第447話 プロパガンダ

統一歴九十九年五月四日、昼 - マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 アルトリウシア領主ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵に朝から呼び出されて行った軍団長レガトゥス・レギオニスアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子に代わり、軍団レギオーの留守を任されていた筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスラーウス・ガローニウス・コルウスは今日と明日の準備に余念が無かった。


 今日は土曜日で明日は日曜日…日曜日はマニウス要塞に滞在しているカール・フォン・アルビオンニア侯爵公子と日曜礼拝を共にするため、エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人とその家族が今日、マニウス要塞を訪れることになっているからである。これに合わせて要塞司令部プリンキピアで侯爵夫人を招いて軍関係者らが一同に会し、アルトリウシア復興事業に関する会議を行う予定だ。そして、明日は侯爵家が日曜礼拝をしている間、陣営本部プラエトーリウムから降臨者リュウイチと第一聖女サクラ・プリマリュキスカが神父らに見つからない様にするため要塞司令部へ避難し、ついでに二人に対して復旧復興状況の報告会が催されることになっている。

 侯爵家の家族を遇する役目は要塞司令プラエフェクトゥス・カストロルムのカトゥス・カッシウス・クラッススが担うことになっているが、今日の会議と明日の報告会はラーウスが取りまとめねばならない。アルビオンニアでもっとも高貴な属州領主ドミナ・プロウィンキアエである侯爵夫人とこの世界ヴァーチャリアで最も高貴な降臨者を相手にした会議が二つ連続して続くのである。どちらも手落ちなど許されるものではない。特に後者は、普段何かあるごとにフォローをしてくれているルキウス抜きでやらねばならぬとあって、ラーウスの気合の入り様も格別であった。


「この報告は間違いないのか!?」


 ラーウスは手渡された走り書きのメモを見ながら、上体を伸びあがらせて持ってきた連絡士官テッセラリウスに確認する。


「ハッ、速報であります。

 現在、軽装歩兵隊ウェリテス一個百人隊ケントゥリアを派遣し、戦果を確認中であります。

 カエソーニウス・カトゥスゴティクス殿は、その戦果報告を待って帰陣するため、少々遅れるとのことであります。」


「どうかしたのですか?」


 ラーウスが「ごくろう」と労って連絡士官を退出させると、ラーウスと共に報告資料を確認していた軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのプピエヌス・アヴァロニウス・ルッススが問いかけて来る。朝からずっと緊張しっぱなしだったラーウスの顔が、今日初めて喜色ばんでいたので気になったのだ。


「あ?…ああ、セヴェリ川でダイアウルフに遠吠えさせてるのは知っているだろう?」


「ええ、それが?」


「ダイアウルフを発見し、射撃したんだそうだ。」


「ダイアウルフを!?

 川を渡ってきたんですか?」


「いや、対岸で藪の中から姿を現したらしい。

 こちらからの遠吠えに釣られたんだろうな。」


「え?川の対岸じゃ届かんでしょう!?

 いや、こっちから渡って行ったんですか?」


 レーマ軍の主力小銃はマスケトーナと呼ばれる全長の短いフリントロック銃だ。人間大の的マン・ターゲットに対する有効射程はたったの二十六ピルム(約四十八メートル)しかなく、ひとまとまりに固まった戦列歩兵の集団…つまりエリア・ターゲットに対する有効射程でも八十ピルム(約百四十八メートル)しかない。しかも、ここでいう有効射程というのは狙って十発撃って五発以上命中することが期待できる距離のことであり、百発百中を期待できる距離の事ではない。そしてセヴェリ川の川幅百ピルム(約百八十五メートル)はある。そのセヴェリ川の手前から対岸の藪までは狙って撃ったところで命中なんか期待できるわけもなかった。プピエヌスが川の対岸に渡ったか、あるいは川の中に入って撃ったと思ったとしても無理はない。驚くのは当然だった。


「いや、そうじゃない。

 オーハザマを十六丁、持ち出したんだ。」


「オーハザマを!?」


 オーハザマはアルトリウスの妻コト・アリスイアが嫁いでくる際に実家のアリスイ氏族から送られてきた火縄銃だ。レーマの銃が砲金(銅と錫の合金)で鋳造されるのに対し、オーハザマは鉄で鍛造されて作られている上に銃身長が一ピルム(約百八十五センチ)を超える。口径はレーマの短小銃マスケートゥムとほぼ同じだが、サボを使って打ち出される専用の弾は銅板製の尾翼の付いた楕円形の鉛玉で九十スクリプルム(約百三グラム)ほどもあり、短小銃の一丸玉の二倍近く重たい。銃自体も百二十リブラ(約四十キロ)と非常に重く、発砲時は二人がかりで担いで撃たねばならない代物だ。

 しかし、非常に長い銃身を持つだけあって、ライフリングの無い滑腔銃身であるにもかかわらず有効射程は二百ピルム(約三百七十メートル)ほどにも達し、セヴェリ川越しに対岸の目標を狙うくらいは余裕で出来てしまうだけの性能を誇っていた。


 ただ、それだけ高性能な銃ではあったが、ただでさえ湿気に弱い前装式の銃であるうえに、銃身が長すぎることもあって弾の装填は非常に手間がかかり、火縄の管理の必要もあるため、短小銃よりも雨に弱い。特に今日のような朝から霧雨が断続的に降っているような天候では使い物にならないだろう。

 そのため、雨が多いアルトリウシアでは基本的に城塞カストルム等の防御拠点の屋内からの射撃でのみ使うこととされ、屋外に持ち出されるのは行軍訓練か、雨の心配の少ないライムント地方等へ遠征に行くときだけに限られていた。

 

「今日みたいな天気で使えたんですか?」


「使えたから『撃った』と報告があるんだろう?

 まあ、百ピルムを越える遠距離射撃になるのは間違いなかったし、だから十六丁も用意したんだが、それが良かったんだろうな。

 一丁や二丁程度じゃ撃てなかっただろう。」


 前装式の銃はどうしても湿気に弱くなる。火薬が直接外気に晒されるからだ。ライムント地方やサウマンディアのように乾燥した地域なら、弾を装填したままでもしばらくは大丈夫だが、湿気の多いアルトリウシアや船の上などでは弾を込めっぱなしにしていると火薬が湿気を吸って撃てなくなってしまう。だから、なるべく撃つ直前に装弾し、湿気る前に撃ってしまわなければならないが、長小銃オーハザマの場合は銃身が長すぎるため、弾を込めるだけで短小銃マスケートゥムの倍以上の時間と手間がかかり、余計に火薬が湿気易いのだ。火縄銃なので火薬の湿気が無ければ発砲の成功率はフリントロック式の短小銃よりもずっと高いはずなのだが、アルトリウシアで多い霧雨の降る中では素早く装弾できる短小銃より発砲成功率が低くなってしまう傾向があった。

 そこで、その発砲成功率の低下を補うために投入可能な十六丁すべてを集中させたのだった。仮に発砲成功率が三分の二に低下したとしても、十六丁あれば十丁程度は確実に発砲に成功するだろう。そして、発砲に成功した数が増えれば命中の可能性も必然的に高くなる。


「なんと大胆な。」


 プピエヌスは呆れ半分、感心半分といった風に声を漏らすと、ラーウスは改めて苦笑してみせた。


カエソーニウス・カトゥスゴティクスらしいよ。

 一見突拍子も無いが、理屈の上では間違っちゃいない。

 まだブルグスが未完成で大砲を据えられないなら、長小銃オーハザマを持ち込むしか対岸を攻撃する方法はないんだからな。」


「じゃあ、ダイアウルフは仕留められたんですか?」


 ダイアウルフを仕留めたのなら、現在抱えている問題がかなり解消されることになる。素人ではない筈のプピエヌスが期待を抱いてしまうのも当然だろう。


「いや、何せあのセヴェリ川の対岸だからな…

 一応、戦果確認のために軽装歩兵を送り込んだらしい。」


「危険ではありませんか?」


 プピエヌスは眉を寄せ怪訝な表情を浮かべた。セヴェリ川は浅いが広い川だ。歩いて渡れるが、渡るのにはそれなりに時間がかかり、往来は簡単ではない。装備…特に鉄砲や爆弾の類は渡河の最中に濡れでもしたら使えなくなってしまう。それなのに無理して渡って藪の中にダイアウルフ騎兵が隠れて待ち構えていれば、渡った部隊は損害を受けてしまう危険性が高い。

 だが、ラーウスはプピエヌスの懸念を重くは受け止めなかった。


「罠かもしれんってことか?どうかな?

 確かに視界の効かない藪の中はダイアウルフの方が有利かもしれん。

 この間の海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリアでリクハルド卿を追い返したという話もあるしな。

 だが、今回はだろう?」


「ゴブリン騎兵が居ないとは限らないではありませんか?

 というか、イェルナクの話を信じておられるのですか!?」


「まさか!」


 ラーウスはお道化て見せ、それから手品の種明かしをする手品師のような顔をして続けた。


「だが、イェルナクの話によれば騎兵は…そうだろう?

 なら、あそこにゴブリン騎兵は居ちゃいけない。居たとしても、見つかっちゃいけない筈だ。」


「つまり、積極的に反撃はして来ないということですか?」


「してくればどうなるか…奴らは自分の立場を分かってると思うよ。」


 ラーウスは楽し気に歌うように言うと続けた。


「だが、これは使えると思わないか?」


「使える?」


 プピエヌスはラーウスが何を言いたいのか分からず首を傾げる。


「ダイアウルフと、例の羊飼いの少女」


「ああ、ちまた『馬乗り赤ずきん』パルラータ・ルブルム・エクィターンスとか呼ばれてる?」


「巷では、彼女たちがアルトリウシア平野からダイアウルフを呼び寄せたと噂が流れてるそうだ。そのせいで住民たちが彼女たちを恨んでいるらしい。」


「ああ、それは私も聞きました。さすがにあれはどうかと思いますが…」


「いや、逆にその噂通り彼女たちが呼び寄せた事にしよう。」


「はっ?!でもそれじゃ住民たちの恨みが彼女に…」


 プピエヌスの指摘をラーウスは遮ると悪戯っぽく笑った。


「それが、ダイアウルフを仕留めるための罠だったとしたら?」

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