第442話 明かされるの真相

統一歴九十九年五月三日、昼 - ティトゥス要塞カストルム・ティティ内スパルタカシウス邸/アルトリウシア



「はい、既に侯爵夫人マルキオニッサからお聞き及びと存じますが…」


 アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子が答えるとルクレティウス・スパルタカシウスは背後のクッションに頭を沈めて天井を見上げた。


「ハァ~~~っ、まだ信じられんよ。本当なのか?」


「間違いありません。一昨夜、ルクレティアはリュウイチ様と御同衾ごどうきんなさいました。

 ルクレティアはリュウイチ様から多数の魔道具マジック・アイテム下賜かしされております。」


 元教え子アルトリウスの答えを聞きながらルクレティウスはうつむき、額に手を当て揉み始める。理解が追い付かず、彼自身混乱しているのだ。


「ルクレティアはそれらの魔道具を使い、様々な魔法を使って見せたとのことです。

 何でも、魔法の練習でゴーレムや『鬼火』ウィル・オ・ザ・ウィスプを召喚したりしたとか…」


「君もそれを見たのかね?」


「いえ、実は私も翌朝になって初めて話を聞かされておりまして…」


「ふぅぅ~~~~っ」


 ルクレティウスは額から手を放し、顔を起こすとベッドわきのテーブルから自分の茶碗ポクルムを手に取った。茶碗からは香茶の湯気が立ち昇っている。室内にきつく焚かれた香の香りにかき消されて臭わないが、香の香りに慣れ過ぎてしまったルクレティウスには香茶の香りを嗅ぐことができるらしい。茶碗を口元へ運んで、香茶の香りを数秒愉しむと、そのまま茶碗を腹の上あたりに降ろして両手で抱え持った。


「先生?」


「うむ…いや、すまない…自分でもどう受け止めていいかわからないのだ。

 ルクレティア聖女サクラになった…これは喜ぶべきことなのだが…」


「お察しします。私も昨日初めて話を聞いた時には同じように思いました。」


「何故、そうなったのだ?

 ルクレティアが十八になるまで待つという話であったろう!?

 何故なにゆえルクレティアはそのことを手紙に書いて寄こさん!?」


 ルクレティウスの元には今日の午前中に手紙が複数届いている。それらはいずれもルクレティアの下にいる神官や侍女たちから寄こされた報告であり、昨日エルネスティーネが報告した内容を裏付けるものだった。しかし、詳細な部分には触れられていなかったし、肝心のルクレティア本人からの手紙は届いていない。

 ルクレティアが聖女になった…それは芽出度めでたい。間違いなく喜ぶべきことだ。だが、本当にそうならルクレティア本人からしらせがあっていいはずだった。そのことがルクレティウスに「何かあったのではないか」という疑念を抱かせている。


「手紙については…ルクレティアご本人も、おそらく混乱されておられるのでしょう。何故そうなったかにつきましては、先ほども申しましたように私も翌朝聞かされたもので、詳細はわかりません。

 ただ、リュキスカ様の体調が思わしくなかったため、ルクレティアが代わりにとこを温めておられたところ、リュウイチ様が床に入られて…と」


 ルクレティウスは茶碗を口元へ運び、香茶を啜った。アルトリウスの言ったそれは貴族ノビリタスの間ではである。実態としては主人がベッド温め係の女に手を出すためのである場合がほとんどではあるが、それについてわざわざケチをつけたり否定したりするような野暮な人間はレーマ帝国貴族にはまず居ないだろう。だいたいベッド温め係という存在からして、半ばのために存在するようなものなのだ。しかし、そのベッド温め係が有力者に取りいるために誰にも無断で勝手にやった場合…つまり、ルクレティアが聖女になるために自分からベッドへ潜り込んだのだとしたら、それは十分に醜聞となりうる。男尊女卑社会であるレーマ帝国で女の側が積極的に動くことなど許されないのだ。


「それを、信じてよいのか?」


「ご当人たち、リュウイチ様もリュキスカ様もルクレティア様も、いずれにお尋ねになられても同じようにお答えになるでしょう。」


 つまり、事実か、あるいは関係者の間で口裏合わせは出来ているということだ。降臨者の魔法による治癒をいつでも受けることができる聖女リュキスカが調なんてことがあるのか?とか、「十八に満たぬ娘には手を出さぬ」と宣言し一度はルクレティアを拒絶した降臨者がたまたまベッドで裸で寝ていたからと言って十五の娘に手を出すのか?とか、疑問を抱かずにはいられない部分はある。だが、そこに突っ込んでいくような無粋な者は少なくとも貴族の間ではまずあるまい。したがって、ということになる。


「既に魔道具を下賜されたとのことだが、よもやではあるまいな?」


 手を出しておいてを出す・・・それはつまり手切れ金であり、これでチャラと言うことだ。それでは聖女になれたとは言い難いし、それどころか娼婦メレトリクス同然に扱われたことになる。たとえ相手が降臨者とは言え娘をそのように扱われたとあっては大貴族パトリキとしての沽券こけんにかかわる問題だ。それがいくら貴重な魔道具だったとしても、名門スパルタカシウス家がそのような扱いを受けるなどとてもではないが容認できない。


「それはありません。ご安心ください。」


「確かなのかね?」


「はい…その、これは聞いた話なのですが…」


 いぶかしむルクレティウスにアルトリウスはチラっと部屋の隅で待機している使用人たちを見てから椅子ごと近づき、口を耳元へ寄せる。ルクレティウスは不自由な身体を動かして耳を近づけた。


「実はどうやら、魔道具を下賜なされようとしたのが先らしいのです。」


 ルクレティウスはわけのわからぬ話を聞かされたかのように顔をしかめ、アルトリウスの顔を見る。アルトリウスは無言のまま頷くと再び顔を寄せて話をつづけた。


「リュウイチ様はルクレティアがアルビオンニウムへ行かねばならないとお聞きになり、ルクレティアのお気持ちをおもんぱかられたようです。

 不本意ながらリュウイチ様の下を離れねばならぬルクレティアが御心を安んじられますようにとのおはからいで、魔道具を将来聖女に迎える証として下賜なされようとなさいました。」


 そこまで話すとルクレティウスは顰めていた顔を緩めはしたが、未だ腑に落ちぬと言う様子でアルトリウスの顔を見直す。


「それでは…魔道具がなどではないことはそれで分かる。だが、そこから何で一昨夜いっさくやの同衾という話になるのだね?」


「それはきっかけにすぎません。話はこれからです。」


 アルトリウスはそう言って再び顔を寄せ、ルクレティウスはまたアルトリウスの方へ耳を傾ける。


「ルクレティアは随分とお悩みになられました。

 大協約を考えれば魔道具などお受け取りになられるわけもありません。

 ですが、『聖女に迎える証』をお断りすれば…」


「聖女になれなくなる…ということか…」


左様さよう、そこで悩んだあげく答えを出せず、判断を養父ルキウスにゆだねられたのです。そこで養父ルキウスはルクレティアのお気持ちとリュウイチ様と御真意をそれぞれお話いただき、リュウイチ様にルクレティア様の同衾を御認めくださるようお願い申し上げたとのこと…」


「むむぅ~~~っ」


 ルクレティウスは低く呻り、顔は正面を向いたままアルトリウスの方へ傾けていた姿勢をもとに戻した。

 アルトリウスの話を聞くと、同衾というのは魔道具を渡すための偽装工作であるようにも思えて来る。確かに今のままルクレティアが魔道具を受け取れば、大協約で定められた《レアル》の恩寵おんちょうの独占禁止に間違いなく抵触するだろう。しかし、ルクレティアが一旦聖女になってしまえば話は別になる。聖女は降臨者の妻であり、奴隷と同様に降臨者の所有物とも見做みなされるからだ。同衾してルクレティアが聖女になったとなれば、ルクレティアが魔道具を受け取り使用したとしてもどこからも文句を言われる筋合いはない。大協約は降臨者に帰還してもらう事、そして仮に留まるにしても活動範囲を局限することを前提にしていて、降臨者がこの世界ヴァーチャリアの人間を新たに聖女としてめとったり奴隷として所有したりすることを想定した条文はないからだ。

 だが、もしもルクレティアに魔道具を受け取らせるために同衾を偽装していたとなれば、それは悪質な大協約違反となってしまうだろう。


 ルキウスならやりかねない…


 ルクレティウスには飲んだくれていた頃のルキウスの記憶がまだ明確に残っている。そして、ルキウスは基本的には真面目な領主ではあるが、あの飲んだくれていた頃の性分が根本的に治ったわけではなく、時折だが不謹慎な側面を人に覗かせてしまうことがあった。


「では同衾というのは?」


「御同衾あそばされた事は確かです。それは間違いございません。」


 アルトリウスは前に傾けていた姿勢を戻してそれだけハッキリ言うと、脇の円卓メンサに置かれていた自分の茶碗を取って香茶を一気にグイっと飲んだ。アルトリウスもルクレティウスが想像した可能性については心当たりがあったからだ。しかし、ひとかどの領主たるルキウスに対し明確に疑念を露わにすることなど許されることでもない。

 ルクレティウスはアルトリウスに鋭い視線を走らせ、声を低くして尋ねる。


「その話、どこから?」


 事が明るみになれば、ルキウスはもちろん、ルクレティアも罪に問われるであろうし、本人たちのみならずアヴァロニウス、スパルタカシウスの両氏族に累が及びかねない重大な事件となることは間違いない。ありがたい話ではあったが、知らぬ間にとんでもない爆弾を背負わされたようなものだ。


「リュウイチ様の御傍おそばに仕えておる者たちから、昨日聞きました。

 ご安心ください。それらは私の被保護民クリエンテスで堅く口止めはしてあります。

 私も先生以外に話しておりませんし、今後誰にも話すつもりはございません。」


 アルトリウスのこの情報源はリュウイチの奴隷たちであり、彼らから聞いた話の断片を総合してアルトリウスがまとめたものだった。アルトリウス自身、これがどういう意味を持つかは理解しているし、今のところルクレティウス以外には話していない。

 ルクレティウスはいつの間にか冷めてしまっていた香茶の残りを一気に飲み干した。


「そうか、わかった。

 ありがとう、君から話を聞かせてもらえてよかったよ。」

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