第876話 宴の終わり

統一歴九十九年五月九日、夜 ‐ 『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルク/シュバルツゼーブルグ



 ルクレティアはその後、リウィウスの助言に従って大ホールへ戻った。


 本当に『勇者団』ブレーブスからの手紙が来ていたとすればそれはカエソーやアロイスなどと共有すべき情報でありルクレティアが読んで一人で勝手に判断して良い物ではない。もしかして受け取る時間が遅くなることで何か不都合があるのでは?と、ルクレティアも考えないではなかったが、ファドのような《地の精霊アース・エレメンタル》の監視をかいくぐる侵入者の存在はあるかもしれないが少なくとも街中にハーフエルフの存在は確認できない。現在までの時点で《地の精霊》の監視をかいくぐり得る『勇者団』関係者はファド以外に確認できておらず、ハーフエルフや他の聖貴族が街に残っていないのならシュバルツゼーブルグに直接的な被害が及ぶような影響などないと思って差し支えないはずだ。

 『勇者団』には配下の盗賊団がいるのでは?盗賊団なら《地の精霊》には探知できないのでは?……それらは事実ではあるが盗賊団は所詮は只の人間である。できることは限られているし、軍団兵レギオナリウスで十分対処可能。


 そう考えるとあえてここで晩餐会を中座して罠かもしれない危険性を無視して手紙の確認を急ぐ必要はないというのがリウィウスの判断だった。そしてその判断にはルクレティアも同意せざるをえなかった。


 ルクレティアが大ホールに戻ったのは本来なら主菜メインディッシュはとうに終わっていて当然な時間ではあったが、列席者たちは誰も彼もがヘラジカ肉の下から出て来た皿に描かれた“おみくじ”の文言を話題に大いに盛り上がっている最中であり、幸いなことにルクレティアはヘラジカ肉を逃すことなくありつくことができた。

 その後メニューは野菜のタルトゲミューゼクーヘンカボチャのタルトクービス・トーテ、そして赤い果実のコンポートローテ・グロッツェと続き、しめに黒香茶と木苺のトルテリンツァー・トーテが出される。


 野菜のタルトはタルト生地で作った皿の中に薄くスライスした季節野菜を並べ、生クリームに摩り下ろした無腔質のハードチーズグライアッツァー・キーズを混ぜてガランガー、塩、ナツメグ、タイムの葉を加えて作ったソースを注ぎ入れ、上からフェンネルシードを目立たない程度にパラパラと振りかけてからオーブンで焼いた物である。

 「野菜のケーキゲミューゼ・クーヘン」の名からはケーキの一種のようであるが、立派な野菜料理の一つだ。本来肉料理メインディッシュの後には生野菜とチーズが出されるものなのだが、事前連絡で負傷したというカエソーの体調を考え、野菜とチーズを一つにまとめた本品が選ばれていた。


 カボチャのタルトは熱したカボチャの実を磨り潰して裏ごしし、卵と塩と砂糖を加えてよく混ぜ合わせ、そこへ牛乳と生クリームを少しずつ加えながらが出来ないようによくかき混ぜて生地を作る。そしてできた生地をバターを塗った型に流しいれ、湯を張ったバットに型を入れて湯煎状態にしてオーブンで焼いた物である。

 カボチャの甘み・旨味を最大限に引き出すコツは最初にカボチャを熱する際、傷のないカボチャを丸ごと皮付きのままオーブンで一時間ほどかけてじっくり焼くことだ。それからオーブンから取り出した熱々のカボチャに包丁を入れ、湯気を立てる実をスプーンで削ぎだすのである。そしてが出来ないようにするコツは牛乳と生クリームの温度管理にある。事前に牛乳と生クリームを混ぜたものを鍋に入れ、決して沸騰させないように、だが人肌よりはずっと温かい温度に温めておくことだ。


 こうして作られた黄色いケーキはロウソクの灯りの元では金色に輝いてすら見え、そのカボチャの豊潤な香と甘味は食べた者の舌をとろかすのみならず、身体を奥底からポカポカと優しく温めてくれる。寒い季節には最良のオヤツでありデザートの一つであろう。


 赤い果実のコンポートはよく洗ってヘタを取り除いたベリー類を赤ワインと水と砂糖で良く煮込み、柔らかくなったら一旦火を止める。その煮汁を冷ましたもので小麦粉を溶き、それをベリー類に振りかけてかき混ぜながら再び弱火で煮込んでとろみをつけたものだ。

 料理名の「赤いローテ」は文字通りその見た目の色に由来するが、ベリー類の色のみならず煮る際に用いる赤ワインの色もかなり影響している。今回使われたのはクランベリーとイチゴ(どちらも降臨者がこの世界ヴァーチャリアに持ち込んだもの)だが、適当な果実が無い季節はドライフルーツなどで作られることもあったし、必ずしも赤くない果実が含まれることも珍しくはない。

 蛇足だがレーマ帝国内で本格的にクランベリーを生産しているのはアルビオンニア属州だけである。サウマンディア属州以北では比較的温暖な気候の地域が多いことも相まって本格的な商業栽培には成功しておらず、クランベリーはアルビオンニア属州にとって重要な特産品の一つではあったが、強い酸味と後に残るエグミが特徴のクランベリーはレーマ人にはあまり人気が無く、残念ながら輸出には成功していなかった。


 黒香茶は茶葉を深煎りして淹れた香茶であり、深煎りしたことで苦みが増すが渋味が無くなるので口当たりは良くなり、寝る前に飲むと寝つきが良くなると言われている。

 黒香茶に添えて出された木苺のトルテはタルト生地に木苺のジャムをたっぷりと分厚く塗り、その上からタルト生地を網目状に被せて焼きあげた物だ。パイのような見た目だが食感はクッキーに近く、味わいは素朴である。「リンツ風トルテリンツァー・トーテ」の名の通り《レアル》オーストリアのリンツ地方の菓子が元になっているのだが、それがどういう経緯でランツクネヒト族に伝わったかは所説あって定かではない。


 最後の香茶と菓子が出された後、晩餐会は意外なくらいあっさりと閉幕し、列席者たちは三々五々会場を後にしていく。元々主賓であるカエソーがブルグトアドルフで繰り広げられた盗賊団との激しい戦闘によって負傷したらしいこと、それゆえに深酒は出来ないことなどがあらかじめ伝えられていたため、主催者であるヴォルデマールも招待された列席者たちもカエソーの体調を気遣きづかい、あまり騒ぎすぎないように控えていたことが理由である。むしろ、その割にはかなり盛り上がったといって良いだろう。少なくともナイスとメークミーの二人には列席者たちが遠慮していた風には見えなかったし、彼らの舌はともかく胃袋は大いに満足させられたのだ。


 が、彼ら二人が最終的に満足できたのは胃袋だけだったと言っていいだろう。晩餐会が終わった時、彼らの心の中には何か不安のようなものが渦巻いていたからだ。

 ルクレティアが会場へ戻ってきた時、メークミーとナイスはホッとした。少なくともメークミーが予見したような《地の精霊アース・エレメンタル》による報復のようなものの心配はなくなったと思えたからだ。が、そのすぐ後でサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア百人隊長ケントゥリオが入ってきて、それぞれの上官に何事か耳打ちして行った。何を報告したのかは分からなかったが、カエソーにしろアロイスにしろ報告を受けた際の反応は奇妙なくらい全く同じだった。一瞬表情を固くし、チラッとナイスとメークミーの二人に視線を向けたのである。そして百人隊長に何事か指示を出すと、再びそれまで通り料理と酒を愉しむ客人の姿に戻ったのだ。


 なんだろう、何かあったのか?


 疑問に思いつつも料理を楽しんでいたナイスとメークミーに、背後から先ほどの百人隊長が不意に近づいて耳打ちをしていく。


「失礼いたします。

 伯爵公子閣下、軍団長閣下がお二人に後でお話を伺いたいと申しております。

 まことに申し訳ありませんが、本日は御就寝をお待ちいただき、両閣下にお話をお聞かせ下されば幸いに存じ上げます。」


 百人隊長の英語は完璧でその内容は聞き間違えようが無かった。百人隊長の態度は慇懃いんぎんそのもので、その口調も文言も非の打ちどころが無く礼にかなったものだった。そして彼らは英雄譚や冒険譚も大好きだったが、戦記物も大好きだった。だから知っていたのである。普段、ぶっきら棒な印象のある軍人がことさら礼儀正しく振る舞う時は決して逆らわない方が良いということを……彼らの「お願い」は「命令」以上に強制力のある実質的な「命令」なのだと……ナイスとメークミーの二人は横目でチラッと互いに目配せし、緊張を新たにした。


「あ、ああ分かった。」

「承知した。」


 二人の返事を聞いた百人隊長はニッコリ笑い「ありがたくあります」と答えて引き下がっていった。それ以来、彼らの心中にはずっとグルグルと不安が渦巻き続けていた。

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