築いて、アヴァロニウス氏族の帝国内での立場を高めることも求められている。


 そのためには積極的に外へ出る必要があるのだが、悲しいかなレーマの気候はハーフコボルトには暑すぎるのだ。アルトリウスもレーマに到着して最初の三~四か月はほとんど何もできなかった。しかも、アルトリウスはレーマを訪れた最初のハーフコボルトであったため、暑さへの耐性の無さを周囲が理解してくれず、社交性が無いとか内向的であるとかかなり誤解され、余計に苦労することとなった。


「まあ、涼しくなれば大丈夫でしょう。

 アレは人当たりの悪い方ではありませんし…夏の間も一応挨拶だけはちゃんとして回っていたようですから…


 それで、急に話を戻しますが、挨拶なのですが…」


 アルトリウスの声色が変わり、エルネスティーネは香茶を一口飲んだ。


「何かしら?」


「先生…いや、スパルタカシウスルクレティウス様のことです。

 スパルタカシウス様が今回のことでリュウイチ様に是非ご挨拶申し上げたいと申されておりまして…」


 エルネスティーネはそれを聞いて小さくため息をつき、手に持っていた茶碗ポクルムメンサに置いた。


「そう、言われてみれば当然の事よね。」


 ルクレティウスの立場からすれば一人娘を嫁に出したようなものなのだ。その婿たるリュウイチに挨拶くらいするのは当然だろう。リュウイチが降臨者でなければ、むしろリュウイチの方が挨拶に来なければならないくらいだ。

 しかし、この世界ヴァーチャリアでは降臨者は最もたっとき存在とされている。降臨者の血筋を自らの権威の根源とする聖貴族コンセクラトゥスである以上、ルクレティウスはリュウイチの方を上の身分として扱わねばならない。であるならば、ルクレティアを貰ってくれたリュウイチにを申し上げたいという事になのだろう。


 だが、ルクレティウスのリュウイチへの面会には問題がある。リュウイチの存在は現時点では秘さねばならない。もちろん、ルクレティウス自身は既にリュウイチの存在を知っているので、会わせること自体に問題は無いのだが、聖貴族であるルクレティウスが降臨者であるリュウイチに挨拶しに行くという形式をとらねばならないため、ルクレティウスがマニウス要塞カストルム・マニを訪れることになるだろう。

 しかし、大神官ルクレティウスは下半身不随である。その移動には多数の神官が随行する必要があり、その行列はどうしても人目を引くような規模にならざるを得ない。他の貴族たちのように「お忍び」が出来ないのである。当然、ルクレティウスがマニウス要塞へ赴くにあたっては、本来とは別の、公式発表用のもっともらしい理由も用意しなければならない。


「それで、アナタは何とお答えしたのかしら?」


 エルネスティーネは額を揉みながらアルトリウスに尋ねた。


「断ることはできませんので、『調整はする』と申しました。

 そしてルクレティア様が御戻りになられてから、一緒に御挨拶申し上げることを御提案させていただきました。」


「ルクレティア様と?

 調整するというのは良いとして、ルクレティア様と一緒としたのはどういう理由からかしら?」


 調整が必要なのは間違いない。即座に実行できない上に、ただでさえ他が忙しく準備を整えるのが難しい以上、「調整する」というのを言い訳にして時間を稼ぐのは間違っていない。だが、「ルクレティア様と一緒に」と言ってしまえば、ルクレティアが戻り次第準備を整えなければならなくなってしまう。せっかく稼いだ時間を自分で制限してしまったことに、エルネスティーネは疑問を抱いたのだった。


「はい、今のルクレティア様なら浄化魔法が使えます。

 これで随行者をだいぶ減らせますからが出来るのではないかと…」

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