第877話 二人の焦燥(1)

統一歴九十九年五月九日、夜 ‐ 『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルク/シュバルツゼーブルグ



 晩餐会を終えた後、ナイスとメークミーの二人はあてがわれた寝室ではなく、カエソーの部屋へと案内された。晩餐会の途中で百人隊長ケントゥリオに耳打ちされたとおり、後で話を聞かせてもらうから待っていろということなのだろう。が、何故かカエソー本人はそこには居ない。なんでも別の用事があるのだそうで、それが済んでから戻って来るのだとか……話はその後ということになるのだろう。

 彼らをこの部屋に案内し、そしてそうした説明をした神官は二人から特に質問らしいものもないことを確認すると、では外で控えておりますので御用が御有りでしたら御声掛けくださいと言って一礼して部屋を出て行った。今、部屋の中にはナイスとカエソーの二人きりである。


 伯爵公子にあてがわれただけあって豪華な調度品や家具で飾られた部屋は、十四基の燭台すべてに計四十六本の鯨油げいゆロウソクがともされ、夜中だと言うのに暗さを感じない程度の明るさが確保されていたうえ、暖炉にも十分な薪が投じられて火が焚かれている。建物全体が床暖房ハイポコーストによって十分に温められているというのにだ。さすがに何もしなくても汗ばむほど暑いというわけではなかったが、外の寒さを忘れさせるには十分な程度には暖かさが確保されていた。

 ムセイオンの学士ジョージ・スチュアートからジョージ・メークミー・サンドウィッチに、同じく学士アーノルド・イーリイからアーノルド・ナイス・ジェークにそれぞれ戻った二人は贅沢な部屋の真ん中に置かれた一組の寝椅子クビリアテーブルメンサを挟んで向かい合うように腰かけたわけだが、その顔は決して快適さを享受きょうじゅした者にふさわしいものでは無かった。二人は部屋の中に誰も居ないにもかかわらず、互いに額を突き付け会うかのように自らの両膝の上に肘を突き、その手に自らの顎を乗せるようにしてうずくまり、声をひそめる。


「なんかヤバいぞ?ヤバいよな?」


 普通、社会的に責任や地位のある人物と話し合いの場を設けたい場合、その場で何について話し合いたいか用件は告げるものである。相手にも色々都合があるのだし、いくつもの案件を抱えた人物なら他の案件との調整も事前準備も必要になるからだ。そして、ナイスもメークミーもゲーマーの血を引く聖貴族である。ムセイオンでは一学生に過ぎないにしても、その血筋と保有している魔力、そして財力に基づき、それなりに高貴な存在として地位も名誉も持っている貴族だ。にもかかわらず具体的な用件を伏せたまま「後で話がある」なんて言われる時は大概ロクな用件ではない。そういう時は相手が逃げたくなるような件について逃げないように呼び出さねばならないから、あえて用件を伏せているのだ。少なくとも、彼らの経験上はそういうケースが多かった。そうなってしまったのはサプライズ・プレゼントをもらう経験より叱られる経験の方が圧倒的に多い彼ら自身の自業自得ではあったが、ともかく彼らは今の状況について危機感を抱いていた。

 彼らは捕虜に過ぎない上に命より大事な聖遺物アイテムを没収されている身であるのだから、カエソーが「〇〇について話を聞きたい」と言えば断ること等できない。逃げるなんてまずありえない。これまでの尋問にだって答えられるだけ答えている。にもかかわらず逃げないように用件を伏せたまま話を聞かせろと言ってきたのだから、ろくでもない話なのは間違いないのだ。


 何だかわからないが、新しい問題が何か発生したんだ……

勇者団なかまたち』が何かしでかそうとしているのかもしれない。


 そうにらむナイスとは裏腹に、メークミーには一つの確信があった。


「ナイスが不用意に騒いで雰囲気をぶち壊すから……」


 おおよそ貴族にとって、社交の場は彼らの戦場そのものである。神官にとっての祭壇であり、職人にとっての職場、芸人にとっての舞台、料理人にとっての厨房、商人にとっての店、芸術家にとってのアトリエだ。冒すべかざる神聖そのものなのである。にもかかわらずそこで騒動を起こし、危うく晩餐会の雰囲気を台無しに……人によってはただでは済まないだろう。二人は賓客ひんきゃくカエソーの客人だから、ヴォルデマール自身によって救われたのだ。もしも紹介された通りの只の学者ならとっくにつまみ出されていたとしてもおかしくはない。


「そのことか!?俺が悪いのか?」


 ナイスは顔をあげいきどおった。『勇者団』ブレーブスによる救出作戦の気配を予見していたナイスからすれば、よりにもよってメークミーから、そんな些末さまつな問題を持ち出されるとは思ってもみなかったからだ。

 しかし、ナイスの騒動が原因だと既に思い込んでいるメークミーには、ナイスの反応は子供が駄々をこねているようにしか見えない。


「当たり前だろ、陶器を磁器と間違えて大協約違反だなんて難癖付けて……」


「だって聖遺物アイテムに見えちまったんだからしょうがないだろ!?」


 そこを突かれると非常に痛い。

 ムセイオンの聖貴族……本来なら世界で最も聖遺物に接する機会の多い人間である。というより、聖遺物の正統な所有者だ。当然、目利きが出来るのが当たり前だと世間では思われているし、自分たち自身がそう自負している。それなのに聖遺物の磁器と、この世界ヴァーチャリアで作られた陶器を見間違えた……それはナイスにとって非常に恥ずかしいことだった。


「だからって騒ぐことなかったじゃないか……」


「でっ、でも丸く収まったじゃないか……」


 今回はまだ只の遍歴の学士という肩書で参加していたし身分がバレていたわけではない。彼らの正体を知っていたカエソーやアロイスも積極的にバラそうとはしないだろう。このまま学士を演じ続ければ、ナイスの過ちは有耶無耶うやむやにできるはずだ。しかし、もしもあれ以上騒ぎが拡大して引っ込みがつかなくなったら……聖貴族としての面目は丸つぶれになっていたかもしれない。その点、ナイスは幸運だったと言えなくもない。


「けど、皿を貰うことになっちまったろ?

 アレだってきっと安くはないぞ?」


 そう、あの後二人はヴォルデマールからあの皿を一組……おそらく六枚くらいか……を貰うことになってしまっていた。実物を目にする機会があるはずのムセイオンの学士が聖遺物と見間違えるほどの陶器の皿……いくら聖遺物そのものではないとしても、それだけ高品質な物ならかなり値が張るはずである。ヴォルデマールの説明が本当ならかなり無理をして特別に注文したものに違いない。少なくともメークミーの推測では、あの皿一枚で金貨一枚より高価だったとしても不思議ではないのだ。

 あの場を治めるために必要だったとはいえ、ヴォルデマールは余計な難癖をつけられたせいで晩餐会を台無しにされかけただけでなく、貴重で高価な皿を二組も無為に失うことになったのだ。一地方領主としては痛い損失に違いない。ナイスは己の不見識と軽卒により、今日初めて会った貴族にとんでもない迷惑をかけていた。


「別に俺が欲しいなんて言ったわけじゃないぞ!?」


「あの流れじゃしょうがないじゃないか……」


「返せっていうなら返すさ、俺が欲しがったわけじゃない。」


「ダメだよそんなの!

 そんな事すればあの領主の面子めんつを余計に潰しちゃうだろ!?」


 貴族というものは気前の良さをアピールしたがるものだ。貴族にとっての権勢や名声は、「あの方は気前がいい」という印象を世間に持たれることによって得られ、また保たれる。だからこそ、ケチだとか貧しいとかいやしいといった評判を何よりも嫌う。

 もしも一度贈ったものを突き返されたなどということになれば、それは貴族にとって恥辱以外の何物でもないのだ。体面を傷つけられ、面子を潰されるようなものなのである。

 つまりナイスは勘違いによって一方的に難癖をつけた挙句、ヴォルデマールから宝物にも等しい皿を巻き上げてしまい、それを返すことも出来ないのだ。


「クソッ、なんてこった……怒られるのかな?」

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