第1274話 面会の相手

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 クソっ、何をされた? 何の魔法だったんだ???


 ティフ・ブルーボールともあろう者がいつの間にか魔法をかけられ、眠らされていた……その事実にハーフエルフの少年は自己嫌悪と疑念とにさいなまれていた。ハイエルフの父から血と共に引き継いだ魔法耐性にティフは自信を持っていたのだ。

 ティフ達は親から引き継いだ高い魔力により、幼少のころから魔法が使えていた。それどころか生まれた時から高い魔力を持っていたことから、物心つく前に魔力を暴走させて事故死した赤ん坊もいたくらいだ。そんな子供のことだから当然魔法を遊びでも使いたがってしまう。自制心の弱い子供が人を容易に死に至らしめる魔法を自由奔放ほんぽうに使ってはとんでもないことになるので、当然のように魔法の使用は厳重に戒められていた。が、禁じられたからといって素直に使わなくなるような子供ばかりではない。むしろ禁じられたからこそあえて使いこなして大物ぶりたがるのが男の子というものである。そして数ある魔法の中でも魅了とか状態異常をもたらすものは見た目に影響がない分バレにくいので、ムセイオンの聖貴族たちの間では互いに掛け合う悪戯いたずらが横行していたことがあったのだが、ティフたちハーフエルフはそうした遊びの中で無敵の強さを誇っていたのだ。

 それだけではない。ティフは《地の精霊アース・エレメンタル》との対峙を想定していた。それにグルグリウスも地属性の妖精であることは知っていたので地属性魔法対策は施していたのだから、魔法耐性に自信を持つのは当然と言えるだろう。

 ティフはグナエウス砦ブルグス・グナエイに来る前に貴重な聖遺物アイテムをスワッグ・リーに預けていたが、ペイトウィンが貸してくれた地属性魔法耐性を高める魔導具マジック・アイテムはあえて残して装備したままにしていたのだ。装備しているだけで《地の精霊アース・エレメンタル》が得意としている『荊の桎梏』ソーン・バインドなどの地属性魔法はほぼ無効化できる逸品である。

 元々魔法耐性が高い上に地属性魔法対策をしていた。それにも関わらず、地属性の妖精のはずのグルグリウスに魔法をかけられて眠ってしまった。これは由々しき事態だった。


 レーマ軍相手に戦うことになっても、《地の精霊》がティフを捕まえにかかってきたとしも、地属性魔法対策をしっかりして全力で逃げに徹すれば脱出くらいはできるはずだ……そう思っていた。そういう目論見だった。ところが自分でも気づかない間に魔法を使われて馬上で眠らされてしまったのである。


 地属性の魔法は今の俺には効かない。

 でも毒とか薬とかじゃないはずだ。

 俺は何も口にしてないし、何かを嗅がされたわけでもない。

 だいたい、あの風の中で俺にだけ薬を嗅がせる?

 そんなの風魔法でも使わなきゃ無理だろ。

 ……ひょっとして風魔法を使ったのか?

 いや、あの時風魔法の気配なんかなかった。

 それどころか水魔法も火魔法も使われた感じはしなかったよな?

 属性魔法じゃないってことか?

 無属性魔法か、光属性か闇属性?

 いやいや、《地の精霊アース・エレメンタル》もガーゴイルも地属性だぞ!?


 原因が分からなければ対策の立てようがない。思い切って敵の中に飛び込んだというのに、そこで対抗手段不明の魔法を見せつけられたのだから焦らないわけがなかった。


 レーマ軍と《地の精霊アース・エレメンタル》だけが相手なら何とかなるんだ、元々そのつもりで用意してきたんだからな。

 けどアイツのせいで、グルグリウスのせいで計画が狂ってしまってる。

 まずいぞ……脱出しようにもできなくなっちまいそうだ……


 ティフ自身は気づいていないがそれ以前に自力での脱出は困難な状況に陥っている。何せ砦の正門をくぐってから中央通りを歩いている途中で魔法で眠らされてしまったのだ。本当はグルグリウスがかけた魔法は視覚や聴覚といった感覚を一時的に麻痺させる魔法だったのだが、元々蓄積していた疲労もあったせいだろうティフはそのまま眠ってしまった。おかげで商業区の途中からグルグリウスに起こされた砦中枢までの砦の構造など地理情報を得られなかったのである。ティフは今、自分がグナエウス砦のどのあたりにいるのかという見当すらついていなかった。これで追手の追及を受けながら砦の外へ脱出などできるわけもない。だいたい、その追手の中にはあの《地の精霊》がいるのである。砦のある峠道のずっと手前からティフ達の接近に気づいていた精霊から逃れるには、それだけ遠くへ離れるまでは逃げ続けなければならない。途中で隠れて追手をやり過ごすなんて真似はできないということなのである。周辺地理が不案内な状態でこれではムリゲーすぎるというものだ。


 ……このグルグリウスってヤツだけはどうにかしないと……


 馬を降りたティフは前を歩くグルグリウスの背中を見ながらずっとそんなことを考えていた。焦り過ぎであろう。貧すれば鈍するとは言うが、グルグリウスという想像以上の脅威を前に動揺したティフは、入り口から案内された部屋までの建物の構造を観察することも忘れてしまっていたのだから・・・ティフがそのことに気づいたのは部屋に着いた後のことだった。


「ではこちらでお待ちください、ティフ・ブルーボール様」


 そこは造りこそしっかりしているが、豪華な調度品などほとんど置かれていない、最低限の応接セットを置かれただけの簡素な部屋だった。壁には一面にフレスコ画が描かれており、それが燭台の光に照らされているがティフには何の絵かよくわからない。


 何だココは……これが貴族が貴族を招く部屋だというつもりか?


 貴族は体面を重視する。己の権勢を誇り、自分がいかに豊かで力強いかを示さねばならない。そうでなければ庶民に舐められ、その権威を自ら貶めることになるからだ。ゆえに他人と会う時、人前に出る時はとにかく見栄を張る。豪華に着飾り、多数の従者をはべらせることで、自分のことを尊重せざるを得ないように印象付けるのだ。

 それが常識となっている貴族社会において、逆に見栄を張らないということは相手を“他人”として見ていないということになる。もっといえば、見下しているということだ。


 ティフが案内された部屋はグナエウス砦ブルグス・グナエイで最も豪華な宿舎である陣営本部プリンキパーリス応接室タブリヌムだった。陣営本部とはその砦に駐屯する軍団レギオー軍団長レガトゥス・レギオニスが宿泊するための宿舎で、軍団の司令部としての機能も併せ持っている。

 レーマ軍で軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム以上の役職には基本的に貴族ノビリタスしか就くことができない。特に軍団長ともなると基本的に貴族の中でもさらに上位の上級貴族パトリキか上級貴族の子弟が独占している役職だ。よって、陣営本部は上級貴族が宿泊するのにふさわしいだけの品質が求められる。

 が、このグナエウス砦は軍団が常駐することは考えられていない。あくまでもグナエウス峠を越えて軍が移動する際の中継基地でしかないのだ。利用する軍団もアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアに限定されているわけではなく、アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアや、時にはサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアも利用する。このため建物こそはそれなりの品質ではあるものの、宿泊する貴族の趣味を反映させる調度品類はほとんど置かれていなかったのだった。調度品が必要なら、ここに宿泊する貴族が自分で持ち込まねばならず、そしてカエソーは元々ここを利用する予定があったわけではなかったので調度品類を持って来ていなかった。


 しかしティフにはそのような事情は分からない。簡素な部屋に通された……つまりハーフエルフの聖遺族である自分が軽んじられている、見下されているという悔しさに人知れずほぞを噛んだ。


「さあどうぞ、こちらへおかけください」


 部屋の入り口から入ってすぐのところで立ち止まり、沈痛そうな面持おももちで唇をかみしめているティフにグルグリウスが椅子を勧める。部屋の中央にあるテーブルを挟んで置かれた寝椅子クリネの一つだ。ティフは小さく溜息をつくと、その刺繍もない簡素なデザインながらもクッションの利いた寝椅子に腰かける。


「間もなくカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子閣下が参られます。

 このまましばらくお待ちください」


 ティフは目を剥き、脇に立つグルグリウスを見上げた。


「伯爵公子だと!?

 俺はルクレティア・スパルタカシアとの面会しに来たのだぞ!」


 驚いて抗議するティフにグルグリウスは困った様な呆れた様な表情をつくって溜息を噛み殺し、ティフの方を見返さないまま答えた。


「物事には順序というものがございます。

 まずはカエソー伯爵公子閣下と御話しいただき、それによってルクレティアスパルタカシア様と面会できるかどうかをカエソー伯爵公子閣下が判断なさいます」


 ティフは勢いよく立ち上がった。


「話が違うぞ!!

 俺はルクレティア・スパルタカシアが会って話をしたいと言ったから来たんだ!

 ルクレティア・スパルタカシアに会わせろ!!

 今すぐ呼んで来い!!」


 鋭く指を突き付けて要求するティフにグルグリウスはやや驚いたように目を見開いて見せたものの、まるで頑是がんぜない子供に手を焼く大人のように薄い笑みを浮かべて首を振った。


ペイトウィンホエールキング様もそのような勘違いをなさっておいででしたね」


「勘違いだと!?」


 突き付けた指を降ろしながらもティフは挑みかかるように半歩前へ出る。柄に手をかけてこそいないが、やろうと思えばいつでも腰に差した二本の舶刀カットラスを抜いてグルグリウスを斬りつけられる態勢だ。

 並の相手ならそれで怖気づくところだが、グルグリウスには通用しない。そもそもグルグリウスの岩石の身体は刃物で切りつけたところで傷つくことなどないのだから、剣で恫喝されたところで恐れるわけもなかった。グルグリウスは後ろ手に手を組み、直立不動の体制のままゆっくりとティフの方へ向き直る。


ルクレティアスパルタカシア様が会って話がしたいとおっしゃられたのは、カエソー伯爵公子閣下の御意思を伝えたにすぎません。いわば伝言です。

 どういうわけかそれが、ルクレティアスパルタカシア様御自身の御意向であるかのように間違って伝わってしまったようですが」


 困ったもんだ……そう言いたげにグルグリウスは微笑み首を傾げて見せた。

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