第447話 プロパガンダ
統一歴九十九年五月四日、昼 -
アルトリウシア領主ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵に朝から呼び出されて行った
今日は土曜日で明日は日曜日…日曜日はマニウス要塞に滞在しているカール・フォン・アルビオンニア侯爵公子と日曜礼拝を共にするため、エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人とその家族が今日、マニウス要塞を訪れることになっているからである。これに合わせて
侯爵家の家族を遇する役目は
「この報告は間違いないのか!?」
ラーウスは手渡された走り書きのメモを見ながら、上体を伸びあがらせて持ってきた
「ハッ、速報であります。
現在、
「どうかしたのですか?」
ラーウスが「ごくろう」と労って連絡士官を退出させると、ラーウスと共に報告資料を確認していた
「あ?…ああ、セヴェリ川でダイアウルフに遠吠えさせてるのは知っているだろう?」
「ええ、それが?」
「ダイアウルフを発見し、射撃したんだそうだ。」
「ダイアウルフを!?
川を渡ってきたんですか?」
「いや、対岸で藪の中から姿を現したらしい。
こちらからの遠吠えに釣られたんだろうな。」
「え?川の対岸じゃ届かんでしょう!?
いや、こっちから渡って行ったんですか?」
レーマ軍の主力小銃はマスケトーナと呼ばれる全長の短いフリントロック銃だ。
「いや、そうじゃない。
オーハザマを十六丁、持ち出したんだ。」
「オーハザマを!?」
オーハザマはアルトリウスの妻コト・アリスイアが嫁いでくる際に実家のアリスイ氏族から送られてきた火縄銃だ。レーマの銃が砲金(銅と錫の合金)で鋳造されるのに対し、オーハザマは鉄で鍛造されて作られている上に銃身長が一ピルム(約百八十五センチ)を超える。口径はレーマの
しかし、非常に長い銃身を持つだけあって、ライフリングの無い滑腔銃身であるにもかかわらず有効射程は二百ピルム(約三百七十メートル)ほどにも達し、セヴェリ川越しに対岸の目標を狙うくらいは余裕で出来てしまうだけの性能を誇っていた。
ただ、それだけ高性能な銃ではあったが、ただでさえ湿気に弱い前装式の銃であるうえに、銃身が長すぎることもあって弾の装填は非常に手間がかかり、火縄の管理の必要もあるため、短小銃よりも雨に弱い。特に今日のような朝から霧雨が断続的に降っているような天候では使い物にならないだろう。
そのため、雨が多いアルトリウシアでは基本的に
「今日みたいな天気で使えたんですか?」
「使えたから『撃った』と報告があるんだろう?
まあ、百ピルムを越える遠距離射撃になるのは間違いなかったし、だから十六丁も用意したんだが、それが良かったんだろうな。
一丁や二丁程度じゃ撃てなかっただろう。」
前装式の銃はどうしても湿気に弱くなる。火薬が直接外気に晒されるからだ。ライムント地方やサウマンディアのように乾燥した地域なら、弾を装填したままでもしばらくは大丈夫だが、湿気の多いアルトリウシアや船の上などでは弾を込めっぱなしにしていると火薬が湿気を吸って撃てなくなってしまう。だから、なるべく撃つ直前に装弾し、湿気る前に撃ってしまわなければならないが、
そこで、その発砲成功率の低下を補うために投入可能な十六丁すべてを集中させたのだった。仮に発砲成功率が三分の二に低下したとしても、十六丁あれば十丁程度は確実に発砲に成功するだろう。そして、発砲に成功した数が増えれば命中の可能性も必然的に高くなる。
「なんと大胆な。」
プピエヌスは呆れ半分、感心半分といった風に声を漏らすと、ラーウスは改めて苦笑してみせた。
「
一見突拍子も無いが、理屈の上では間違っちゃいない。
まだ
「じゃあ、ダイアウルフは仕留められたんですか?」
ダイアウルフを仕留めたのなら、現在抱えている問題がかなり解消されることになる。素人ではない筈のプピエヌスが期待を抱いてしまうのも当然だろう。
「いや、何せあのセヴェリ川の対岸だからな…
一応、戦果確認のために軽装歩兵を送り込んだらしい。」
「危険ではありませんか?」
プピエヌスは眉を寄せ怪訝な表情を浮かべた。セヴェリ川は浅いが広い川だ。歩いて渡れるが、渡るのにはそれなりに時間がかかり、往来は簡単ではない。装備…特に鉄砲や爆弾の類は渡河の最中に濡れでもしたら使えなくなってしまう。それなのに無理して渡って藪の中にダイアウルフ騎兵が隠れて待ち構えていれば、渡った部隊は損害を受けてしまう危険性が高い。
だが、ラーウスはプピエヌスの懸念を重くは受け止めなかった。
「罠かもしれんってことか?どうかな?
確かに視界の効かない藪の中はダイアウルフの方が有利かもしれん。
この間の
だが、今回はダイアウルフしかいない筈だろう?」
「ゴブリン騎兵が居ないとは限らないではありませんか?
というか、イェルナクの話を信じておられるのですか!?」
「まさか!」
ラーウスはお道化て見せ、それから手品の種明かしをする手品師のような顔をして続けた。
「だが、イェルナクの話によれば騎兵は居ないことになっている…そうだろう?
なら、あそこにゴブリン騎兵は居ちゃいけない。居たとしても、見つかっちゃいけない筈だ。」
「つまり、積極的に反撃はして来ないということですか?」
「してくればどうなるか…奴らは自分の立場を分かってると思うよ。」
ラーウスは楽し気に歌うように言うと続けた。
「だが、これは使えると思わないか?」
「使える?」
プピエヌスはラーウスが何を言いたいのか分からず首を傾げる。
「ダイアウルフと、例の羊飼いの少女」
「ああ、
「巷では、彼女たちがアルトリウシア平野からダイアウルフを呼び寄せたと噂が流れてるそうだ。そのせいで住民たちが彼女たちを恨んでいるらしい。」
「ああ、それは私も聞きました。さすがにあれはどうかと思いますが…」
「いや、逆にその噂通り彼女たちが呼び寄せた事にしよう。」
「はっ?!でもそれじゃ住民たちの恨みが彼女に…」
プピエヌスの指摘をラーウスは遮ると悪戯っぽく笑った。
「それが、ダイアウルフを仕留めるための罠だったとしたら?」
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